2006-06-20 21:48:46
2006.6.3(土)曇り:箱根旧街道 箱根関所越え
先日箱根に行って来ました。
カミサンとの箱根は昨年の正月以来2度目の事。
前回は混雑で到着が遅れ、遅い昼食を食べただけで帰らなければならなかったので、ろくに観光が出来ませんでした。
今回は、旧街道の散策と前回行けなかった杉並木や関所見学、芦ノ湖の遊覧船乗車と言う観光が目的です。
写真は箱根登山鉄道の箱根湯本駅。
小田急線も乗り入れており、写真右手は我々が乗ってきた小田急の車両。
左手の赤い車両は箱根登山鉄道の車両です。
箱根登山鉄道は日本で一番の高低差を登る鉄道で、スイッチバックを行いながら登っていく事で知られています。
線路沿いには多数の紫陽花が植えられ、花の時期にはライトアップされた紫陽花を観ながら乗車出来る「紫陽花列車」が走行します。
この日の箱根湯本駅構内には、鉢植えの紫陽花が可憐な様々な花を披露していました。
湯元からは、バスで畑宿(はたじゅく)に向かいました。
湯元から畑宿は、バスで15分程度の距離なので、旧街道を辿るのであれば、湯元から歩いても良いのですが、その間はアスファルトの道で、車も結構通るのでついつい敬遠してしまいます。
途中には小田原北条市の菩提寺である早雲寺(そううんじ)が有り、立ち寄ってみたいのですが、未だに行った事は有りません。
畑宿は2度目で、20年振り位です。
前回は親父と旧街道を歩く為に来ましたが、当時とあまり変わっていない様な・・・。
すっかり忘れていた記憶が蘇り、とても懐かしかったです!
畑宿は、箱根の伝統工芸である箱根細工が生まれ育った所で、その歴史は小田原北条市(戦国時代)迄遡るとの事。
江戸時代は、旧街道の間の村として、多数の茶屋が並び、名物の蕎麦、鯵の塩焼き、箱根細工が旅人の足を止めたそうです。
旧街道は写真の「黒いリュックを背負っておられる方」の左手に延びる道を進みます。
その左手に有る「白い建物」は、箱根寄木細工のお店で、販売の他に実演も行っています。
キーホルダーや小物入れ、茶筒、コースター、木のおもちゃ、秘密箱(決められた順番に箱の一部をずらしていかないと開かない「からくり箱」)等が販売され、箱根寄木細工が出来る迄の工程を説明した案内書きも有ります。
キーホルダーは数百円、小物入れは1,000円台~、秘密箱は大きさと開く迄の回数によって値段が異なり、2000円台~2万円台程度迄有りました。
カミサンは、模様が綺麗な物で、手紙を入れる「秘密箱」が欲しかったのですが、丁度良い大きさだと1万円以上してしまい、今回は断念する事に・・・。
小物入れ(からくり箱ではない寄木細工の箱)であれば、値段的にも充分購入出来たのですが、「からくり」が良いそうです。
私としても、「誕生日」や「クリスマス」のプレゼント・・・で買ってあげたいけど、チョット値段がね・・・。
一里塚です。
道の左右に有り、此れは道の左側の物。
石垣で囲まれた土山の上には木が植えられています。
一里塚は、東海道の一里(約3.9km)毎に「目安」として建設された物ですが、当時の姿をそのまま残しているのは、写真のこの一里塚だけとの事。
一里毎なので、相当数の一里塚が建造された筈ですが、残存する物が「此れだけ」と言う事には驚きました。
他の物は、「道路建設」の理由で壊されてしまったのかな?
