『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

山県昌景(やまがたまさかげ)

2019-11-14 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
山県昌景(やまがたまさかげ)

<現代仮名遣い>やまがたまさかげ

※下線部は信長公記以外の記事によります。


三郎兵衛。この山県氏は美濃山県氏の子孫。

信玄の近習・使番を経て譜代家老衆三百騎持の

隊将となる。

1565年兄飯富(おぶ)虎昌が誅殺された後、弟

源四郎が山県氏を継ぎ、昌景と称した。原昌胤

とともに両職を勤め、駿河江尻城代。


1575年5月長篠の合戦で、一番手をつとめるも

    信長方の鉄砲隊に打ち立てられ退却。

    退却中に討ち取られる。


↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へにほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山県下野守(やまがたしもつ... | トップ | 山県盛信(やまがたもりのぶ) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事