山県昌景(やまがたまさかげ)
<現代仮名遣い>やまがたまさかげ
※下線部は信長公記以外の記事によります。
三郎兵衛。この山県氏は美濃山県氏の子孫。
信玄の近習・使番を経て譜代家老衆三百騎持の
隊将となる。
1565年兄飯富(おぶ)虎昌が誅殺された後、弟
源四郎が山県氏を継ぎ、昌景と称した。原昌胤
とともに両職を勤め、駿河江尻城代。
1575年5月長篠の合戦で、一番手をつとめるも
信長方の鉄砲隊に打ち立てられ退却。
退却中に討ち取られる。
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三郎兵衛。この山県氏は美濃山県氏の子孫。
信玄の近習・使番を経て譜代家老衆三百騎持の
隊将となる。
1565年兄飯富(おぶ)虎昌が誅殺された後、弟
源四郎が山県氏を継ぎ、昌景と称した。原昌胤
とともに両職を勤め、駿河江尻城代。
1575年5月長篠の合戦で、一番手をつとめるも
信長方の鉄砲隊に打ち立てられ退却。
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