最初の石畳を抜け、暫く車道沿いを歩きます。
20分位歩くので、
「旧道への入口を見過ごしたのかな?」
と心配になってしまいます。
旧道への入口はこの階段で、案内板は有りませんが、階段脇(写真の「中央帯あり」の看板の左手(木製看板))にこの坂の説明書きが有ります。
其処には
樫の木坂(かしのきざか)
『新編相模国風土記稿』に
「高く険しい崖に樫樹あり。故に名を得。」
とあります。
『東海道名所日記』には、
「けわしきこと、道中一番の難所なり。おとこ、かくぞよみける。
『樫の木のさかをこゆればくるしくて、どんぐりほどのなみだこぼる』」
と記されていたとの事。
「この先は、そんな急な登りが有るのか・・・」
と気が重くなりますね。
此れは見晴橋。
橋を渡らずに直進すると、再び車道に出る様です。
我々は橋を渡って左手の散策路を進みました。
「見晴橋」と言う名ですが、当時は御覧の様に「霧」が出ていましたし、この橋は木々の枝に覆われていて、何にも見えませんでした。
「見晴の悪い見晴橋」
と言うのは初めてです。
左手の看板の手前で豪快に滑ってしまいました。
写真は通り過ぎてから撮影したので、実際は登り坂の右手に看板は有ります。
看板に気を取られたと言い訳したいところですが、其れ以上に「滑り易い場所」でしたね。
幸いにして怪我をせずに済みましたが、手は泥で真っ黒、ズボンも裾が汚れました。
で、気を取り直して看板を読んでみると
「猿滑坂(さるすべりざか)
『新編相模国風土記稿』には、
「殊に危険、猿候といえども、たやすく登り得ず、よりて名とす」
と、難所らしい坂の名の由来が書かれています。
県道の横断歩道橋がかかっている辺りが、当時の坂でした。」
との事。
本当の「猿滑坂」とは少し場所が違いますが、確かに「猿滑」だと感じた瞬間でした。
猿滑坂を過ぎると県道に出ます。
道を渡った向かいの階段を登るのですが、霧の濃さに驚かされました。
間だ午前中ですが、車はライトをつけています。
20m程先は何にも見えず、車も歩いている人も見えません。
車の運転も怖いですが、自転車で走っていた人が居り心配になりました。
自転車は、後方から来る車に
「ライトで知らせる事」
が出来ないので、こう言う日は危険ですし、走っていて怖いでしょうね。
甘酒茶屋に到着。
此処も小学校の遠足(5年生だったかな?)以来なので、約20年振りですね。
当時は食事をしていないので、今回初めて店内に入りました。
2人共『安倍川餅』を注文。
胡麻と鶯豆のきな粉だったと思います。
観光名所になっていますが、味と接客には好感を持ちました。
甘酒茶屋裏の石畳を進みます。
茶屋の横には資料館、その横には公衆トイレが有り、その前に二子山とその山頂部に生える希少種(植物)についての案内板が有りました。
然し、この霧で二子山は全く見えませんし、どの方向にあるのかも分からない状態・・・。
茶屋裏には、
「猪が出ます」
と言う注意書きが有りましたが、裏の竹林には『掘り返し跡』と『筍を齧った跡』、『足跡』や『獣道』が有りました。
猪が頻繁に出没する様です。
写真の石畳上にうっすらと何か見えますが、御安心を。
ちゃんと足が有るでしょ!
此れはうちのカミサンです。
まぁ、時折『鬼より怖くなるけど・・・』何て事は、口が裂けても言えません・・・。
更に歩いていくと、此処から二子山が見えるらしく、二子山についての案内板が有りました。
でも、相変わらず何にも見えません・・・。
やっとこさ芦ノ湖畔に到着♪
此れは箱根の杉並木!
江戸時代、旅人を「夏の暑さ」から守る為に植えられたとの事。
幕府も案外優しい所が有ったんですね。
霧が有る事で風情が有り、この時は
「濃い霧が出ていて良かった」
と思いました。
箱根関所を突破!
杉並木と反対側の門です。
此方が正門なのかな?
