『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

梅模様に変えたわけ(信長の梅の枝)

2013-10-08 22:02:20 | 純野のつぶやき、あるいは趣味と妄想
ブログの模様を梅模様に変えました。そのわけは以下

の通りです。

【信長の梅の枝】

1581年2月京都馬揃えの本番では、正月に準備を命じ

られていた明智光秀は三番手で馬場入り。奥ゆかしい

ところ。信長は梅の花を首の後ろに立てて乗馬。腰にも

禁裏から下された「ぼたんのつくり花」をさす。源平

盛衰記巻三十七(景高・景時城に入る並景時秀句の

こと)での、梶原平三景時が梅の枝を箙にさした「花箙」

を想起させる。その他、はでにはでを重ねた装束をつける。

ということで、多少は京都馬揃えの華やかな雰囲気が

出ていればラッキーです!
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