蛍のひとりごと

徒然に、心に浮かんでくる地唄のお話を、気ままに綴ってみるのも楽しそう、、、

蛍のフラメンコ

2005年04月29日 | その他のよもやま
私は子供の頃からスポーツとは、とんと縁のないタイプでございます。

なまくら水泳とヨガだけは、長年の習慣で生活の一部となっておりますが、あとはお稽古をするか、本を読んだり何か聴いたりするくらいでございますので、ほとんど座りっぱなしの毎日・・・。大好きな邦楽の世界にどっぷりと浸ってノホホンと日々を過ごしております。

そんな私にもチト思うところがございまして、たまには異文化を体験してみるのも一興かと、以前から興味のあったフラメンコ(と申しましてもスポーツジムのスタジオプログラムでございますが)に初挑戦をしてみましたところ、それがピッタリ狙い通りの面白さです。
ナルホドふ~んな体験をいろいろとさせていただきました。


まず、1,2,3,1,2,3,1,2,1,2,1,2,という12拍子。基本的には足を後ろに蹴ってステップを踏みます。蹴っていない足はしっかりと床を踏みしめていなければなりません。ステップのたび、肩は動かさず腰だけをくねくねさせます。身体が右を向いているときにはお顔は左というように反対の方向を向きまして、顎を引いて下を見ます。その時、これ以上辛い人生はないと言わんばかりに眉間にぐっとシワを寄せることが出来れば、もっと感じがでます。手は、思い切り肘を張って手首を折り(でもタイやインドネシアの踊りほどには曲げません)、くねくねと指を延ばしたり曲げたり致します。先生がときおり「ハー」とか「アー」とかいった合の手をお入れになるのですが、これがまたよろしい。

あぁ、これこそエキゾチックな異郷の音楽。
う~ん、楽しい!!!

おかげさまで、大層ごきげんな一時間を過ごさせていただきました。



ただ、たったひとつだけ残念だったのは・・・
壁いっぱいに張りめぐらされた鏡に写った私の客観的な姿が、足の運びといい、手指の持っていき方といい、あろうことか、どこからどうみても、よくて盆踊り、もしかすると「どじょうすくい」を彷彿とさせるものだったということでございます。


眉間にシワを寄せるどころではございません。可笑しくて可笑しくて、吹き出しそうになるのを必死で堪えながらの楽しい初レッスンでございました。


あとでつくづくため息が出てしまいましたが、ピアニストですとかバレリーナですとかいったような異文化をなりわいとなさっていらっしゃる方々には、私共には想像もつかない程のご苦労が、さぞたくさんおありになることでございましょうね。





ところで、地球上には民族の数だけいろんな音楽と踊りがございます。コミュニティーの数だけと申し上げたほうがよろしいでしょうか。その中には普遍的な要素と、民族(地域)的な要素とがあり、そんなことを感じるだけでも大層面白く心躍る楽しいことでございます。異国の気候や歴史や生活に想いを馳せるとき、音楽は常にとても愛おしく感動的です。そんなワケで、私はどこかへ参りました時、そこのお国の地元の踊りや音楽を見たり聴いたりするのが大好きなのです。



才能の有無には頓着なく、これからも蛍のフラメンコは続きます。
いつの日か真っ赤な薔薇の付いたドレスに身を包んで踊る日が訪れるかもしれません・・・

地唄はふしを味わうもの

2005年04月20日 | 地唄箏曲よもやま
今年の桜は、何と気風のよろしかったこと・・・。

さんざん待たせて焦らせて見事に一斉に咲き誇り、見事に一斉に散っていってしまいました。
おかげさまで、のどけからまし春の心は、ほんの数日間でございましたね。

どなた様もみな桜が大好きですから、いにしえより桜を詠んだ歌が数多くございます。
地唄にもいろいろございますが、あでやかさで申しましたら『西行桜』などいかがでございましょう。


    九重に、咲けども花の八重桜、幾夜の春を重ぬらん。
    然るに、花の名高きは、まず初春を急ぐなる近衛殿の糸桜。

    見渡せば、柳桜をこき交ぜて、都は春の錦燦爛たり。

    千本の桜を植え置き、その色を所の名に見する。
    千本の花盛り、雲路や雪に残るらむ。
    毘沙門堂の花盛り、四天王の栄華もこれにはいかで勝るべき。

    上なる黒谷、下河原、昔遍昭僧正の・・・
    浮世を厭いし華頂山。鷲の御山の花の色。
    枯れにし鶴の林まで、思い知られて哀れなり。

    清水寺の地主の花、松ふく風の音羽山。・・・

    ここはまた嵐山。戸無瀬に落つる滝津波までも。
    花は大井川、井堰に雪やかかるらむ。
    


謡曲の『西行桜』の終わりの方の歌詞を、そのまま持ってきて唄っておりますので、地唄だけ聴いておりましても、どうして西行に関係があるのかサッパリわかりません。もともと知識階級の方々の中で愛されてまいりましたものだけに、あらゆる教養を身につけているのが当然のことのように扱われているのが、何とも粋でおしゃれな反面、現代を生きる私のような庶民にとってはホンニ困りものでございます。



いつぞや「地唄はふしを聴いて味わうもの。詞の意味などどうでもよろしいのですよ。」という耳よりなおはなしを伺いました。亡き井上道子先生がかねがねそうおっしゃっていらしたそうでございます。

ナルホド・・・。
名人とはかくなるものと得心した蛍でございました。


4月20日は穀雨。
時節をわきまえて、今日は、万物に恵を与える雨が降っております。
春雨にしとど濡れて、草花も木の芽も、新緑のエネルギーを蓄えているのでしょう。
そろそろ牡丹が気にかかります・・・