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『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

運命は迷う事で発生する ~(13社巡り⑬)2017.6.11(日)

2017-06-26 17:11:54 | 街・観光地編2017

 『相模の国式内社13社巡り』を口実に、今日も延々歩き廻って来ました。

※写真は太田道灌の胴塚(神奈川県伊勢原市)


 今日のスタートは小田急線の愛甲石田駅。
19歳だか20歳だかの時に寝過ごして下車して以来、今年迄下りる事が無かった駅ですが、今年だけで3回目。
駅の北側なら「勝手知ったる駅周辺」になりつつあります。


 最初に立ち寄ったのは愛甲石田駅近くの熊野神社。
式内社13社ではないのですが、厚木市に有る式内社の小野神社の管理社がこちら。
2回目に訪れた際に宮司さんの息子さんとお孫さんにバッタリと遭遇し、御自宅迄案内され、ちょっとした事を話しながらの行程。
御自宅で御朱印を戴きました。
13社巡りもほぼ終えられた事、様々な出会いや発見が有った事を感謝し、今日の行程が「良い行程」になる様願っての参拝です。


 参道沿いの石仏。
廃仏毀釈以前の物なのでしょう。

 拝殿と本殿。
直ぐ前に平屋のお宅が並んでいるので、人の出入りが有って落ち着かないのですが、早い時間帯のこの場所は好きだなぁ。
氏神様ではないけれど、1回目は旅の終わりに、2回目と今回は旅の初めに参拝し、心清らかにスタートです。


 熊野神社の扁額。
縁から内側に延びる模様って他の神社の扁額でもよく見るデザイン。
此れってどのような意味が有るのかな?


 熊野神社拝殿の彫り物。
振り返る形の物は他でも見た事が有るけれど、この狛犬の手(爪)は、握った形。
地面を前足で蹴った後なのかな?
眼は優し気で睨み付ける感じではないですね。

 向かって右側の獅子。
此方は威勢が良いと言うか、ちょっと吠えられたり噛みつかれそうで、怖い感じも。



 拝殿前の狛犬。
子犬は居らず、お座りした構図。
目線が参拝者に向いていて、見据えた感じ。


 右手の獅子。
こちらも毬は無し。
視線は参拝者向きかな。
参道の方を見て神社を守っていると言う事かと。


 ペン太達と。
この日もこの子達と歩き廻ります。

 この日の予定は以下の通り

 愛甲石田駅→愛甲 熊野神社(お礼と今日の旅についての参拝)→神明社(愛甲三郎季隆館跡と石碑)→薬師堂→高森神社(13社の論社・初めての参拝)→高部屋神社(13社・お礼の参拝)→咳止め地蔵→御嶽神社(かさ神様)→片町不動尊→比比多神社(子易明神)(13社の論社)
→太田道灌墓→七人塚→千石関用水→伊勢原駅

 周辺の史跡等を調べ、それ等を廻っていく事にしました。



 今日も良い旅になりますように。
様々な発見や出会いが有りますように。


 御神木の銀杏。

 大きい葉っぱと小さい落ち葉。
御守りにポケットに。
「さぁ、今日も良い1日になる気がする!」(やたら前向き!これも御利益か?(⌒∇⌒))

 因みに、帰宅後、和紙で包んで御守りに。


 で、持ってきたメモの精度が悪く、早速神明社への曲がり角を通り過ぎ、神明社と薬師堂を見逃した・・・。
感覚で道を曲がり、二度と通る事の無いであろう住宅街中の道を行くと下り階段が。
此処からと土地がガクンと下がるんだな。


 階段を下がり少し行くと道路案内板が。
現在地は『赤』で、地図の上の方から来ました。
目的地の高森神社は高森道了尊の直ぐ近く。

 「・・・結果オーライ」
感覚で道を曲がって、ドンピシャの場所に出た!

