蛍のひとりごと

徒然に、心に浮かんでくる地唄のお話を、気ままに綴ってみるのも楽しそう、、、

『八重衣』のカット

2006年12月19日 | 地唄箏曲よもやま
邦楽雑誌で二ヶ月連続の特集記事を組んで頂いたりしておりますので、ご存じの方も多いかと存じますが、四日後の12月23日(祝)に国立劇場で、富樫教子師のお祝いの会『富樫教子芸歴80周年記念演奏会』が催されます。不肖の私も、一応、富士美会の末席でお世話になっております関係で、『八重衣』をお勉強させて頂くことになりました。




今回、何度かおさらいをして頂く中で、たいそう面白いと感じましたのが、『八重衣』のカットでございます。


最近のお会では毎度のことでございますが、お時間の都合上、あの長い曲を、何とか13分以内に収めなければなりませんので苦心惨憺・・・。こういう場合には、ゆっくりしたところを取るのが手っ取り早い常套手段かとばかり存じておりましたところ、
富樫先生は「キリギリスの手事がなければ、ころもとはいえない。」とおっしゃられて、どうしてもそこを省略しようとはなさいません。さりとて、急にキリギリスの手事から入るのもオカシイもので、結局、中唄の途中から「きりぎりす~♪」と唄い出すことになりました。ちょっと難しいです
うまくお唄を出せますかどうか、いささか心配なところではございます・・・。


まだ時間を少しオーバーしてしまうのですけれども、そこはよろしいでしょうということでお許しを頂きました。八首あるはずのお歌の中から、光孝天皇の「君がため~」と、後京極摂政前太政大臣の「きりぎりす~」の二首しか唄いませんので、『八重衣』ではなくって、『二重衣』と申し上げたほうがよろしいようでございますネ。


それでも、このカットでしたら、少なくともその二首はきれいに全部唄えるのです。上の句が抜けてしまったりいたしません。聴かせどころの手事、キリギリスの手事、百拍子に後唄とまいりまして、まるで『八重衣』のエッセンスだけを抜き出したような見事な省略が出来上がりました。




お箏は、お人柄の良さと賢さがにじみ出るような綺麗な演奏をなさるので、
かねてから憧れておりました滝澤郁子先生にお願い出来ましたし、
お竹は、一番安心できる善養寺さんに、お守役を引き受けて頂いておりますので、
ゆったりと穏やかな気持ちで弾かせていただけそうで、たいそう有難く思っております。






今回は、富樫師のお祝いのお会でございますので、美緒野会の有志の方々とご一緒に楽しく『編曲八千代獅子』を弾かせて頂けます上に、ウチのお小さいお弟子さん達まで『傘舞台』で特別出演をさせて頂けることになっております。子供ながら大きなお舞台だということが分っているのかどうか・・・大張りきりでいる様子が可愛らしくて思わず頬が弛みます







美緒野会の皆様
今日もお寒いですね
本番当日までの数日間はお怪我などなさいませんよう、またインフルエンザやノロウィルスにも負けず、どうぞ元気にご来場下さい。
楽屋にてお待ち申し上げております。

『編曲八千代獅子』訂正のお詫び

2006年05月23日 | 地唄箏曲よもやま
「元来尺八の曲なるを政島検校胡弓にうつし、藤永検校三絃にうつせるより世にひろまりぬ。」

今から300余年ほど前のことでございましょう。
『八千代獅子』という古典の名曲のいわれでございます。


     いつまでも かわらぬ御代に 合竹の
     代々は幾千代 八千代ふる
     雪ぞかかれる 松のふた葉に
     雪ぞかかれる 松のふた葉に


園原勾当によってつくられました歌詞には、豊年の吉兆といわれる竹と松と雪とがおりこまれ、大変お目出度い曲でございますので、とりわけご祝儀の会などで、300年余を経た今でも良く演奏されます。



この古典の名曲を、宮城道雄先生が昭和27年に、お舞台用の大合奏曲に編曲なさいましたものを、『編曲八千代獅子』と申します。


もともとは三曲合奏(三絃&箏&尺八の3パートで合奏する形式)でございましたものが、本来のお箏やお三絃の手はあまり変えないで、しかもお唄の部分は全くそのままに、原曲の味わいを少しも損なうことなく、荘厳な前弾きを加え、横笛やお箏の高音パート、十七絃、胡弓に鼓も加えまして、リズミカルで一層楽しいお合奏曲に生まれ変わりました。私共のところでも、会員様方が皆様とてもお好きな曲でございますので、これまでに何度もお舞台で演奏させていただいております。



