ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

たぶんだが、この埼玉県警深谷署の署長は、摂食障害者の万引き常習犯に近い精神状態ではないか(追記あり:「愛情では依存症は治せない」は至言だと思う)

2021-06-07 00:00:00 | 社会時評

過日報道された「おいおい」の不祥事を。

>警察署長、自宅で飲酒後にトイレットペーパー盗んだ疑い

2021年6月3日 12時18分
 
 埼玉県警深谷署の田中敬署長(60)=警視=が5月、商業施設でトイレットペーパーを盗んだとして、県警が窃盗容疑で捜査していることが捜査関係者への取材でわかった。

 署長は容疑を認め、辞職願を提出。県警は3日、減給1カ月の懲戒処分にした。今後、同容疑で書類送検する。署長は同日、依願退職した。

 捜査関係者によると、署長は休日だった5月29日、管外の同県鴻巣市にある自宅などで飲酒。同日夜、深谷市内の官舎へ戻る途中にJR鴻巣駅近くの商業施設に立ち寄った際、トイレ個室からトイレットペーパー5個を盗んだ疑いがもたれている。

 トイレットペーパーを持って個室から出てきた署長を目撃した人が警備員に連絡。施設側が「トイレットペーパーを持っていった男を確保している」と近くの交番に通報し、発覚した。

 署長は飲酒などの影響で腹痛を起こしてトイレに入ったと説明しているといい、トイレットペーパーは予備として個室内に置いてあったものという。

事件自体は論外にもほどがあるというものですが、興味深いのがこちら

>県警は2日、窃盗容疑で官舎と自宅を家宅捜索。官舎からは同施設のトイレで盗んだとみられるトイレットペーパー13個が見つかったという。

署長(当時。以下同じ)だから給料は悪くないはずだし、またお手洗いに行くのが近いったって、5個も盗む必要はないし(苦笑、もちろん笑っている場合ではありません)、自宅に13個も置いてあるというのでは、お話にもなりませんね。うんなもん、この時は車の移動ではないかもですが(記事中にも飲酒している旨がありますので、少なくとも自分の運転ではないはず)、まあそれ相応の量のトイレットペーパーをカバンの中にでも用意しておけばいいだけですよね。芯を外せばかさばらない。

同じようなことを何回も書きますと、人間生まれて初めての万引きで逮捕されるということは、そうはないはずで、繰り返ししていて捕まるというものでしょう。それでこの署長は、やっぱり以前からそのようなことをしているらしい。この関係で私が思い出すのが、江川紹子の記事のこちらのくだりです。

>実行行為は「よく覚えていない」

 今回、起訴された事件は2月9日夜。レンタルDVDを返却しに出掛け、その帰りにふっと「明日から3連休だから、その間の食べ物を買っておきたい」と思った。家には、すでに食パンなどもあったが、やたら食べ物を貯め込みたがるのは、摂食障害患者の特徴の1つ。太田市内のスーパーに入り、お菓子コーナーでキャンデー1袋とクレープクッキーを2袋を手に取り、上着の中に隠した。そのまま、パンコーナーに移り、半額セールになった食パンや菓子パンなどをいくつもカゴに入れた。

 お菓子をとった瞬間は、「目の前が、雲がかかるように白くなって、視角が狭くなった」という以外よく覚えていない、という。カゴが体に触れた時、がさっという音がしてハッとし、お菓子をカゴに入れて精算しなければと思ったが、周囲の人がみな自分のことを見ているようで、実行するタイミングをはかりかねていた、と説明する。防犯カメラによれば、その時間は約15分。その間、そこにいる人たちが、口々に「原裕美子よ」「万引きした人ね」と言っているように聞こえた。本当にそう言われたのか、彼女の頭の中だけで響いたのかは、分からない。そこへ、店内の私服警備員の女性が声をかけ、事務所に連行した。

上の引用部で、

>やたら食べ物を貯め込みたがるのは、摂食障害患者の特徴の1つ。

とある部分は、どうもこの署長の精神状況と酷似していますね。たぶんですが、この署長も、トイレットペーパーをやたら貯め込みたがっていたのではないですかね。合理的な事情が見当たらないのだから、これまたどうしようもないにもほどがあるというものです。

上に引用した件については、元マラソンランナーの原裕美子が万引きで逮捕されて執行猶予判決を受けているにもかかわらずまたもやスーパーで万引きをしてしまって、「窃盗癖恐るべし」と社会でも話題になったかと思います。摂食障害患者の窃盗癖、その実情は、以下の引用のようなすさまじいものです。記事を。江川紹子の別の記事です。 