 「良し良し!! (⌒∇⌒)」

 高森道了尊。
愛甲石田駅のホームにも昔から看板が建っているのだけれど、このお寺の事です。
大雄山最乗寺を開いた了庵彗明禅師がこの地の出身で、本人と徒弟の住居がこの地に有ったとの事。


 気にはなるものの、何だか入り難い。
道の向かいからで。



 高森神社に到着。
ちょっとした高台の上に有り、途中に児童感が有る。
自動館前に子供用の自転車が多数止まっているなぁと思ったら、神社ではお囃子のメンバー親子さん達なのかな?
お食事会が行われて賑わっていました。
宇都母知神社でもこんな事が有ったなぁ。

 とてもゆっくりじっくりと神社を見学、参拝と言う状況にはなく、隅をコソコソと邪魔にならない様に移動、撮影。


 火災後建て直された新しい拝殿。
前の拝殿を見たかったなぁ~。
 此処の狛犬は、子犬をあやしていますね。


 御神木の椎の木。
巨木と言うより盆栽の様な曲がった枝振り。


 社務所と本殿、鐘楼。
分かり難いけれど、右端の獅子は毬を前足で踏んでいる姿。


 拝殿と本殿。
コンクリートの土台、基礎に扉も木製の物とそうでない物・・・と、新しく建てる際に管理し易く長持ちする物にしたと言う感じ。
不審火と言う事ですが、神社やお寺に放火何てなぁ~。
文化財に油を撒いたり落書きしたり…と、昨今の話題に心が痛みます。

 社務所の窓ガラス越しに。
御札は八歩除けや年神さま、台所等、火を使う所に貼る火産霊神の物等。

 高森神社の御朱印。
無人の社務所で御金(¥300)を入れてなので、日付は入っていません。
高森神社も普段は人が居ないので、「御朱印はどうかな?」と思っていただけに、意外な展開。
あっ、「此れで論社も含めて13社の御朱印が揃うのは確定だ」と言う事に。

 御札も戴きました。




 国道246号に出て、炎天下の中歩いて高部屋神社に。
此処も3回目。
鳥居の前からお礼の参拝を。
何時も右手のベンチで神社の方と御近所の方々が雑談されているのですが、この日も同じ光景。
何時も男性のみ。
日曜日の10:00~15:00は神職の方が居られ、御朱印や祈祷等の対応がされる事になりました。
このベンチに居られる方々に声を掛けると御朱印や御札を戴く事が出来ます。


 246号を伊勢原駅の方角へ進み、途中の『せきどめ橋』で咳止め地蔵にお参りする予定でしたが、分からず仕舞い。
246沿いから川沿いの道に行くのではなく、少し離れた場所だったかな?
帰宅後調べてみると、246号を離れ、東海大学病院の手前で通った川沿いの遊歩道が再び車道に合流する市来交差点の直ぐ近く、川向こうにに有ったとの事。
 「ほんの目と鼻の先に居たのに・・・」

 写真は246号沿い、伊勢原駅近くの御嶽神社。
以前、246号を歩いた際に気になった神社。
御神木は銀杏。



 大町福祉館(右)と小さな公園が有ります。
拝殿の斜め裏には忠魂碑と巨木が。
この忠魂碑は西南戦争の物も。



 246号沿いには道祖神も。


 慰霊塔と忠魂碑。


 御嶽神社の扁額。
木の形を生かした板に彫られています。
こう言うのもなかなか良いですね。



 平成24年6月1日に桜の木が折れてしまったとの事。
その写真が掲げられていました。
扁額は、この桜の木とか?
御神木とか、何かゆかりの有る木で御神木や社殿が建てられると言うのは良いですね。



 拝殿の中。
床の布が気になる。
落ちたと言うより敷いて有る感じ。


 拝殿の彫物。
平たい象。
獅子は無し。




 拝殿と本殿。
246号の歩道からの方が良く見えます。


 拝殿の前に有る「かさ神さま」。
少彦名命を祀る病気平癒祈願のかさ神さま。
謂れを記した看板によると、江戸時代末期に不治の病で亡くなった女性の供養塔で、以後同じ病、目の悪い人々が藁をも掴む思いで供養、参拝したところ大勢の方が快方に向かったとされ、病気平癒のかさ神さまとして崇められているとの事。

