こんにちは、麻耶です。
今日は朝ゆっくりで、10時頃に起きたので、珈琲館麗までバスで行ってたまごサンドをブランチにしました。
美味しいんです、麗のサンドイッチ。
でも普通のサイズを頼むとめちゃくちゃ多いので、いつもハーフサイズにしてます。
ハーフサイズで一般的な1食分です。
お年寄りだったら4分の1でお腹いっぱいになるんじゃないかと。
ドリンクはアールグレイのホットにしました。
ティーポットサービスなのでお得です。
2杯半くらい飲めて580円でミニケーキもついてきます。
麗はコーヒーも紅茶もサンドイッチも美味しいし、落ち着いて句作ができるので、しょっちゅう通っています。
家で詠むって難しいんですよね。
ちょっとしたヤル気スイッチをいれるのに、場所を決めておくのは有効です。
私の場合、喫茶店か図書館の学習室が集中できます。
学習室なら、温かいハーブティーを入れた魔法瓶を持って、ちびちび飲みながら。
締切が迫ってくると自宅でやります。
とっておきの紅茶とかを淹れて。
でも、いちばん集中できるのは、やっぱり麗なんです。
居心地よすぎ(笑)
私の俳句感覚の起こし方ルーティンがあって、まず句集と角川俳句を読みます、
それから歳時記から俳句の書き写しをやります。
そのあと季寄せを読みながら季語を探します。
ピンとくる季語があったら、なんとかして俳句の形にします。
そうするといい感じに俳句脳になります。
スルスルと5句くらいは詠めるのです。
で、詠み方は、まずスマホであれこれいじります。
それから俳句手帖に書き写します。
ほかの読書とかをして気分転換します。
で、スマホに戻ります。
パッと見た感じ「嫌だな」と思ったら組み替えます。
で、俳句手帖に書き残したものと見比べます。
「いいな」と思ったほうを採用です。
しかしこれで終わりではありません。
スマホの中であたためておきます。
数日後、またパッと見て直したりします。
それを、句会用のノートに書き写します。
これでようやく完成です。
その間に、いろんな俳句用の勉強を挟んでいたり、投句したり、一日一句の記録を作ったり、やることはたくさんあります。
また、吟行に行って詠むこともあります。
だいたい年間400〜500句くらいを詠んでいます。
多くはないと思います。
私は、年間1000句を目指しているので、今の倍くらいの量を詠み、なおかつ質を上げていかねばならないと思っています。
こないだ初めて俳句を出した文学賞で入選し、先日は新聞投句が載りました。
俳句3年目にしてやっとです。
勉強の仕方はまだまだ模索中で、あと貯金をしないと句集を出すお金がないので、両方ともなんとかしないとなあと思っています。
詠むだけなら歳時記を買うお金があればできますが、句集を出すにはうんと要りますし、結社に所属するなら年会費、協会に入れば年会費、吟行に行けば交通費やら食費やら、角川俳句を毎月購入するお金、賞に出すなら投句料、といろいろ出ていきます。
なので俳句ってけっこうお金に余裕がないとできないのかもしれません。
マイペースに投句だけして独学でと思うならそれでもいいのですが、私は教えてもらわないとできない人なので、句会の先輩方に助けてもらっています。
独学時代もあったんですが、今にして思うと、私は句会に入らなければ入選は得られなかったなと、、
独学では新聞投句が載ることもなかったと思います。
角川俳句をじっくり読むことと、投句欄はなんでも読んでみることと、先人の句集を読むことは、句会に入らずともできるんですが、句会に行かなければわからなかったことも多いし、俳句誌で取り上げてもらえる喜びとかって、やっぱり結社に入ったからなんですよね。
そして、私は一日一句の記録をとって、印刷して、毎月句会に持っていって、先輩方にいろいろ教えていただいています。
これがすごく良いと思います。
いつか何かしらちゃんとした恩返しをしたい、、
自分の目指すべき方向性を見定めるのにもいいし、いろんな人のそれぞれの感覚の違いや共通点もわかるし、何が良くて何が悪いのかわかります。
もちろん、句会の先輩方や結社の方の指導がすべてではなくて、違う感覚も角川俳句や新聞投句や句集や歳時記を読むことによってわかります。
勉強すべきことは途方もなくあるんですね。
だいたい、季語をすべて頭に入れておけるわけでもないし。
調べながら、少しずつ理解していってます。
季語の理解に、何年かかるんだろう、、
適当にホイッとできるものではないんです。
毎日の積み重ね。
それでも、今だから詠める句みたいなものもあります。
そういう、新鮮な句も大事にして、自分をゆっくり育てていきたいなと思ってます。
焦らない。
功成り名を遂げようと思ったら急がないといけないのかもしれませんが、私は、自分を鼓舞してヤル気を出すために目標を高く設定しているだけなので、別に急ぐ必要はないんです。
それより、「好き」という気持ちを大事にしたい。
なので、お気に入りの喫茶店という、くつろげる場所でのびのびと集中して俳句を詠み、勉強するという、愉しい感覚を持つことが、続けていくために大事なことなのです。
もちろん、毎日ではないので、お茶代・ごはん代は出せる範囲で、ですよ。
お金がない時は自宅や図書館です。
何事も無理はいけません。
珈琲館麗で俳句を詠むという行為は、私にとって、何よりのご褒美タイムなわけです。
好きな場所で好きなものを飲み食いして好きなことやって、そりゃあ「好き」しかない(笑)
所属している結社の俳句誌は、毎月ではなくて、隔月刊なんですが、それが届いて自分の句が載っているのを見た時の喜びとドキドキは、クセになりますね。
そういえばお金をかけるポイントがもうひとつありました。
便箋です。
投句をするのに、また、自分の句を選評していただいたお礼に、お手紙を書きます。
書くのも愉しいですが、そのとき使う便箋を選ぶのがまた愉しいのです。
私はよく書店の文具コーナーや、東急ハンズで便箋を買うのですが、季節ごとに違う花柄を選んだりするので、未使用のレターセットが山のようにあります(笑)
だって椿は1月に使いたいし、梅や水仙は2月に使いたいし、桜は3月に使いたいじゃないですか、、!
俳句は季節感を大事にするので、私はお手紙も色気のないものよりおしゃれで素敵なものを使いたいのですよ!
まあゆうても500円くらいですから。
年々、こうしてオシャレ便箋が増えていきます(笑)
ゆくゆくは句集コレクションを増やしていくことでしょう。
いろんな人の句集が家に溜まっていくんだろうな、、
句集は集めだしたら際限なく買いそうだもんな、、
ちなみに私が今持っている中でいちばんお気に入りなのは、長谷川櫂さんの「九月」という句集です。
こういうのが出したい。
いつか出す自分の初句集を夢みて、今日も俳句を頑張ります。
それではまた。