また一週間が過ぎた。
時間がたつのは早いものだ。
一週間が過ぎたということはつまり、最低でも週一回の更新をノルマにしているこのブログもそろそろ更新の時期であるということだ。しかし、例によって今週もこれといって気に入った話題がない。
読みかけの本の話をするのも気が引けるし、かといって映画の話を書く気分でもない。
ということで、考えた末、最近ネットで知ったいくつかの出来事について徒然なるままに書いてみることにする。
まずはこれ。
http://opendoors.asahi.com/data/detail/7143.shtml
朝日新聞社の発行する雑誌「論座」2月号で、読売新聞の渡邉恒雄主筆と朝日新聞の若宮啓文論説主幹が対談し、「小泉首相の靖国参拝反対」と「新たな追悼施設の建設」という2点で意見が一致したとのこと。論座の表紙には「共闘」の文字が。
聞くところによると、朝日と読売双方の紙上において近々戦争責任問題に関する特集を組むらしい。
とことろで、読売といえば最近、あの海老沢勝二前NHK会長を調査研究本部の顧問に就任させたことで話題になったばかりである。ということはつまり、今後、海老沢氏の影響が色濃く残るNHKをも巻き込んで、朝日、読売、NHKの3大手メディアによる共同戦線が成立する可能性があるのではないだろうか。そして仮にそうなった場合、小泉総理はもちろんだが、次期総裁候補に名乗りを上げている安倍晋三氏もうかうかしてはいられなくなるだろう。
最近、いくつかのブログでも「ナベツネをちょっと見直した」という論調を目にすることがあるけれども、ナベツネとエビ・ジョンイルという国民の2大不人気者が揃って靖国反対派の希望の星になるなんて、なんだか考えただけで愉快だ。
ちなみに、ジャーナリスト魚住昭氏の「渡邉恒雄 メディアと権力」によれば、
そもそも渡邉氏は、東京高等学校時代から「反天皇制」「反軍国主義」を周囲の人間に公言して憚らなかったという。
渡邉氏は昭和20年4月に東大文学部哲学科に入学し、同年6月には招集され三宿砲兵連隊に入営する。このとき彼は、もしも本土に米軍が上陸してきたらさっさと単身投降しようと計画を立て、捕虜収容所で読むために、カントの「実践理性批判」、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩集、そしてポケット英語辞書の3冊を枕の下に隠し持っていたそうだ。
であるからして、渡邉氏が終戦後、反戦、反天皇を唱える日本共産党に入党することとなったのはきわめて自然な成り行きであったといえる。
しかし一方で、もともと自己顕示欲の強い渡邉氏が、当時の徳田球一や宮本顕治のような、ひと癖もふた癖もある共産党の「天皇」連中とそりが合わなかったというのも容易に想像ができるわけで、わずか2年足らずで彼が共産党を脱党することになったのもこれまた当然の成り行きだったに違いない。
というわけで、再び「渡邉恒雄 メディアと権力」の表現を借りるならば、渡邉氏は「『徳田天皇』制的体制に反発して脱党し、結局自分がマスコミの天皇になってしまった」訳であるが、いずれにせよ、渡邉氏が小泉総理の靖国参拝に対してただならぬ感情を持ち合わせていることは間違いなさそうだ。
(ちなみに、NHKの番組改変問題の決着がついていない段階で、朝日がNHKと共闘するなんてことが実際にありうるのかどうかは???)
