いにしえより地唄箏曲は、口伝で伝承されてまいりました。もともと定まった楽譜などはございません。
お師匠様が、手づから少しずつ教えて下さるものを、その都度、覚えてゆきます。弾いてくださるお師匠様の音を聴き、お手元を拝見し、見よう見まねのお唄を唄いながらお習いしていたのでございます。
そうやって時間をかけてせっかく覚えたものを忘れてしまわないように、こっそり書き留めておりましたものが、だんだん楽譜に発展いたしました。もともとが個人的なメモでございますから、統一されたお約束事はございません。私なども、今だに、私にだけ解る記号を勝手に決めて書き留めております。そうなりますと、お人によって譲れない主義主張がございますので、万人を納得させる様式というものが、そもそも存在できないのでございます。
楽譜の様式が統一されていないので不便というお声を耳に致しますが、そんな事情によるものですので、どうぞご理解下さいませ
楽譜が出版されるようになりましたのは、ごく最近のことでございます。
現在、一般的に普及している大日本家庭音楽会の楽譜も、元はと言えば、ご先代の奥様のお稽古のためにお作りになったものだったと伺いました。ご先代様が奥様のために工夫なさってこの様式で楽譜をお作りになられたところ、奥様の腕が目覚しくご上達なさったものですから、乞われるままにお知り合いの方にもお譲りして差し上げていらっしゃるうちに、遂に出版しましょうということになられたものですとか・・・。当初は、出版するおつもりなど毛頭なく作られたのだそうでございます。そう伺いましたら、たしかに成程と得心のいく楽譜でございました。
地唄箏曲は、楽譜を手にすれば弾けるといったシロモノではございません。単旋律が微妙に揺らいで絡み合い綾なす芸術ですので、オクターブを12で割った単純な音程でもなく、メトロノームで太刀打ち出来るような単純な間でもなく、全く書き表しようがないといったところが本当でございましょう。結局のところ、地唄箏曲の楽譜とは、ちゃんとしたふしが頭に入っていて初めて意味を成す『便利なメモ書』という程度にご認識下さるのがよろしいかと存じます。私共門下生のために、たくさんの作譜をして下さった故宮城喜代子先生ご自身が、晩年になられてからは、自ら書き記された楽譜を憂い、その弊害を嘆いておられたのも理・・・。
楽譜から得られる情報量はごく僅かなものということを肝に銘じてお習い下さいませネ
私のところでも、暗記のお稽古をご希望なさる方には楽譜を使わず、口伝でお稽古をさせていただいております。もちろん少しずつしか進みませんのでお時間はかかりますが、出来上がったものにはインスタントとは違う、言うに言われない真っ当さがあり、かえってご上達の早道のように思います。さはありなん一方で、忙しい現代人の日常の中では、なかなかそんな鷹揚なこともしていられないという現実がございます。そこで、この10年来の試行錯誤の末、現代の実情に即した、私なりにご指導し易い楽譜を考案いたしました。蛍流の楽譜は、不親切なところがウリです。あまり楽譜に頼ることができないよう、敢えて大まかなことしか書き込んでおりません。お力のある方は、有難いことに、お稽古のときに一生懸命お耳で聴いて覚えてくださいます。
細かいふしの有り様は、どうぞ感覚(からだ)で覚えていただけますように・・・
お師匠様が、手づから少しずつ教えて下さるものを、その都度、覚えてゆきます。弾いてくださるお師匠様の音を聴き、お手元を拝見し、見よう見まねのお唄を唄いながらお習いしていたのでございます。
そうやって時間をかけてせっかく覚えたものを忘れてしまわないように、こっそり書き留めておりましたものが、だんだん楽譜に発展いたしました。もともとが個人的なメモでございますから、統一されたお約束事はございません。私なども、今だに、私にだけ解る記号を勝手に決めて書き留めております。そうなりますと、お人によって譲れない主義主張がございますので、万人を納得させる様式というものが、そもそも存在できないのでございます。
楽譜の様式が統一されていないので不便というお声を耳に致しますが、そんな事情によるものですので、どうぞご理解下さいませ
楽譜が出版されるようになりましたのは、ごく最近のことでございます。
現在、一般的に普及している大日本家庭音楽会の楽譜も、元はと言えば、ご先代の奥様のお稽古のためにお作りになったものだったと伺いました。ご先代様が奥様のために工夫なさってこの様式で楽譜をお作りになられたところ、奥様の腕が目覚しくご上達なさったものですから、乞われるままにお知り合いの方にもお譲りして差し上げていらっしゃるうちに、遂に出版しましょうということになられたものですとか・・・。当初は、出版するおつもりなど毛頭なく作られたのだそうでございます。そう伺いましたら、たしかに成程と得心のいく楽譜でございました。
地唄箏曲は、楽譜を手にすれば弾けるといったシロモノではございません。単旋律が微妙に揺らいで絡み合い綾なす芸術ですので、オクターブを12で割った単純な音程でもなく、メトロノームで太刀打ち出来るような単純な間でもなく、全く書き表しようがないといったところが本当でございましょう。結局のところ、地唄箏曲の楽譜とは、ちゃんとしたふしが頭に入っていて初めて意味を成す『便利なメモ書』という程度にご認識下さるのがよろしいかと存じます。私共門下生のために、たくさんの作譜をして下さった故宮城喜代子先生ご自身が、晩年になられてからは、自ら書き記された楽譜を憂い、その弊害を嘆いておられたのも理・・・。
楽譜から得られる情報量はごく僅かなものということを肝に銘じてお習い下さいませネ
私のところでも、暗記のお稽古をご希望なさる方には楽譜を使わず、口伝でお稽古をさせていただいております。もちろん少しずつしか進みませんのでお時間はかかりますが、出来上がったものにはインスタントとは違う、言うに言われない真っ当さがあり、かえってご上達の早道のように思います。さはありなん一方で、忙しい現代人の日常の中では、なかなかそんな鷹揚なこともしていられないという現実がございます。そこで、この10年来の試行錯誤の末、現代の実情に即した、私なりにご指導し易い楽譜を考案いたしました。蛍流の楽譜は、不親切なところがウリです。あまり楽譜に頼ることができないよう、敢えて大まかなことしか書き込んでおりません。お力のある方は、有難いことに、お稽古のときに一生懸命お耳で聴いて覚えてくださいます。
細かいふしの有り様は、どうぞ感覚(からだ)で覚えていただけますように・・・