蛍のひとりごと

徒然に、心に浮かんでくる地唄のお話を、気ままに綴ってみるのも楽しそう、、、

野口体操/力を抜いて弾きましょう

2009年05月24日 | 楽しいお稽古講座
お琴やお三味線をご指導させていただくとき、お稽古なさる方のお身体の使い方を  じぃ~~っっと 観察する毎日の中で・・・
身体の力を抜くのは、なんて難しいのでしょう  と、つくづく思います。



力を入れることをお教えするのは、わりと簡単です
いかにもインナーマッスルが足りない感じの方には、多少の腹筋運動や自転車などをお勧めすることもございますが、たいていは、無心でお稽古をお続けになる中で、いつのまにか必要な筋肉が備わっていくようです。正坐をすることで、演奏に不可欠な脚力も自然と鍛えられてまいりますし、正しくお座りになっていただけば、腹筋(丹田)で上半身を支えることも、そんなに難しくはないようです。

力というものは、入れるは容易く、抜くことこそが難しいのでございます


不要な力みは、百害あって一利なく、骨折り損のくたびれ儲け・・・力が抜ければ型も決まり、良い音が出るのでございますが、さあ どうやって抜いていただくかが大問題です。
たとえば、お三味線の構えでしたら、次のように説明させていただきます。


  1、肩の力を抜いて、腕の重さを胴に預けてしまいましょう。アームレストに腕をのせるイメージです。

  2、次に、撥を持つ手の力を抜いてみてください。手がダランと下がりますね。どうぞそのまま弾いてください。


これで、ハイそうですか とばかり、クタッと力を抜いていただけるようでしたら拍手喝采 脱力するコツをよくご存じのエキスパートでいらっしゃいます。


ところが普通はなかなかそううまくはまいりません。上手に弾こうというお気持ちが余って、腕にも指にもコチコチに力が入ってしまいます。仮に腕の力が抜けたとしても、肩に力がはいっていてはいけません。肩甲骨から始まって、肩、上腕部、手首、そしてお指の先まで全部ぐにゃりとリラックスしていただきたいのです。そこのところを観念的な説明に留まらず、具体的にお伝えするには???・・・っと、我が身の指導力不足を嘆くこのごろでございます。





そんな物思いの中で、昔々、大学の体育でお習いした野口体操を思い出しました。野口先生には まず運動に対する先入観を捨て去ること、そして徹底的に身体の力を抜くことを、1年間にわたって教えていただきました。私は、おそらくそこで脱力するコツを体得させていただけたのでございましょう。本当にありがたいことです。当時の学生達はみな夢中になりましたけれども、確かにそれはそれは素晴らしいお授業でございましたワ・・・。

そもそも体育の時間と申しましたら 『頑張る!』『歯をくいしばる』・・・こんなイメージを持ちますけれども、野口体操は逆です。ニコニコまたはむしろヘラヘラしながら運動をしましょうと言われます。力を抜くことで初めて自由自在な動きが可能になるのです。たとえば私達の体は一枚の袋。そのなかに血液などの液体や骨、筋肉などが入っていると考えてみてください。クタクタッと力を抜くとあら不思議・・・これまで出来なかった運動が難なくできます。
腹筋運動を 『おヘソのまばたきっ♪』 と教えていただきましたら、あら不思議・・・楽しく何回でも出来ますよっ



かくいう私も、実は偉そうなことは申せません。無意識に力を入れてしまう日常には、いつもがっかりしております。ふと気がつくと、妙に肩が持ち上がって呼吸が浅くなっていたり・・・そんなときには、腹式呼吸でふぅっと息をはきながら、意識的に肩の力を抜きます。また私は、なにやら考え事をするときに、無意識に中指に力を入れてしまう癖があるようです。それを発見してからは、なるべく気をつけております。

完全な脱力は、ヨガのシャヴァアサナ(安らぎのポーズまたは屍のポーズ)と同じです。
関心をお持ちの方は、お稽古のおついでにおたずね下さいませ。私にわかる範囲で、実地に説明させていただけたらと存じます。






薫風や 千山の緑 寺一つ
風のまにまに身を漂わせ、力むことのない柔らかな毎日を過ごしてゆきたいものでございます





爪塚

2009年05月04日 | 地唄箏曲よもやま
うかうかとただ何気なく過ごしておりますうちに 月日ばかりはめぐりきて・・・とうとう2年ぶりの更新になってしまいました。
ずいぶんなご無沙汰をどうぞお許しくださいませ。

平素はたいへん出無精の私なのでございますが、このところ、どういう加減か片雲の風に誘われることしきり。ちょうど1週間前の4月27日にも、たまたま薦めてくださる方がいらっしゃいまして、京都紫野の大徳寺へふらりと出かけるご縁に恵まれました。『興臨院』という塔頭が、普段は非公開のところを春の特別公開で入れていただけるとのこと、そんなことならと訪れてみました。

表門のたたずまいに、遠く室町の御代に思いを馳せるもありがたく、ご本堂のちょうど真ん中で手を叩くと、びぃ~んと響く『響き天井』を面白く体験させていただいたり、たまたま、ひと月前に訪れたばかりの西湖(中国杭州)の景色が襖絵に描かれているのを見つけたなつかしさに、やはり旅なるものはしておくものと心得たのも嬉しく、おかげさまで贅沢に胸躍らせるひとときを過ごさせていただきました。

なかでも、穀雨にしっとりと包まれた新緑のお庭に植えられた、さまざまな椿の可愛らしいこと こちらは別名『椿寺』とも呼ばれているそうでございまして、椿には少し季節の外れた気味のお庭といえども、珍しい絞りの椿や黒椿がところどころに花をつけて、咲き乱れているほどではないのがかえって趣深い楽しさでございます。


つらつらつばき はるあきの 名は千里まで たかがみね・・・


地唄の『椿づくし』を心の内でひとり唄いし、こんどまた時間をつくり是非鷹峯をも訪ねようなどの企みを胸にしまって、うっとり楽しくお庭を拝見しておりました。

お廊下をまわると、前庭ではない目立たないところのお庭の隅に、私の好きな牡丹が今を盛りと咲いています。まぁっと老眼の目を瞠り、身を乗り出しましたら、ナントその横に 『 琴 爪塚 』 と刻まれた石碑がございました。添付しておりますピンボケの下手くそな写真がそれなのですが、お判りにくくて申し訳ございません。伺いましたら、なんでも先代ご住職の奥様がお箏の先生をなさっていらして、お建てになられたものですとか・・・。


思いもかけない、好いものにお出会いさせていただきました。


お道具を粗末に扱ったことはないつもりです。いつもたいへん大切にしておりますけれども、役目を終えてゆく小さなお道具のひとつひとつに感謝をこめて、しっかりと手を合わせてご供養したことはございませんでした。不肖な蛍に、こんな立派な石碑を造る甲斐性はなくとも、屑籠にポイッと投げ入れるようなことは慎むべきことだったと識りました。
偶然、出会った『爪塚』に胸うたれ、来し方の思いの浅さを恥じながら、今後は心を入れ替えて、諸事おろそかにせず、日々の恵みを大切にしようと強く心に誓ったホタルでございます。


旅とは、かくもあらまほしきもの・・・