 右隣の石板の前に小さな小さな石の置き物が。
傘がみ様?それとも・・・。
 
 父を始め、家族の病平癒や健康祈願をして後にしました。


 続いて直ぐ近くの伊勢原大神宮へ。
今回は御嶽神社からなので、裏手から廻って、横(南側)から入る事に。
其方側には写真の石仏が。
前回は東側から入ったので気付きませんでした。
道祖神と夫婦の石仏と・・・。

 此れって・・・。
昔民俗学の授業を受講していた際、図書館で伊勢原の方に性器信仰の儀式、風習が有る事を読んだなぁ。
あれか・・・。
本物は初めて見たなぁ。
でも、あまりに生々しい物だと、チョット引くなぁ~。


 こちらが大通りに面した西側の入口。


 鳥居を潜って直ぐ左手に稲荷社が有ります。


 狛犬はとても古さを感じる物。
横縞のラインが入った物で、髪型?も今前とは違う物。
作られた年代は分からなかったのだけれど、時代の差なのか、神宮だからなのか?

 伊勢原大神宮の境内。
外宮と本宮。

向かって右側の玉垣沿いに古い石仏と石柱が。
昔この地に有った照見山神宮寺の遺構と言う事で、歴代住職の墓や石仏が並んでいます。
虚無僧を被る普化禅宗のお寺だったとの事。
虚無僧は時代劇でしか見た事は無く、その宗派のお寺跡を訪れたのも初めて。
明治の廃宗迄、この地ではそう言った光景が見られたのでしょうね。

 伊勢原大神宮の御朱印。
 
 御朱印を待っている間、社務所に1人の年配の男性が訪れ、何やら尋ね事を。
神社の方が奥の方に行き、他の方を呼んでその方が尋ね事の対応を。

神社の方「それはうちではないですね。」
神社の方「近くに御嶽神社と言う神社が有って、其方に有るかも知れませんね」
男性「調べたところによると、忠魂碑が2つ有って、1つは年代が・・・」
神社の方「ちょっと分からないですね」

あっ!と思い声を掛け、先程御嶽神社で見て撮影した忠魂碑の写真をお見せした。
男性「あっ!これだ」
と言う事で、御嶽神社への行き方や拝殿の左側に有る事、裏側に彫られた年代や文字は神社側からだと囲いが有って見られないので、246号の歩道からだと見られると言った事を教えると、男性は「有難う」と言って去っていった。
忠魂碑か。
戦没者の名が刻まれているけれど、知り合いや歴史的人物の名でも刻まれているのかな?
西南戦争の物は初めて見たけれど、学術的に何かとても珍しい物だったのかな?
何て思いながら伊勢原大神宮を後にしました。

 次は大山に向かって歩いていきます。
目的地は子易の比比多神社なので、バスに乗っても良いのですが、途中の片町十字路近くに有る片町不動尊に寄りたい!
バスの車窓から見える幟が気になっていたので、今回立ち寄ってみました。
お堂が閉まっているので、「不動尊の幟は」今回は無し。
代わりに隣の車の修理屋さんの幟が2本・・・(^▽^)/(笑)。


 お堂の中はこんな感じ。
保存状態の良いお不動さんが鎮座されています。
地域の小さなお堂にしてはなかなか立派な物。
お堂共々大切にされている印象を受けました。

 帰りにもこの道を戻ってくるので、行きはバスに乗っても良いのだけれど、「次のバスが来る迄未だ時間が有るから」と言う事で、1つ2つ3つとバス停を進んで・・・こうやって結局最後迄歩き通しになる事が多いんだよね。

 五霊神社。
謂れを記した看板の文字は殆ど消えていて読めなかった・・・。

東名高速のガード下には『市民壁画美術館』が。
コンクリートそのままよりは、こう言った物の方が良いですね。
落書き防止の効果も有るかも?

