今日はキング牧師の誕生日で、一応national holidayのはずなのですが、町に出ると普段の休日より格段に人通りや車の交通量が多く、ちゃんと休んでいる人は少ないように見受けられます。
私の住んでいるアパートでは、毎年なぜかこの日になると一斉に害虫駆除のための殺虫剤散布が行われます。そして、殺虫剤のタンクを担いで現れるのはこれもまたなぜかこの日に限って全員白人の作業員です。
先ほど、殺虫剤散布に訪れた白人の若者から、「お前は、今日は休みなのか?」と聞かれたので、僕は「そうだよ」と答えました。若者に特に深い意味はなかったのかもしれませんが、あるいは意図的に発せられた質問だったのかもしれません。
僕の勘ぐりすぎかもしれませんが。。。
さて、ということで手抜きのようで申し訳ありませんが、以下昨年の今日書いた記事を再録することにします。
〈以下、1/16/2005に書いた文章の再録。一部手直しした箇所あり〉
アメリカは今日“マーチンルーサーキング牧師の誕生日”であった。
ここヒューストンは快晴。とても過ごし易い一日だった。
キング牧師といえば言わずと知れたアメリカ黒人公民権運動の指導者だ。
彼の残した“I have a dream..”という演説はあまりにも有名である。なにを隠そう僕も中学の英語の時間に彼の演説をサイドリーダーとして勉強したものの一人だ。
マハトマ・ガンジーの影響を色濃く受けた彼は非暴力主義を唱え、アラバマのバス・ボイコット運動などはじめとする多くの黒人人権運動を指揮し、1964年にはノーベル平和賞を受賞する。
そして、敬愛したガンジー同様、彼は1968年の4月4日に暗殺される。
(僕がはるか海の向こうの日本で生を受けたのはそれから僅か10日後のことだ、、、。)
ちなみに、キング牧師の誕生日が国民の祝日になったのは1989年のことである。時の大統領はレーガンであった。当時、この祝日の制定に反対した多くの白人達がアメリカ全土でデモを行ったという。
あのマイケルムーアがボーリング・フォー・コロンバインを撮った後にイギリスで行った記者会見でのやり取りが印象的だ。
記者 「なぜアメリカ白人を目の敵にするような言動を行うのですか?」
マイケル 「子供の頃、両親に連れられて教会に行った帰り道、一緒に教会から出てきた信者の一人がラジオのニュースを耳にして『キング牧師が撃たれたぞ!』って叫んだんだ。そのとき、まわりにいた大人達が一斉に喚起の声をあげたんだ。僕はあの瞬間アメリカは何かがおかしいと感じたんだ」
「コリン・パウエルやコンドリーザ・ライスは黒人達の間ではヒーローなんでしょう?」
一年前、僕はある知人に尋ねた。
その人はこう応えた。
「とんでもない、彼らはちっとも尊敬されていないよ。彼らは、白人の歴史を学び、白人と同様の生活をし、白人の価値を身につけた。いってみれば裏切り者のような存在さ」と。
13歳の時、僕は南部の州アラバマで1ヶ月ホームステイをした。
ステイ先の屋敷には大きな書庫があった。
僕は、時々そこへもぐりこんで古めかしい本をあれこれ引っ張り出しては眺めるのが好きだった。
ある日僕は本棚の一番高いところに“American History”という埃まみれの本を見つけた。
その本の中には、アメリカ南部の歴史が多くの写真とともに綴られていた。
本はKKKと黒人差別の歴史にかなりのページを割いていた。
見開き2ページにわたる大きな写真には、巨大な木に吊るされたおびただしい数の黒人の死体のもとで白い歯をむいてポーズをとったり、死体を指差して雄たけびを上げる白人達の様子が収められていた。背筋が凍るような思いで、その写真に見入っていると家主の母親が近寄ってきて僕からそっとその本を取り上げて、悲しそうな顔でこういった。
「これは、アメリカの悲しい歴史なんだよ、、、」
ビリーホリデイの“Strange Fruits”というアルバムは僕の心の一枚である。あの木に吊るされた黒人達を彼女は“奇妙な果実”のようであると物憂げに歌う。彼女の声を聴くたびに、あのときの母親の悲しい表情を思い出す。
暴力を容認し過激な運動に走ったマルコムXが65年に暗殺され、非暴力を説いたキング牧師がその僅か3年後に凶弾に倒れた。キング牧師の死から今年で37年が経つ。
果たして彼の夢は叶ったのだろうか。
私の住んでいるアパートでは、毎年なぜかこの日になると一斉に害虫駆除のための殺虫剤散布が行われます。そして、殺虫剤のタンクを担いで現れるのはこれもまたなぜかこの日に限って全員白人の作業員です。
先ほど、殺虫剤散布に訪れた白人の若者から、「お前は、今日は休みなのか?」と聞かれたので、僕は「そうだよ」と答えました。若者に特に深い意味はなかったのかもしれませんが、あるいは意図的に発せられた質問だったのかもしれません。
