地唄箏曲は、弾き歌いです・・・。
と申しますと、「え?歌うんですか?」とよく驚かれます。
お三味線と申しますと、
やはり歌舞伎座などでご覧になる印象がお強いのでしょうね。
人形浄瑠璃や歌舞伎の下座音楽に使われますのが、
義太夫や長唄、清元、常磐津、
これらはどちらも、もともと舞台音楽として作られておりますので、
お唄は太夫さん、お三味線を弾くのは別の人と決まっております。
あれだけのお声で、長時間の浄瑠璃を語られたり、
お歌いになったりするのですもの。
とても伴奏までご自分でという訳にはまいりませんでしょう。
また、あくまで興行でございますから、
お客様に受けてナンボの世界でございましょ。
泣いたり笑ったりの中に、必ず見せ場を拵えての拍手喝采・・・。
派手でかっこよくて、気分がスカッと致しますね。
最近は津軽三味線が大はやりで、大変結構なことでございます。
ウチなどにも、津軽三味線を教えて下さいというお問合せがございまして、
「申し訳ございませんが・・・」と丁重にお詫び申しあげることが度々。
ところで、津軽三味線は、本来「門付け」の音楽でございます。
転々と家々を廻り、お包みなりお米なりを頂戴できなければ、
その日の食べ物にも困ります。
それは文字通りの命懸けの演奏でございました。
寒い雪の降る戸外に立って長時間弾いていても手がかじかんでしまわないよう、
モーレツな速さで手を動かしてお弾きになるようになったと伺っております。
力強さの中に物哀しさを秘め、叫ぶような切なさに、心がじぃ~んといたします。
そこへまいりますと、地唄は何でございましょ。
良家のお嬢様が教養のひとつとして地唄をお習いになっておりました。
「昔のしきたりは、わりにむつかしおわしたな。
あたしらから考えたら。
お稽古に見えましてもみんな行儀がよろしゅうわりましたしな。
習いやるお方は、お行儀ようしたりやしたな。」
船場で代々地唄やお箏を教える家元でいらした菊原初子先生が
このように美しい船場言葉でお話になっていらっしゃるのを、
襖の陰で、谷崎潤一郎さんがお聞きになり、そのイメージで
『細雪』をご執筆なさったというのが有名なお話でございます。
裕福なご家庭の中とお座敷だけで演奏されてきた音楽です。
寒いワケでもお腹がすいているワケでもございませんし、
ここで何やら頂戴物をしたいような考えなど、まして毛頭ございません。
また、歌舞伎やお芝居のような興行でもございませんので、
お客様に受けなくて木戸銭が入らなかったらどうしましょう
なんて心配をする人もおりません。
大声を張り上げて、ビックリさせなくても結構なのです。
こんな調子でございますから、
「地唄って、なんだか退屈なアレでしょ。」
なんてことになってしまうのも道理でございますわね。
それでも、私は大好きなのです。
たまらなく良いなぁと、はんなり心深くにしみ入って、
ホロリと涙がこぼれるのです。
地唄は結局、自分のために弾く音楽・・・
知っている人達の間だけで腕を磨きあう・・・
ただそれだけのことに人生をかけるのが地唄箏曲演奏家でございます。
好き放題のよしなしごと、異論をお持ちの方にはお腹立ちでもございましょうが、
どうぞお許し下さいませ。のち
http://blog.rankingnet.com/5/ranklink.cgi?id=mionokai
と申しますと、「え?歌うんですか?」とよく驚かれます。
お三味線と申しますと、
やはり歌舞伎座などでご覧になる印象がお強いのでしょうね。
人形浄瑠璃や歌舞伎の下座音楽に使われますのが、
義太夫や長唄、清元、常磐津、
これらはどちらも、もともと舞台音楽として作られておりますので、
お唄は太夫さん、お三味線を弾くのは別の人と決まっております。
あれだけのお声で、長時間の浄瑠璃を語られたり、
お歌いになったりするのですもの。
とても伴奏までご自分でという訳にはまいりませんでしょう。
また、あくまで興行でございますから、
お客様に受けてナンボの世界でございましょ。
泣いたり笑ったりの中に、必ず見せ場を拵えての拍手喝采・・・。
派手でかっこよくて、気分がスカッと致しますね。
最近は津軽三味線が大はやりで、大変結構なことでございます。
ウチなどにも、津軽三味線を教えて下さいというお問合せがございまして、
「申し訳ございませんが・・・」と丁重にお詫び申しあげることが度々。
ところで、津軽三味線は、本来「門付け」の音楽でございます。
転々と家々を廻り、お包みなりお米なりを頂戴できなければ、
その日の食べ物にも困ります。
それは文字通りの命懸けの演奏でございました。
寒い雪の降る戸外に立って長時間弾いていても手がかじかんでしまわないよう、
モーレツな速さで手を動かしてお弾きになるようになったと伺っております。
力強さの中に物哀しさを秘め、叫ぶような切なさに、心がじぃ~んといたします。
そこへまいりますと、地唄は何でございましょ。
良家のお嬢様が教養のひとつとして地唄をお習いになっておりました。
「昔のしきたりは、わりにむつかしおわしたな。
あたしらから考えたら。
お稽古に見えましてもみんな行儀がよろしゅうわりましたしな。
習いやるお方は、お行儀ようしたりやしたな。」
船場で代々地唄やお箏を教える家元でいらした菊原初子先生が
このように美しい船場言葉でお話になっていらっしゃるのを、
襖の陰で、谷崎潤一郎さんがお聞きになり、そのイメージで
『細雪』をご執筆なさったというのが有名なお話でございます。
裕福なご家庭の中とお座敷だけで演奏されてきた音楽です。
寒いワケでもお腹がすいているワケでもございませんし、
ここで何やら頂戴物をしたいような考えなど、まして毛頭ございません。
また、歌舞伎やお芝居のような興行でもございませんので、
お客様に受けなくて木戸銭が入らなかったらどうしましょう
なんて心配をする人もおりません。
大声を張り上げて、ビックリさせなくても結構なのです。
こんな調子でございますから、
「地唄って、なんだか退屈なアレでしょ。」
なんてことになってしまうのも道理でございますわね。
それでも、私は大好きなのです。
たまらなく良いなぁと、はんなり心深くにしみ入って、
ホロリと涙がこぼれるのです。
地唄は結局、自分のために弾く音楽・・・
知っている人達の間だけで腕を磨きあう・・・
ただそれだけのことに人生をかけるのが地唄箏曲演奏家でございます。
好き放題のよしなしごと、異論をお持ちの方にはお腹立ちでもございましょうが、
どうぞお許し下さいませ。のち
http://blog.rankingnet.com/5/ranklink.cgi?id=mionokai