 子易明神こと比比多神社に到着。
此処は2回目。

 御神木。
幹の太さが何とも。


 前回気付かなかった拝殿前の梛(なぎ)の木に付けられた案内。
「梛の葉守」と言う事で、椥の木の事と御守りの事が記されています。
葉守りは、社務所で授与されています。

 此れがその梛の木

 拝殿の彫刻。
象と狛犬


 正面には巨人?入道?
はて、何だろう?
うちの方(相模原)だとダイダラボッチの伝説が有るけれど。


 龍の彫り物。

 拝殿の斜め前から。

拝殿横から。
拝殿と本殿とブランコ、ジャングルジム。

 裏手には境内社も。
前回気付かなかった…。
『八雲社、日吉山王社』、『淡島社、稲荷社、熊野社』、『天満宮』が祭られています。

境内社前の狛犬。
此れは前屈みで飛び掛かる構図。
風化が激しいけれど、珍しい構図だな。

拝殿の柱を削って安産の御守りにしたと言う事で、細くなっている向柱。
現在は削る事は禁止されています。

 梛の葉と実。
神社で時折見るこの実は『梛』だったんだね。


 比比多神社の御朱印。
安産とか子宝の御守りや祈願を求めるのが一般的なのでしょうけれど、家内安全のお札を戴きました。
あと〇年前だったらなぁ~・・・。
御朱印に『平産守護』と記されているんですね。

 比比多神社の御札。


 此れで論社を含めて13社で御朱印を戴ける神社は全て戴き、ペン太達との『13社御朱印巡り』は結願!
と言う事でピンボケだけれど記念撮影を!
う~ん、達成感と様々な出会いと発見に対する喜びと感謝の気持ち・・・あと、終わった事への寂しさと・・・。

 13社は宮司さんが常勤で無い場所も有るのでチョット手強いですが、手軽な6社巡りはお薦めです。
車ならあっと言う間でしょうから、電車とバスと歩き、周辺の散策を兼ねて数度に分けて…と言うのが良いと思います。
回数を少なくするのなら、
順序を関係無く廻るのが良いですが、敢えてゆっくりと回数を分けて一之宮から順番に廻って、最後に総社と言うのがお薦めです。

道中名所や史跡に寄ったり、御当地グルメや通り掛かって見付けたお店に立ち寄ったり、お土産を買ったり。
地元の方や他の散策者と話をしたり・・・。
きっと様々な発見が有ると思います。


 此処から伊勢原駅迄は散策、寄り道、道迷いしながら延々歩き。
まぁ、楽しんでいきましょう(^^♪。
 道沿いに発掘調査中の囲いが。

 この日は調査はお休み。
昔の大山道の発掘かな?
扇ガ谷上杉氏の邸宅も付近には有ったので、その絡みかな?
大山道だとしたら、道端に茶屋の建物跡とか、道脇の茂み部分から落とし物が出てくるとか・・・そう言った事が有りそう。
現在の文明が滅んで、土に埋もれたとしたら、大通り沿いからはペットボトルや空き瓶、たばこの吸い殻、コンビニ弁当の容器、お菓子などのビニール袋と言った物が遺物として出て来るんだろうなぁ。
そう言った物でも何百年、何千年も経てばチヤホヤされるかな?

 大山道沿いだと、小銭入れとか古銭とか、ボロになった足袋や草鞋、身につける衣類、小物入れとかが見つかるかも?
落とし物と捨てた物と。
当時にはゴミでも、今では「わぁ~!」と言われるような物なのではないかな?

 ビニールシートの隙間から見えた発掘現場の地面。
この段差は何だろう。
道路とその脇の段差かな?
 以前鎌倉で発掘現場の地中に木の柵を見た事が有るけれど、「あの木の柵は、大昔の物なんだよなぁ」と色々な想像を働かせたものです。
大山詣での人を想像しながら、炎天下の中1人歩く私。
う~ん、暑い。
 「御隠居!次のお茶屋さんに寄って行きましょうよ!」
 「団子と冷たいお茶。良いでしょ!無理は禁物ですよ!」
と、八兵衛のような発言をしたい気分。