さて、それから今週もう一つ気になった話題はこちら。
http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200601130006.html
これには驚いた。実は以前このブログで冤罪の可能性のある別の死刑囚のことをちょっと書いたことがあったからだ。(詳しくはこちら)
しかし、今回の話はマジでシャレにならん。
この死刑囚を支持してきた人たちはまったくの赤っ恥だったわけだ。
支援団体の代表者の「認めるのはつらいが、私が間違っていた。腹を足げにされたような気持ちだ」という言葉が妙に空しく響く。
ちなみに、死刑制度存廃に関する僕の個人的な考えについてはそのうちに書くかもしれない。今日は長くなったのでこのへんでやめておく。
時間がたつのは早いものだ。
一週間が過ぎたということはつまり、最低でも週一回の更新をノルマにしているこのブログもそろそろ更新の時期であるということだ。しかし、例によって今週もこれといって気に入った話題がない。
読みかけの本の話をするのも気が引けるし、かといって映画の話を書く気分でもない。
ということで、考えた末、最近ネットで知ったいくつかの出来事について徒然なるままに書いてみることにする。
まずはこれ。
http://opendoors.asahi.com/data/detail/7143.shtml
朝日新聞社の発行する雑誌「論座」2月号で、読売新聞の渡邉恒雄主筆と朝日新聞の若宮啓文論説主幹が対談し、「小泉首相の靖国参拝反対」と「新たな追悼施設の建設」という2点で意見が一致したとのこと。論座の表紙には「共闘」の文字が。
聞くところによると、朝日と読売双方の紙上において近々戦争責任問題に関する特集を組むらしい。
とことろで、読売といえば最近、あの海老沢勝二前NHK会長を調査研究本部の顧問に就任させたことで話題になったばかりである。ということはつまり、今後、海老沢氏の影響が色濃く残るNHKをも巻き込んで、朝日、読売、NHKの3大手メディアによる共同戦線が成立する可能性があるのではないだろうか。そして仮にそうなった場合、小泉総理はもちろんだが、次期総裁候補に名乗りを上げている安倍晋三氏もうかうかしてはいられなくなるだろう。
最近、いくつかのブログでも「ナベツネをちょっと見直した」という論調を目にすることがあるけれども、ナベツネとエビ・ジョンイルという国民の2大不人気者が揃って靖国反対派の希望の星になるなんて、なんだか考えただけで愉快だ。
ちなみに、ジャーナリスト魚住昭氏の「渡邉恒雄 メディアと権力」によれば、
そもそも渡邉氏は、東京高等学校時代から「反天皇制」「反軍国主義」を周囲の人間に公言して憚らなかったという。
渡邉氏は昭和20年4月に東大文学部哲学科に入学し、同年6月には招集され三宿砲兵連隊に入営する。このとき彼は、もしも本土に米軍が上陸してきたらさっさと単身投降しようと計画を立て、捕虜収容所で読むために、カントの「実践理性批判」、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩集、そしてポケット英語辞書の3冊を枕の下に隠し持っていたそうだ。
であるからして、渡邉氏が終戦後、反戦、反天皇を唱える日本共産党に入党することとなったのはきわめて自然な成り行きであったといえる。
しかし一方で、もともと自己顕示欲の強い渡邉氏が、当時の徳田球一や宮本顕治のような、ひと癖もふた癖もある共産党の「天皇」連中とそりが合わなかったというのも容易に想像ができるわけで、わずか2年足らずで彼が共産党を脱党することになったのもこれまた当然の成り行きだったに違いない。
というわけで、再び「渡邉恒雄 メディアと権力」の表現を借りるならば、渡邉氏は「『徳田天皇』制的体制に反発して脱党し、結局自分がマスコミの天皇になってしまった」訳であるが、いずれにせよ、渡邉氏が小泉総理の靖国参拝に対してただならぬ感情を持ち合わせていることは間違いなさそうだ。
(ちなみに、NHKの番組改変問題の決着がついていない段階で、朝日がNHKと共闘するなんてことが実際にありうるのかどうかは???)
さて、それから今週もう一つ気になった話題はこちら。
http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200601130006.html
これには驚いた。実は以前このブログで冤罪の可能性のある別の死刑囚のことをちょっと書いたことがあったからだ。(詳しくはこちら)
しかし、今回の話はマジでシャレにならん。
この死刑囚を支持してきた人たちはまったくの赤っ恥だったわけだ。
支援団体の代表者の「認めるのはつらいが、私が間違っていた。腹を足げにされたような気持ちだ」という言葉が妙に空しく響く。
ちなみに、死刑制度存廃に関する僕の個人的な考えについてはそのうちに書くかもしれない。今日は長くなったのでこのへんでやめておく。
いつもありがとうございます。
ナベツネが「希望の星」などとちょっとふざけた言い方をしてしまいました。
しかし、この世代の人の発言は、実際の経験に基づいているだけに大いに説得力があると思います。
それこそ彼は、こんなふうに一刀両断にものを言うことの出来る最後の世代なのかもしれません。
ただ、僕としては、ナベツネに、そのままの調子で吼えまくってほしいなと思う反面、彼の意向一つで紙面の内容が決定してしまう読売の体質に相変わらず胡散臭いものも感じてしまいます。
私も「ナベツネをちょっと見直した」クチです。今の保守化の中で保守から靖国問題を一刀両断に切り捨てる言論人の登場というのは貴重だと思います。しかしナベツネさんが「靖国参拝反対派希望の星」というのではやはりこの国に危機感を感じてしまいますね。
でもなんとなくわかる気がします。僕の勝手な思い込みかもしれませんが、彼のような芸術家肌の人のなかに好戦的な人ってあまり見かけないような気がしますから。
一方ナベツネさんはというと、あのふてぶてしい態度からは“反戦”という雰囲気はちょっと想像しにくいですよね。人は見かけによらないもんです。
本当に戦争そのものがあって、まさに入隊されるのはいつか、という状況ですから、その時代でちょっと勉強できる人はそういう主義の人多いのではないでしょうかね。