もうひとつの編曲物でございます『編曲松竹梅』と較べて、いささか長いお名前でもございますので、私共お仲間内では、平素は『編曲八千代』などと省略して呼び習わしたりして親しんでおりました。

それほどに親しみ深い曲なのでございましたが、あるとき、何気なく楽譜をみておりましたら、あら~!!!
なんと楽譜の表紙に『八千代獅子編曲』と書いてあるではありませんか。
正式な曲名は、『編曲八千代獅子』ではなくて『八千代獅子編曲』だったのですね・・・
これは大変とばかり心を入れ替え、呼び慣れた口には云い難いところも頑張って、キチンと必ず『八千代獅子編曲』とお呼びするよう心がけ、プログラムにもそのように書かせて頂いておりましたのでございます。



ところが・・・つい先日のことでございます。
尺八演奏家の松本陵風先生にご用でお電話をかけさせていただきましたおり、
「あの曲の正式な曲名は、『編曲八千代獅子』というのですよ。」と教えていただきました。
「ちゃんと宮城会の事務局に電話をかけて確認しましたから間違いありません。」とのこと。
もう一度、まあ~!!!

美緒野会の会員様方には、ああ申し上げたりこう申し上げたり、私ったら軽率でホントに申し訳ございません。
ご迷惑をおかけいたしますけれども、これからはやはり以前のように『編曲八千代獅子』とお呼び下さいませね。


松本先生には、品川三曲協会でお世話になっておりますが、いつもご博識で感心いたしておりますけれども、何につけても早とちりなさらないという、こういったお心がけの蓄積でもございましょう。
いっぽう暢気な私は、恥ずかしながら、そのあたりがオッチョコチョイで困ったものでございます。
反省致しております。






昨日は、月に二回のお楽しみ、上永谷教室への出稽古の日でございました。
都心とは違ってお空のひろ~い横浜の閑静な住宅街の道すがら、生暖かい風に乗って、すがすがしい新緑にいろいろなお花の甘い香りが、どこかしこと、いっぱいに混じり合って漂ってまいります。
確かに小満の候・・・。「次第に草木が茂って天地に満ちあふれる」という息吹を身体いっぱいに浴びて、短いお散歩を楽しませていただきました。
天の恵みは本当にありがたいですね

稚児桜

2006年03月22日 | 地唄箏曲よもやま
王ジャパンの優勝、おめでとうございま~す

テレビで野球を観たのは生れて初めてかもしれないくらい
スポーツ音痴の私でさえ、日本野球の気概と品格に感動いたしました。
日の丸を背負って戦うサムライ達の格好良いこと・・・



桜達も嬉しくて、思わず開花を迎えたのかもしれません。




タイムリーには、箏曲『稚児桜』などいかがでございましょう。


     鞍馬の寺の稚児桜 咲けや四海にかほるまで
     昼は読経をつとむれど 暮るれば習ふ太刀つるぎ
     思ふ源氏の再興を 天満宮に祈らむと 夜毎に渡る五条橋

     笛の音高く夜は静か 
     思いもよらずかたへより 出でてさえぎる大法師

     太刀を賜へと呼ばはれば 
     太刀が欲しくば寄りて取れ

     さらば取らんと打ち振るう 薙刀ついに落とされて
     今ぞひたすら降参と 誠あらはす武蔵坊

     さては汝が弁慶か
     牛若丸にましますか

     主従の契り深かりき 鏡は清し 加茂の水

                    (菊武祥庭作曲)




先日『地』のおはなしを致しましたけれども、この曲中にも、
前歌の「出でてさえぎる大法師・・・」というところから、
お箏で、ツルシャン、ツルシャンという地が入ります。

弁慶の薙刀をヒラリヒラリとかわす牛若丸の様子がいきいきと
表現されているとても面白い手でございます。
今年11月26日(日)の『三曲歌ざんまい』で弾かせて頂きますので、
上手に出来るかどうかは分りませんけれども、
ご興味をもたれた方は、どうぞ赤坂区民センターホールまでお運び下さいませ。
チョコっと宣伝でございました






桜と申しましたら、最近、興味深いことを聞きました。
若い桜木は、少しでも暖かい日がありますと、我先にと開花して
三寒四温の風にすぐ散ってしまいます。
老木の桜は、その辺りをよくよく見極めてから花をつけるので、
咲くのは遅いのだけれども、長い期間、私達を楽しませてくれるというのです。
桜にも「年の功」というおはなしでございます

菜の葉

2006年03月16日 | 地唄箏曲よもやま
三月のお花といえば一番は桃でしょうけれども、菜の花も同じくらい私は好きです。
桃色と黄色を花瓶に活けると、春めいた華やぎでウキウキするのは私だけでしょうか?