でも、コンビニが1軒有ったのみ。
駅迄我慢かなぁ~。
 「あぁ、草餅食べたいなぁ~」
 「みたらし団子も良いなぁ~」

 洞昌院へ到着。
此処の横手に太田道灌の墓が有るとの事。
ちょっとお寺の入口が分からなくてバス通りからぐるりと回る格好になったけれど、無事お寺に辿り付いた。
此処は曹洞宗のお寺。

 入って直ぐの右手には六地蔵。

 左手には墓石の山。
管理する人が居なくなったお墓ってこうなるんだよね。
最上部に仏さまが居られて、そう言った方々を見守ってくれているとは言え、何だか寂しい限り。
江戸時代の物と言う感じの古い物ばかりでなく、結構新しい墓石も多い。
墓を作ったものの、後を見る物が居ないとか、他の地に墓を移したとか…様々な事情が有ったのだろうな。
私もいずれこう言った墓になるのだけれど、市の墓地だから、こう言った物ではなく、廃棄されるだけなんだろうな。
「死んでしまえばその後は…」なんだけれど、何だか寂しいし、虚しくなる。
此処に集められている墓石に宿る方々に面識は無いけれど、何だか手を合わせて血縁は無いけれど、たまたま通りかかる『縁』が有った者ですが、あなた方の安らかな眠りを願っていますし、忘れ去られた存在ではありませんよと言う事を伝えたい気持ちになった。

 延命地蔵尊。
家族の健康と長寿を。

で、忘れるところだったけれど、太田道灌の墓って?
お寺の中にはそれらしき物が分からない。
墓地の中に有るのかな?
案内看板は無いし、檀家さんの墓地をウロウロ探し回るのはチョットなぁ~。

 洞昌院を後にし、同じ道を戻るのも何だから、反対側を廻ってバス通りに戻る事にした。
電線で盛んに鳴く鳥の出会った。
先日生藤山の麓、佐野川の集落であった鳥だ。
今回はしっかりと写真と動画で撮影出来た。
でも、何の鳥だか分からない。

う~ん、調べたんだけれど、分からんなぁ~。

 と、お寺をくるっと廻り、日向薬師からのバス通りに出ると太田道灌の墓が。
大山~伊勢原のバス通りではなく、道灌塚で右に曲がり日向薬師の方に向かうバス通り沿いに有る事が分かりました。
大山へ行くバスは直進して道灌塚の前は通らないので、道灌塚のバス停は「このバス路線では道灌塚に一番近い場所」、「道灌塚へ向かう曲がり角」と言う意味のバス停だったのか。
因みに、道灌の墓の目の前を通る『日向薬師~伊勢原』のバス路線だと写真奥のバス停は『道灌塚』と言うバス停ではありません。
道灌塚の一つ日向薬師より。
今迄で道灌塚バス停周辺をバスの車窓から見ていたいたので、此れでは見つからない訳だ・・・と。

 垣根に囲まれた敷地の中は石仏群が。

こちらが太田道灌の墓。
こちらは胴塚で、首塚が同じ伊勢原市のお寺に有るとの事。
この日通った高部屋神社近くのお寺と言う事を帰宅後知りました。

 太田道灌の胴塚。
近くの上杉定正の館(糟谷館)に呼び出され、其処で暗殺されたのですが、彼が生きていたらその後の関東の歴史は変わっていたのでしょうね。

 ペン太達と。
「此れが稀代の名称太田道灌の墓」
「御参りすると知恵が授けられるかも!」
「近くには主君で、道灌を暗殺した扇ガ谷上杉氏の館や堀の跡が有るとの事」
「道灌の遺品とか上杉氏の埋蔵金とか伝説は無いのかな?」

 お墓の建物に刻まれた紋。
太田家の家紋なのかな?
道灌と言うと『山吹』にまつわる話が有名だけれど、山吹の花ではなさそう。

 道灌塚の御参りをし、垣根の外側に出た際、バス通りの向こう側の歩道を歩く男性が目に入りました。
「ん?何だか見覚えが」
取りあえず会釈をすると、その方も「え?」と言う感じで・・・。