僕の勘ぐりすぎかもしれませんが。。。
さて、ということで手抜きのようで申し訳ありませんが、以下昨年の今日書いた記事を再録することにします。
〈以下、1/16/2005に書いた文章の再録。一部手直しした箇所あり〉
アメリカは今日“マーチンルーサーキング牧師の誕生日”であった。
ここヒューストンは快晴。とても過ごし易い一日だった。
キング牧師といえば言わずと知れたアメリカ黒人公民権運動の指導者だ。
彼の残した“I have a dream..”という演説はあまりにも有名である。なにを隠そう僕も中学の英語の時間に彼の演説をサイドリーダーとして勉強したものの一人だ。
マハトマ・ガンジーの影響を色濃く受けた彼は非暴力主義を唱え、アラバマのバス・ボイコット運動などはじめとする多くの黒人人権運動を指揮し、1964年にはノーベル平和賞を受賞する。
そして、敬愛したガンジー同様、彼は1968年の4月4日に暗殺される。
(僕がはるか海の向こうの日本で生を受けたのはそれから僅か10日後のことだ、、、。)
ちなみに、キング牧師の誕生日が国民の祝日になったのは1989年のことである。時の大統領はレーガンであった。当時、この祝日の制定に反対した多くの白人達がアメリカ全土でデモを行ったという。
あのマイケルムーアがボーリング・フォー・コロンバインを撮った後にイギリスで行った記者会見でのやり取りが印象的だ。
記者 「なぜアメリカ白人を目の敵にするような言動を行うのですか?」
マイケル 「子供の頃、両親に連れられて教会に行った帰り道、一緒に教会から出てきた信者の一人がラジオのニュースを耳にして『キング牧師が撃たれたぞ!』って叫んだんだ。そのとき、まわりにいた大人達が一斉に喚起の声をあげたんだ。僕はあの瞬間アメリカは何かがおかしいと感じたんだ」
「コリン・パウエルやコンドリーザ・ライスは黒人達の間ではヒーローなんでしょう?」
一年前、僕はある知人に尋ねた。
その人はこう応えた。
「とんでもない、彼らはちっとも尊敬されていないよ。彼らは、白人の歴史を学び、白人と同様の生活をし、白人の価値を身につけた。いってみれば裏切り者のような存在さ」と。
13歳の時、僕は南部の州アラバマで1ヶ月ホームステイをした。
ステイ先の屋敷には大きな書庫があった。
僕は、時々そこへもぐりこんで古めかしい本をあれこれ引っ張り出しては眺めるのが好きだった。
ある日僕は本棚の一番高いところに“American History”という埃まみれの本を見つけた。
その本の中には、アメリカ南部の歴史が多くの写真とともに綴られていた。
本はKKKと黒人差別の歴史にかなりのページを割いていた。
見開き2ページにわたる大きな写真には、巨大な木に吊るされたおびただしい数の黒人の死体のもとで白い歯をむいてポーズをとったり、死体を指差して雄たけびを上げる白人達の様子が収められていた。背筋が凍るような思いで、その写真に見入っていると家主の母親が近寄ってきて僕からそっとその本を取り上げて、悲しそうな顔でこういった。
「これは、アメリカの悲しい歴史なんだよ、、、」
ビリーホリデイの“Strange Fruits”というアルバムは僕の心の一枚である。あの木に吊るされた黒人達を彼女は“奇妙な果実”のようであると物憂げに歌う。彼女の声を聴くたびに、あのときの母親の悲しい表情を思い出す。
暴力を容認し過激な運動に走ったマルコムXが65年に暗殺され、非暴力を説いたキング牧師がその僅か3年後に凶弾に倒れた。キング牧師の死から今年で37年が経つ。
果たして彼の夢は叶ったのだろうか。
昨年、キング牧師と共に公民権運動をした方が我校で講演をされました。
「共に生きる」ということを真剣に考え、取り組んでいらっしゃいます。そして彼を呼んだのは紛れも無く、白人のアメリカ人学生達です。
肌の色だけで区別が出来ないこともある・・・
でも、肌の色で区別したい人もいる・・・
歪んだ世界ですよね。
でも、肌の色で区別したい人もいる・・
そうですよね。
人種に関係なくracistはいるでしょうから僕はそれに関してどうこう言うつもりはありません。最終的には人それぞれの内面にかかわる問題でしょうから。
ただし、それが目に見える形として現れることには大きな抵抗を感じます。
殺虫剤散布の件については僕も確信があるわけではありません。
ただの勘ぐりすぎだといいのですが。
これは無視という新手のdiscriminationの方法でしょうか。
>>場の空気を読んでいないコメントですが
いえいえとんでもございません。いつでも大歓迎です。
ちなみに、ということは、nyu_gyoさんの棟の殺虫剤散布は別の日にやるのですか?それとも殺虫剤散布自体が来ないのですか?