地唄の手ほどき曲に『菜の葉』という可愛らしい曲がございます。



     可愛いということは 誰が初めけん
     ほかの座敷もうわの空
     許さま参ると示す心のあどなさよ
     上々様の痴話文も 別に変わらぬ様参る

     思いまわせば勿体のうて
     言葉さげたら思ふこと
     菜の葉にとまれ 蝶の朝



菜の花というお名前の由来は「野菜(菜っ葉)の花」の意味からと伺いました。
でしたら、『菜の葉』は「お野菜の唄?」なんてことになってしまいそうですけれども・・・。




ところで、本年一月の歌舞伎座は、坂田籐十郎の襲名披露公演でございました。
ひょんなことから幸運にも、お友達がチケットをお世話して下さったので、
箏曲の『鶴寿千歳』や竹本の『万歳』なども聴かせて頂いて、
おかげさまで、うんと楽しんでまいりました。


藤十郎さんが天満屋お初を演じられました『曽根崎心中』は云うまでもなく素晴らしいものでございました。

   この世の名残 夜も名残・・・

あんな不条理な行き違いなど、今なら裁判でも起せましょうに、
来世は必ずこの世で結ばれますようにと心中するおふたりの可哀相なこと。




ところで・・・
第二場「天満屋」の幕が上がったところで、『菜の葉』がほんのひとふし唄われます。


    可愛いということは 誰が初めけん ほかの座敷もうわの空・・・


たったこれだけなのですけれども、これから始まる苦しい恋の道行の前の一休み。
まだあどけなく可愛らしいお座敷模様の華やぎが思わず心いっぱいに広がって、
ほんの少し、ほっとするのも趣深いものでございます。





    



菜の花が咲く頃に降り続く雨を「菜種梅雨(なたねづゆ)」とか申しますが、
今宵もシトシトよく降る雨でございます

『地』のはなし

2006年03月13日 | 地唄箏曲よもやま
私が尊敬してやまないお師匠様は、実は見事な『地』をお弾きになられることでも、つとに有名でいらっしゃいます。




      『地』と申しますのは、大変、面白いものでございまして、
      その部分がまいりますと、ずぅっと同じ手を弾き続けます。

      ツンルン、ツンルン、ツンルン、ツンルン、ツンルン・・・
      ですとか、ツルテン、ツルテン、ツルテン、ツルテン・・・


      たったこれだけの手で曲を表現するのですから、
      神業とでも申しましょうか。




『地』を弾く心得は、「本手を生かして、自分も生きること」なのでございましょうが、それこそ、言うは易し・・・の典型でございますね。
実際には、遠慮して弾けば地味に終わって目立たず、頑張れば本手を邪魔してうるさいばかりといったところが大方でございましょう。





いつぞや、さるお方が芸術祭で『四段砧』という珍しい曲に挑戦なさいましたが、
この曲の出来栄えは『地』にかかっているといった演目でございました。

ツンルン、ツンルン・・・だけで一歩も引かず、表現力の豊かさにおいては本手を超える『砧地』で、ため息も出ないほど素晴らしい「本手を生かして、自分も生きる」のお手本となる演奏でございました。その会場に居合わせられた幸運な方々は、さぞ満ち足りた至福のひとときをお過ごしになったことでございましょう。
平素よりさまざまな名人のお手を息を詰めて、じぃっ~と拝見させていただきながら、豊かな表現力の鍵は、何と申しましても、自由自在な消し音の技にありそうなとお見受けいたしております。


いつの日か、もしかして、私にもあのような豊かな『地』を自由自在に操れる日が来るのでしょうか






邦楽をお聴きになるチャンスがおありになりましたら、例えば、歌舞伎座などにでもお出かけになられましたら、ちょっとお耳をすませてごらん下さいませ。運がよろしければ、思いがけない拾い物をしたようなお気持ちになられるかもしれません。










啓蟄は過ぎたと申しますものの、今年の春もごゆっくりのようですね。
今日はやはりコートを羽織って出稽古にまいりましょう。
縁の上で虫におどろくウラウラ陽気はまだのようでございます