『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

野村丹後(のむらたんご)

2018-10-05 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
野村丹後(のむらたんご)

〔現代仮名遣い〕のむらたんご


不詳。荒木村重の武将。

1579年10月野村は雑賀勢とともにひよどり塚に

    こもっていたが、滝川一益による中西新

    八郎の調略後の戦闘で攻撃され、種々詫

    びを入れるも許されず殺害され、頸を安

    土へ送られる。


 ※信長の軍は、相手が相当の大将でない限り

  理路整然と詫び言を言えば許す手順だった

  のに、野村丹後氏はどうしたんでしょうか

  ね。そうとう謝り方がひどかったとか・・


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