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紀伊勝浦駅前のバスターミナル。その日は土曜日で、観光客が多かった。10時
25分発の那智山行きを待っていると、切符売り場に長い列。見ると、一番前の
お婆さんが切符売りのお姉さんに色々質問をしている。「大門坂はどれくらい
厳しいの?」、「私でも歩けるレベルなのかしら」、「那智神社に上る階段は
きついの?」と、その声が周囲に聞こえている。あまりに夢中になって、後ろ
を見ていない。発車10分前、往復切符(1300円が1000円に)を買うために、10
人くらい待っていた。
それを見ていた別の係員が、「お客様、私が話を聞かせてもらいます」と、ナイ
スフォロー。すぐ後ろに並んでいた若い白人3人娘はほっとした表情で往復切符
を買っていた。それから5名の中国人観光ファミリーも…。
バスは定刻通り発車した。そして途中の「大門坂」で数名の乗客が降りたが、そ
の中にあのお婆さんの姿があった。小柄で弱、弱しい体つき、表情も自信なさげ
で、「おいおい大丈夫か?」と、思わず心配してしまった。大門坂は登山と言う
ほどではないが、那智神社入り口までずっと坂で、若い人でも息が上がる難所で
ある。それに、高齢者なのに、なぜひとり?
我々はその坂の部分をカットして、終点の那智神社入り口までバスで行った。自分
は大門坂は経験済みであり、「ぜひ歩きたい!」と言うだろう、若い同行者にはこ
の経路を内緒にしていたのだ(笑)、なにしろ二日酔いの体には大門坂はきつすぎる!
那智神社、那智の滝を見て、食堂で迎え酒のビールを飲み、帰りのバス待ちをしてい
たら、バス亭にあのお婆さんが座っていた。大丈夫だったのだろうか?少し心配だっ
たので横まで行って話を聞いてみた。
「大門坂、どうでした?」、「はあ?」、よく見ると顔だちの整った、気品漂う女性
(以下お婆さんでなく、女性で)だった。「いや、勝浦の切符窓口の声が聞こえたもの
で…」、「ああ、そうですか。そんなに聞こえましたか」と、恥ずかしそうに下を向い
て顔を赤くした。
「大門坂、きつかたでしょう。休憩所もないから」、「確かに。でも何度も横道で休憩
しながら歩きました。那智神社の階段もゆつくり、ゆっくり上がって行って、なんとか
参拝してきましたよ」と、ここで初めての笑顔。「失礼ですが、どこから来られたので
すか?」、「札幌です」、「さっ、札幌!」、話し言葉のニュアンスから、関東、おそ
らく東京からではないかと思っていたが、まさか札幌とは…。
そこから聞いた話をまとめると、伴侶に先立たれ、子供たちも結婚して家から離れ、毎日
独り暮らし。時々こんな旅行をして自分の生活に変化を持たせていると言う。そこまで高
齢だと思わなかったが、80歳。体の動くうちに日本を見て歩こうと思い、今回は一人旅を
受け入れてくれる那智勝浦国民休暇村に5泊しての南紀巡りだと言う。
「じゃあ、頑張られた証明と言うか、熊野古道を歩いた写真を撮っときましょうか」と言う
と、「いいです。写真を取っても誰も見てくれる人がいないですから…」と寂しげに微笑ん
だ。いや、息子さんや、親類の方々や、近所の人、友人etc.、色々居るでしょう~と言い
かけて、それは大変失礼なことだと思い口をつぐんだ。これ以上彼女に現状を聞くのは酷な
ような気がした。
すると女性は、「和歌山は有田みかんが有名でしょう。おみかんはこれからが旬ですし、ぜ
ひ広大なみかん畑を見てみたいと思うのですが…」と聞いてきた。「はあ、でも有田はここか
ら特急で二時間余りかかりますよ」、「あのくろしおって言う特急に乗ればいいのですか?」、
「まあそうですが、有田は特急は止まらないので、電車の乗換えで凄く時間をロスすることが
あります。今日みたいにしっかりホテルのフロントや駅員さんに聞いてください」と言うと、
「ありがとうございます、今度の旅で、初めて声を掛けていただきました。いい思い出になり
ます」と、立ち上がり、深々と頭を下げた。
次の日、大阪に向かう特急くろしおの中を歩いて女性を探したが、その便には乗っていなかった。
紀伊勝浦発が10時45分だったから、もっと早い便で有田に向かったのだと思う。できるなら、同
じ列車に乗り、有田辺りの見どころ、その他、和歌山県の情報を知っている限り彼女に伝えたか
った。できるなら、メール交換して、話し相手になってもいいとまで思った。
大阪に着く間、彼女のことをずっと考えていた。よくある旅の中の話なのに、どうしてこんなに気
になるのだろうかと。家に帰り、夜寝間に入った時もしばらく考えていたが、おのずと答は出た。
俺も独り身になってもう7年、『彼女に未来の自分を見ていた』のである。自分は一人っ子だし、
親戚も遠い地にいる。マンション暮らしで近隣の付き合いはまったくないし、孤独の晩年になるこ
とはほぼ間違いない。俺もしっかり歳を取っているのだ…。
うう、そうなりたくない。しかし、今のままだとその確率はかなり高そうである。静かな生活を好
む、やさしい女性は現れるのだろうか?
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