>結婚式の直前に……

 幸せの絶頂期。それが暗転したのは、結婚式を3週間後に控えて実家に帰った後だった。実家で母親と喧嘩になった。それが引き金になったのかもしれない。東京に戻り、職場の上司を訪ねる際の手土産を買おうとデパートに入った時、あの「吐け!」という声が聞こえた。その後の記憶はない。気がつくと、和菓子を万引きしたとして、警備員に捕まっていた。

 これまでの事件も、万引きする時のことはほとんど覚えていなかった。店内のビデオを見ると、自分が商品を盗っているのは確かなのだが、どうしても状況が思い出せない。後に、2つの医療機関から「解離性障害」と診断された。摂食障害は、このように他の障害や病気と重なる場合もある。

 B子は、前科もあることから、常習累犯窃盗罪で起訴された。結婚は破談になると覚悟した。けれども、すべてを知った婚約者は、「病気なら治せばいい」と言ってくれた。彼の両親も、「娘として待っている」という言葉を伝えてくれた。

(中略)

裁判は、一審が懲役2年の実刑判決だったが、控訴。結婚後に立ち直った姿を見せて、控訴審で執行猶予をつけてもらうことを目指した。

 ところが……。

反省や決意や誠意では克服できない病

 勤務先が北関東に変わった夫との新婚生活が始まった。環境の激変で、ストレスがたまり、またもや食べ吐きの衝動を抑えきれなくなった。ある日、買い物に出掛けると、また「吐け!」の声が聞こえた。

 はっと気がついたら、警備員に捕まって、店の事務所に連れて行かれていた。カバンにパンやお総菜を詰め込んでいたのだった。

 「またやってしまったのか……」と激しく落ち込んだ。もう死ぬしかない、と思い詰めた。夫は「僕がいてもダメなのか…」と失望し、離婚を告げた。

 控訴審での執行猶予はもちろん認められず、新たな事件も合わせると、服役期間は3年半と決まった。人生のどん底だった。

個人的な意見を書きますと、私はこの記事の「吐け!」というところを読んで体に悪寒が走りました。それにしても文字通り「手に負えない」とはこのことだという感がありますね。深谷署署長が、原裕美子や引用記事の「B子」ほど重く精神の問題を抱えているということはないのかもですが、それにしたって「警察署長」という立場を忘れるくらいこのような愚鈍なことをするというのは、やはり相当によろしくない状況にあるということでしょう。一種の窃盗依存ですかね。

「依存」という言葉が妥当かどうかわかりませんが、私が何回も記事にしている福岡ソフトバンクホークスの選手(当時)がいます。

某野球選手の不祥事で思ったこと

ほかにもいくつか記事を書いています。

この堂上隼人という人物は、社会人野球をしていた時代に性犯罪(家宅侵入の模様)をして会社を退社、ドラフト会議でも忌避されました。独立リーグに入って、MLBも興味を示したにもかかわらず、おそらくこの性犯罪の前歴がたたり契約にいたりませんでした。その後、「更生した」と認められて、NPBからドラフト指名を受けた(2008年)にもかかわらず、入団(2009年)4シーズン目の2012年に少なくとも3件の性犯罪をして逮捕、球団から契約打ち切り、実刑判決を受けて服役しました。Wikipediaによれば

>犯行の動機については、被告人質問で1軍での出場が少なく不安に駆られたことやコーチとの人間関係に悩んでいた背景を答えたが、原因については「今もわからないです」と述べた

というわけで、つまりは理由なんかないわけです。性犯罪に「理由」なんかあるわけもありませんが、私の勝手な考えでは、たぶん犯行の直前あたりは、頭が真っ白になってあらゆる「社会常識」「自分の今後」「他人への迷惑」を超越した精神状態になるんでしょうね。自分のやったことが、関係者をどれだけ失望させ、迷惑をかけ、自分の将来を台無しにするかなんてことは、まったくもってどうでもよくなるのでしょう。これではどうしようもないですね。先日読んだ本に、大要「欲のない人間というのはまったくどうしようもない」という趣旨のことが書かれていましたが、「欲のない」ということとはまた違いますが、つまりは自分は今後どうなるといったことが関係なくなるのだから、まさにその瞬間は怖いものがない。自宅をリバースモーゲージのような形で売って大金を得たらそれで1億円の高級車を買ってしまい、その何年か後には生活保護受給者になり自宅で孤独死した元予備校講師の佐藤忠志氏のようなものでしょう。

これも、大金を稼いだ人がくだらん散財で財産を失う典型だと思う(複数の追記あり)