関所は未だ復元作業中ですが、様々な建造物の再現工事が終わり、昔に来た時とは随分と姿が変わっていました。
資料館は、300円程度で小さな建物ですが、
「飽きずに、其れでいて全てじっくりと見る事が出来る程度の量」
と、珍しく好印象を持った資料館でした。
再現された「関所の炊事場」です。
他にも役人の休憩所や客間・・・等、幾つもの建物が新設されていました。
此処は、関所の裏山の斜面に有る「見張り小屋」。
この小屋からは、芦ノ湖を見張っていたとの事。
当時の芦ノ湖は船を浮かべる事が禁止されており、関守は舟による見回りの他にも、この見張り小屋から「湖を泳いで関所破りをしようとする者が居ないか」見張っていたそうです。
関所は山が湖に迫っている「湖畔の平地が一番狭い場所」に有り、湖の中にまで柵は延びていました。
あまりに取調べが細かい為、門の外には渋滞が出来ており、関所の手前には門が開いている時間に関所迄辿り着けなかった旅人を泊める宿が多数有り、そう言った宿では、「関所を通る際の手解き」も教えてくれたそうです。
関所が有る以上、「関所破り(関抜け)が有った」事は想像出来ますが、「関所破り」で命を失ったと言うのは、4~5件しかなかったとの事。
と言うのは、見付かった場合でも殆どは
「薮入り」
と言う
「関所破りではなく、道に迷って山中に入ってしまっただけ」
と解釈され、この付近から追い払うだけの処置で済ましていたからだそうです。
「役人の温情措置」
なのでしょうね。
命を落とした人の事情について記してあったのは、「旅芸人の一行」の件と、今の静岡側から江戸の親類の家に奉公に行った女の子の件。
その女の子は、郷里が恋しかったのか、奉公先を抜け出して郷里に帰ろうとして立入り禁止である近辺の山に入り込んで捕らえられたそうです。
そのこの名は「お玉」と言う名との事。
旅芸人の一行は、「女性だけ通行許可が出なかった」為に、男性を含む一行全員で山に入り込んで関所破りをしようとしたそうです。
お玉ちゃんは、芦ノ湖から少し山に入り込んだ沼の畔で命を奪われ、其れを哀れんだ地元の人々によってその池が「お玉池」と呼ばれる様になったそうです。
お玉池は旧街道ではなく、畑宿から延びるもう1本の道である『湯坂路(ゆさかじ)』に有ります。
因みに、湯坂路には、曽我兄弟の墓と言われている石塔も有ります。
此方も歴史の有る道なので、歩いてみたいですね。
見張り小屋横の地面に「山ウド」が生えていました。
関所が出来る前のこの辺りは、猟師や芦ノ湖で漁をする人、山菜を採りに山に入る人も居たのでしょう。
然し、関所の設置と取締りの強化と言う方針によって交通は遮断され、湖の利用、周囲の山への立ち入りも禁止され、山は人々の生活の場でなくなってしまったのです。
観光客でごった返すこの関所が
「人々にもたらした苦しみは、どれ程の物だったのかな?」
何て事を、山ウドを見ながら考えていました。
因みに私が行った日は、桃源台~大涌谷間のロープウェイは「架け替え工事で休業中(バスで代替運転)」。
霧が濃くて何も見えないので、遊覧船に乗る気になれず、関所周辺を散策するだけで終わってしまいました。
小田急のフリーパスを購入したのに、遊覧船やロープウェイに乗らなかった為、「大赤字」でした・・・。
小田急の「箱根フリー切符」は、他のフリー切符に比べて格段に高いので、遊覧船(フリー切符で乗り放題)やロープウェイを使わないとなかなか元が取れません。
遊覧船やロープウェイの乗り放題が付かない安値の「B切符」の販売を希望します!
丹沢フリー切符は、A、Bの2種類が有るので、箱根フリー切符でもそうして欲しいですね。
旧街道は、もっと人が居ると思っていたのですが、意外に少なかったですね。
電車でなく、車で訪れる観光客の方が多い様で、旧街道に入らず、車で芦ノ湖畔に入り、芦ノ湖畔を歩いて散策する方の方が多い様に見えました。
「車利用」の観光客が多いと言う事が、車道の新設、拡幅工事や山中の美術館の乱立を招いているのではないでしょうか?
次々に観光施設が出来上がって行く箱根ですが、10年後、20年後はどの様になってしまうのでしょうね?
箱根には行ったことがないので、行くときにはぜひ参考にさせていただきます
それにしても霧が出てる、というのは寒かったからでしょうか?空気がとてもおいしそうですね。
私がブログで紹介している那智勝浦町も世界遺産があるとてもいいところなのですよよかったら遊びに来て下さいね
nachikatsuuraさん書き込み有難うございます。
山歩きをする際の霧は、火照った体を冷してくれるので好きなのですが、この日はチョット肌寒い位でしたね。
那智勝浦は、昨年の7月に新婚旅行で訪問させていただきました。
当ブログの『野性(獣)に戻る!』の2005年12月31日UP分を御覧下さい。
HTMLでのUPでない為、「写真1枚で1つの記事」になって、読み難いでしょうけど・・・。
魚の美味しさ、空の青さと澄んだ海、そして人の温かさを感じた旅でした。
また行きたいですね。