僕のところは去年も同じ日にやってきました。
実は、害虫扱いされているのは僕の方だったりして(笑)
ということで、nyu_gyoさんのNEJMの記事もたのしみにしてます。
著者がいうには、アメリカという他民族国家では共通認識をお互いに共有することは不可能で、しかしながら何かを決定するためには、基準となるものを作らないといけない。そのために「論理が全て」という文化を形成せざるを得なかった。と言っています。そのために、至る所で、ディベートが行われ、積極的な論理合戦を行い、正しいか正しくないか?白黒つけるまでやり合い、後腐れを残さないみたいなことがごく普通に行われています。
しかし、人はやはり、情緒というものがあり、論理で打ち負かされても、どうしてもそれを受け入れられない場合も多く、その場合に暴力といった手段を行使してしまう。
そのような、グローバリズムは間違っているっと著者は述べています。本では、かなり偏った見方も出てきていますが、往々にして納得できる事が多いような気がします。
つまりは、このような悲しい負の連鎖は、あまりにも論理偏重の国では、無くならないという言い方も出来ます。
ところで、メール送りたいんですけど、アドレスが分かりません。。
その本は読んでいないのですが、藤原氏の言いたいことはわかるような気もしますし、またそのような考え方は一理あると思います。
僕も同様なことを考えることがあります。
(ちなみに、暴力という手段を行使してしまうのは、逆差別された白人たちのほう?)
ただ、その一方で論理が希薄で情緒に流されやすいがために、堂々巡りを繰り返し、一向に前に進めない日本社会の愚かさというものも同時に感じます。また、そのような体質が腐敗を生む原因の一つになっているようにも感じます。
先の総選挙で小泉政権が大勝ちしたのも、ある意味国民のそういったもどかしさの現れだったような気もします。
corporatism(談合主義)か?徹底した優勝劣敗主義か?
大変に難しい問題だと思います。
ということで、このへんを語りはじめると夜が明けてしまいそうなので、このへんにしておきます。
ちなみにアドレスはDAZ君あてに送っときます。
その1・黒人の人達に対して、ニガーっと思っていること。面識の無い人に対しても、最初から口にはださなくても、見下している。
その2・南米の人達に対して、南米系の何処の国出身であっても(たとえアメリカ永住権保持者であっても) ”メキシカン”っと言って、最初っから不法移民だと見下していること。
アジア系の私達に対して本音はどうなのか?!
だいたい、日本が世界地図の何処に位置しているか正確にわかる人もいないし、、。アジア系に関しては、特に私自身差別されたことはないけど、被害者妄想かもしれないけど、でもなんとなく白人が一番なんだっと何処かで彼らが思っているのが伺えるのが、気に食わない次第です。
話は戻りますが、黒人の人達に対する差別は、実際に過激に移して差別をする人もいますが、大抵の一般市民は行動にこそ移さないものの、日本人の私には理解しがたい、言動(陰口)を沢山聞きました。彼ら(白人)の言い分としては、犯罪を犯すのは常に黒人。っと下等動物とでも言いたいような言い草の人もいます。
コメントありがとうございます。
僕もいやな思いをしたことは何度かあるので、最近は嫌な思いをしそうな場所には意識して近づかないようにしています。
>>犯罪を犯すのは常に黒人
単純にデータだけを見ると決して間違いとは言い切れないところもあるので、そういう物言いをする人たちがいるのはある意味仕方のないことのようにも思えます(あまり賛成はしませんが)。
先のコメントにも書いたように、最終的には個人の内面に潜む感情の問題だと思います。
そして、感情の問題であるだけに、そこに踏み込んでものを言うのは難しいと思います。
ですから、そういった差別感情の是非を今更のように問題にすること自体が僕にはあまり意味のあることには思えないのです。
ただし、これについて自分の考えを書き始めるとまた夜が明けてしまいそうなのでこのへんでやめときます。
いつか気が向いたら何か書くかもしれません。
また遊びに来てください。