ちょっと正直絶望的な気分になってしまった(元予備校講師である佐藤忠志氏の死について)(10月9日発表)

佐藤氏は、DVで逮捕をされたみたいですが、本格的な犯罪者にはならなかったようなのでまだいいですが、ストップがかからなかったという点では、たぶん深谷署署長、原裕美子、「B子」、堂上隼人ほからとおなじようなものでしょう。

それでつくづく「依存て怖いな」と思います。精神障害、発達障害、そこまでいかずとも恒常的な飲酒やギャンブルほかでこのような悪い事態になる可能性がある。死刑事件などでも、大金を浪費した結果起きるというパターンはかなりあります。

夕張保険金殺人事件

長崎・佐賀連続保険金殺人事件

ほかにもいろいろありますが、とりあえず2件ご紹介しておきます。

これはもちろん極端な事例であり、常習的万引き犯がそこまでいくということはないでしょうが、根っこには近いものがあります。死刑とまではいわずとも、佐藤氏のようにまさに最悪の廃人レベルまで行き着いてしまう人もいるわけです。

人間というのも実に依存症とかと近い関係にありますね。ほんと、一生関係したくないものです。

記事発表日の追記:bogus-simotukareさんが、拙記事についての補足とでもいうべき記事を発表してくださいました。

愛情では依存症は治せない

>>夫は「僕がいてもダメなのか…」と失望し、離婚を告げた。

>まあ、この一文を読んで俺が思いついた言葉が「愛情では依存症は治せない」ですね。
 むしろ「依存症があっても愛せるかどうか(治療にどれほど時間が掛かって苦しい思いをしても愛せるか)」という問題でしょう。
 とはいえ、別に俺のオリジナルではなく、最近読んだグランドジャンプ - Wikipedia連載の漫画『Shrink〜精神科医ヨワイ〜』での主人公「精神科医ヨワイ」のセリフですが。
 「自分がアルコール依存の父親を迷惑だと思ってるから、依存症が直らないんじゃないか」と悩む息子や「息子のことを本当は大事に思ってないから酒に走るんじゃないか」と悩むアル中の父親への言葉です。むしろそのように考えることこそが愛情の表れじゃないか。
 もちろん「家族の愛情」は患者に戦う勇気を与えてくれる。そういう意味での重要性はある。このマンガもそうした事実は否定しない。
 しかし「愛情でアルコール依存症が直る(正確には『愛情だけで直る』)」のなら精神医療はいらないし、ヨワイのような精神科医もいらないし、断酒会のようなものもいらない。
 そして「愛情」にこだわると、患者の家族が「私に愛情がないから」と自分を責めたり、逆に「これほど愛してるのに何故酒に走るのか」と家族が患者を攻撃したりとろくなことにならない。
 つまりは依存症脱却には「愛情」プラスアルファとしての「正しい方法論」がある。
 たとえば「君子危うきに近寄らず」、そもそも酒の出そうな宴席に行かなければ、あるいは常日頃から「自分は酒は飲まない」と公言してれば、アルコールについて言えば依存症の危険も減る。あるいは人間は「挫折したとき」に依存したくなるわけです。「挫折しない」つうわけにもいきませんが挫折した場合に「アルコールなどに依存しないで解決するにはどうすべきか」日頃から考える。場合によっては精神科医や断酒会のような他人の力も借りる。

まあそういうことですね。「B子」以外でも、原裕美子も、拙記事でも何度目かの紹介ですが、堂上といい佐藤氏といい、実に様々な人間が、彼(女)らをサポートしようとしてきたわけですが、彼(女)らは徹底的にそれを裏切ってしまったわけです。窃盗癖、性依存(といっていいか?)や浪費癖・アルコール依存・ニコチン依存ほかは、やはりご当人らが最終的になんとかしなければと考えないと行動に移せません。実際、堂上も、酒もやめていたようですが、「もう大丈夫」と思ったかどうかは定かでありませんが、酒も再開してしまったようです。多分ですが、それも彼の再度の性犯罪と無関係ではないのでしょう。

それで私が以前ご紹介した次のような言葉を思い出しました。

これはなかなかの金言だと思う(というわけで、読者の皆さまにもご紹介)

>依存症の分野では、それまで常識と考えられていたことが、次々に覆される。以下はパラドックスの例だ。

・手を放せ

・重症者の方が回復する

・やめようとすることをやめろ

・自分の意志を使うな

・病気になったことは恵み

・無力を認める

・嫌いな人は自分の鏡

・希望をもつのはいい。だが、期待するな

コメント (2)
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