 先程、伊勢原大神宮でお会いした方でした。
あれから3~4時間は経っているでしょうか。
駅から相当離れたこの場所で再開するとは。
その方は太田道灌の墓が目的ではなく、此処からまだまだ相当離れている高砂神社の方へ向かうとの事。
私があと10秒垣根から出て来るのが遅かったら、通りの反対側を行く男性の姿は垣根の死角に入り、そのまま気付かずに通り過ぎてしまったですし、2~30秒早く墓を後にしていたら、バス通りを渡って七人塚に向かう横道に入ってしまって、バス通りを歩いてくる男性に気付かなかったのではないかな?

 気になっていたのですが、無事御嶽神社に辿り付き、忠魂碑を見たとの事。
江戸川区にお住まいの方で、20kmやそこらを健康維持を兼ねて歩き廻っているとの事。
忠魂碑や念仏塔等を巡って彼方此方歩き廻っているとの事でした。
道灌の墓もこの胴塚も首塚も以前立ち寄ったとの事。
この日は子易の比比多神社でなく、あの後、三之宮の比々多神社へ行き、そのから此処まで歩いてきたとの事。
 「おぉ~凄い」
再会を喜び、偶然の出会いに感激し、お名前は知らないけれど、「縁が有ればまた何処かで」と再会を互いに願い握手をして別れました。
こんな事も有るんだなぁ。
今日の1番の出会いと発見、出来事はこれかな!(⌒∇⌒)

 道迷いも寄り道も全てが合わさっての出会い。
『運命的な出会い』(偶然)と言っては大袈裟かもしれない。
人生を変える人ではないだろうし、互いに残念だろうけれど、男同士だったし・・・(⌒∇⌒)。
でも、この日の道迷いも、立ち止まる事になった鳥の鳴き声も、何もかも全てに感謝したくなる出来事でした。

 「迷って良かった。こうしてお会いできたから」
と言う私の言葉に男性も喜んでいた様子。
お世辞でも愛想でもなく、本心なんだよね。
嬉しい事は嬉しい、素直に喜び感動する。
或る意味単純な奴なので!


 バス通り道路を渡り、横道を入った所に有るのが七人塚。
道灌につき従って命を落とした七人の家来の墓との事。

 その先に有るのが上粕屋神社。
参道の入口。
脇の銀杏などの木々が何とも立派。

 神社側から参道の入り口側を。
立派な木々が多く、なかなかの雰囲気。

 参道の途中で先程の七人塚から延びる道が横切ります。
その先に鳥居が有ります。

 鳥居前の狛犬。
子犬をあやしていますが、険しい顔をしています。

右手の毬を操る獅子。
こちらも厳しい顔。

 拝殿前の御神木が何とも立派でどっしりした下部と中の空洞、中~上部の枝振り。
「お~!」と思わず声を出す威圧感。

拝殿側からだとこんな姿。
樹齢はどの位なのかな?

拝殿。

 拝殿左手の八坂神社。

拝殿と本殿。

 拝殿横の彫り物。
鶴かな?鷺かな?
龍とか唐風の物とかが多いので、鳥は珍しいな。

 拝殿正面は龍の彫り物。
これもなかなか精密な物。

その上部に亀が。
亀も初めて見た。
亀が有ると言う事は、側面の鳥は鶴かな?
鶴と亀と言う事かな?

 社務所。

 参道を背に歩いて行くと、左右に横切る小道が。
此れが大山古道で、看板と石柱が。

 右は道標で、正面に『上り 大山道』、右側面に『下り 戸田道 厚木道』、左側面に『完成十一年未年六月 当村念仏講中』
裏面『右ハ 田村道 左ハ むら道 』

 中央は享保6年建立の庚申塔、左は道祖神です。

この道が大山道で、昔は旅人が行き来していたんですね。

 伊勢原駅迄歩き、途中の和菓子屋さんでお土産を購入。
『大山こま最中』

『みかん大福』
丸ごと1個ミカンが入った大福。
さっぱりして美味しかったな。



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