ジャズを聴いていて時々変なことを考える。
“歌は世につれ、世は歌につれ”などと言うけれど、ことジャズに至っては“世につれる”ことなんてほとんどないよなーと。
「私ジャズ聴いてみたいんですけど何かイイのないですか?」と聞かれたら、
やはり、最初はマイルスとかコルトレーンとかパーカーとかバド・パウエルとか、ビルエバンスとかまあ誰でもいいけどとにかく一応その辺のJazz Giantsと言われる人たちを紹介するのが普通だと思う。
そして後日「この間紹介していただいたやつ、とてもよかったです!感激しました!来日しないんですか?その人、、」と言われ、
「えっ??」と一瞬たじろいでしまう。
よくよく考えると(考えなくてもそうなんだが)みんなもうこの世にいない人ばっかりなのだ。
来日しようがないのだ。
「ごめん、その人もう死んじゃってるから、、。」
「えーっ!まじですか?ショック!」
ジャズ界は、基本的にいつまでたっても死んじゃった人たちの遺産で食ってるのである。
ここがポップスとは大きく食い違う点である。
特に日本のレコード会社は手を変え品を変えこれら遺産を再販することによって細々と食いつないでいるという現状がある。やれボーナストラックだボックスセットだと次から次へとリリースされるとジャズマニアはそのたびにおんなじアルバムを購入する羽目に陥ってしまうのだ。
さらに付け加えて言えば
ジャズには、俗に言う“一発屋”は存在しない。
ジャズ界の久保田早紀みたいなのはまずあり得ないと言っていい。
また、ポップスではもはや定番の“特典付きCD”というのもジャズではほとんど見かけることはない。
“初回限定、マイルス消しゴム付き”もないし
“もれなくエルビン・ジョーンズ等身大ポスタープレゼント”など絶対にありえない。(もしあってもいらないけど、、)
もし僕がチェットベ-カーの「There will never be another you」を物思いにふけりながら聴けばひょっとしたらカッコよく見えるのに、
これがトシちゃんの「哀愁でいと」だったら変なおじさんにしかみえないのは何故なのだろう。
どう考えてもチェットベ-カーのほうが古いし、第一トシちゃんはまだ生きてるけどチェットベ-カーはとうにあの世の人ではないか??
流行歌とこれらジャズとのこの微妙な違いは果たしてどこに起因するのだろうか?
とても不思議である。
「流行り廃りがあるからポップスなんですよ。そんなこといったらクラシックだって遺産で食ってますよ」という人がいた。
おっ、確かにその通り。
クラシックも言われてみればジャズと同じだ。ひょっとするとジャズよりずっとその傾向は強いかもしれない。
ということはポップスというジャンルこそが特別な存在なのであって、ジャズとかクラシックのほうがむしろ普通なのかも、、。
まあこんなことを延々と考えていてもしょうがないのだが、流行歌とは何か?ジャズとは何か?考えれば考えるほど謎は深まるばかりである。
“歌は世につれ、世は歌につれ”などと言うけれど、ことジャズに至っては“世につれる”ことなんてほとんどないよなーと。
「私ジャズ聴いてみたいんですけど何かイイのないですか?」と聞かれたら、
やはり、最初はマイルスとかコルトレーンとかパーカーとかバド・パウエルとか、ビルエバンスとかまあ誰でもいいけどとにかく一応その辺のJazz Giantsと言われる人たちを紹介するのが普通だと思う。
そして後日「この間紹介していただいたやつ、とてもよかったです!感激しました!来日しないんですか?その人、、」と言われ、
「えっ??」と一瞬たじろいでしまう。
よくよく考えると(考えなくてもそうなんだが)みんなもうこの世にいない人ばっかりなのだ。
来日しようがないのだ。
「ごめん、その人もう死んじゃってるから、、。」
「えーっ!まじですか?ショック!」
ジャズ界は、基本的にいつまでたっても死んじゃった人たちの遺産で食ってるのである。
ここがポップスとは大きく食い違う点である。
特に日本のレコード会社は手を変え品を変えこれら遺産を再販することによって細々と食いつないでいるという現状がある。やれボーナストラックだボックスセットだと次から次へとリリースされるとジャズマニアはそのたびにおんなじアルバムを購入する羽目に陥ってしまうのだ。
さらに付け加えて言えば
ジャズには、俗に言う“一発屋”は存在しない。
ジャズ界の久保田早紀みたいなのはまずあり得ないと言っていい。
また、ポップスではもはや定番の“特典付きCD”というのもジャズではほとんど見かけることはない。
“初回限定、マイルス消しゴム付き”もないし
“もれなくエルビン・ジョーンズ等身大ポスタープレゼント”など絶対にありえない。(もしあってもいらないけど、、)
もし僕がチェットベ-カーの「There will never be another you」を物思いにふけりながら聴けばひょっとしたらカッコよく見えるのに、
これがトシちゃんの「哀愁でいと」だったら変なおじさんにしかみえないのは何故なのだろう。
どう考えてもチェットベ-カーのほうが古いし、第一トシちゃんはまだ生きてるけどチェットベ-カーはとうにあの世の人ではないか??
流行歌とこれらジャズとのこの微妙な違いは果たしてどこに起因するのだろうか?
とても不思議である。
「流行り廃りがあるからポップスなんですよ。そんなこといったらクラシックだって遺産で食ってますよ」という人がいた。
おっ、確かにその通り。
クラシックも言われてみればジャズと同じだ。ひょっとするとジャズよりずっとその傾向は強いかもしれない。
ということはポップスというジャンルこそが特別な存在なのであって、ジャズとかクラシックのほうがむしろ普通なのかも、、。
まあこんなことを延々と考えていてもしょうがないのだが、流行歌とは何か?ジャズとは何か?考えれば考えるほど謎は深まるばかりである。
私、ゴスペルを歌って早27年なんですけど(だって最初に歌ったのは10歳だから)どれもこれもふっるーい曲が多いわけじゃないですか。日本でよく聞かれるアメージング・グレイスとかアベ・マリアとか100年ものでしょ?Oh happy dayだって60年代だしね。不思議だなって思います。
今日から5日間NJから友達が来てワークショップやってて、そこで毎日5時間歌ってるんですが、古い曲から新しい曲まで様々です。どれもとってもいい曲で、友達のオリジナル曲が又良いんですよ。めっちゃブラックサウンドに浸っています。
私はジャズ・ボーカルならエラを憧れにしているんですけど、彼女も死んじゃったしね・・・。
結局、新しいか古いかなんてたいしたことじゃないのかもしれませんね。
音楽にしても、映画にしても、小説にしても、絵画にしても、本当にすばらしいものってそうそう次々と生まれてくるもんじゃないですよね。
そして、運良くこの世に残ることが出来た本当に美しいものだけがずーっと語り継がれていくんでしょうね、、。
特に音楽は瞬間の芸術ですから、つかまえるのがとても難しい。
むかしチャーリー・パーカーが
「奏でた音はすべてが一瞬にして宙に消えてしまう。だから音楽はすばらしいのだ」
みたいなことを言ってたけど
音楽の一瞬の奇跡みたいなものって確かにそうそう訪れるものじゃない。
自分で演奏している人間にはその感覚ってよーくわかりますよね。
今日、200年ほど昔に書かれた曲を歌って
更にそう思わされましたよ。
聴覚って人が最初から最後まで持ち続ける
感覚の代表らしいんですよ。音から逃れるのは本当に大変だしね。だからこそ、音の世界は深い。好き嫌いでもめたりしやすいし・・・。
今日も「やられたー!!」というサウンドに浸ってまいった、一歌い手でした。