『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

森可隆(もりよしたか)

2019-10-24 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
森可隆(もりよしたか)

<現代仮名遣い>もりよしたか


信長公記には出てこないが、森可成の嫡男。父

は信長にしたがって一族とともに各地を転戦し

ていたため、尾張の森氏の旧領の留守を守って

いた。1570年(元亀元年)、父の可成は信長の

命で朝倉方の籠もる越前敦賀・手筒山城を攻め

た際に可隆も同行した。初陣の可隆は城に一番

乗りを果たし、同城は陥落したが、可隆は深入

りをし過ぎたため反撃を受けて討死した。享年

19。美濃金山・可成寺に供養墓がある。

【Wikipediaより】


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