“たかが”こんなことで学生を停学にする困った大学と、
それを見て驚嘆の声をあげたイタリア人たちの、いわば“当たり前の”反応に、逆におどろきを隠せない困ったこの国の人々。
<落書き>伊紙「あり得ない」 日本の厳罰処分に
先日読んだ内田樹氏の『私家版ユダヤ文化論』の一節を引用するならば、
「私自身が私自身の善性の最終的な保証人でなければならない。(中略)神への恐れ、神の下すであろう厳正な裁きの予感が私を善へと導くのではなく、善への志向は私の内部に根拠を有するものでなければならない。私が本当に自ら主を追い払い、その罰を主から受けることを恐れているとしたら、その有責感は単なる懲罰への恐怖にすぎない。私は善であるのではなく、単に恐怖しているにすぎない。トーテム宗教が生み出すのはそのような『恐怖する子供』たちだけである。それは自らの良心に基づいて善を志向する成熟した『大人』ではなく、外部にある戒律に盲従して、処罰をまぬがれようとする『幼児』である」
ということに尽きる。
この国は、叱責に恐れ慄く『幼児』の集団でしかないのか。
もちろん、ここでいう『幼児』の集団とは、学生を停学にした大学関係者のことであり、落書きの主をいちいち同定して責任追及するお馬鹿なマスコミのことであり、さらにそのマスコミの垂れ流す報道に対し何の疑いも抱こうとしない日本人たちのことであることは、言うまでもない。
それを見て驚嘆の声をあげたイタリア人たちの、いわば“当たり前の”反応に、逆におどろきを隠せない困ったこの国の人々。
<落書き>伊紙「あり得ない」 日本の厳罰処分に
先日読んだ内田樹氏の『私家版ユダヤ文化論』の一節を引用するならば、
「私自身が私自身の善性の最終的な保証人でなければならない。(中略)神への恐れ、神の下すであろう厳正な裁きの予感が私を善へと導くのではなく、善への志向は私の内部に根拠を有するものでなければならない。私が本当に自ら主を追い払い、その罰を主から受けることを恐れているとしたら、その有責感は単なる懲罰への恐怖にすぎない。私は善であるのではなく、単に恐怖しているにすぎない。トーテム宗教が生み出すのはそのような『恐怖する子供』たちだけである。それは自らの良心に基づいて善を志向する成熟した『大人』ではなく、外部にある戒律に盲従して、処罰をまぬがれようとする『幼児』である」
ということに尽きる。
この国は、叱責に恐れ慄く『幼児』の集団でしかないのか。
もちろん、ここでいう『幼児』の集団とは、学生を停学にした大学関係者のことであり、落書きの主をいちいち同定して責任追及するお馬鹿なマスコミのことであり、さらにそのマスコミの垂れ流す報道に対し何の疑いも抱こうとしない日本人たちのことであることは、言うまでもない。
世界遺産を保有する国は、その国内法により文化財を保護する義務があり、イタリアであればイタリアの刑法で裁かれなければならない行為です。
イタリアのモラルが文化財に対する落書きに対して、意識が低いからといって、刑法に抵触しないわけではなく、たかが落書きで罰則が厳しすぎる。罰を下した側を幼児の集団と貶めるのは、いかがなものかと思います。
でも、クビになったのは落書きがきっかけかもしれませんが、評判が悪くて、渡りに船とばかりに処分されたのかもしれません。
監督の処分が重過ぎると監督を擁護するのならば、なにもバカイタリア人の言葉を借りる必要はありません。これでは、落書きは悪いことではないと宣伝しているようなものでしょう。
更待月さま。コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、確かに落書きは犯罪ですよね。
もちろん私も文化財へ落書きするような輩を擁護するつもりなどさらさらありません。
括弧つきで“たかが”落書きと書いたのにはそういう含みを持たせたつもりです。
しかし、それはそれとして、やっぱり落書きの主を同定してわざわざ追っかけまわし、それをネタにして糾弾するワイドショーの感覚はどうかと思いますね。それとマスコミに取り上げられることになったと分かるや否や当事者を処分した大学。名前が出てやばいと思ったのはしょうがないし、今の日本の社会ではああするしかなかったのかもしれませんが、あくまで学生個人の問題ですし、大学側ももう少し冷静に対応すればいい。もちろん大学側が自らの意思で処分したのだから周りが何を言おうがそれこそ大きなお世話なのかもしれませんが。ただ、イタリア人でなくとも今回の一連の騒動を「ありえねー」と感じた人は多いと思います。落書きした当人が『幼児』であることは論を俟たないが、鬼の首でも取った様にその幼児たちを弄くり回す人たちもまた同じ穴の狢でしょう。
のびぃ太さま
当拙ブログへのコメントありがとうございます。
>>監督の処分が重過ぎると監督を擁護するのならばなにもバカイタリア人の言葉を借りる必要はありません。
なるほど。そうかもしれません。おそらく私の脳みそもイタリア人と同等かも。。。
最近やはり日本人のモラルが欠如している気がします。指導者まで落書きって世も末ですなあ。
落書きとはいえ犯罪ですしね。海外で日本の恥を…。
常識!が現代の若い人(自分も微妙?な一人ですが…。)にないみたいです。集団社会で生きる最低限のルールが理解できてない。おかしい、おかしい。
学校で何習ったんだといいたいです。
モンスター●●なんていわれマスコミでも話題になっている場合ではないです。こんなだから「コンビニ受診」とかも平気にするんでしょうね。かなり憤りを感じます。
ぶー。ぶー。
>>こんなだから「コンビニ受診」とかも平気にするんでしょうね。
日本の医療は3時間待ち3分間診療などと揶揄されますが、たとえばアメリカのERのように、8時間待たされる、という破綻した状況からするとまだまだわが国は恵まれていると思うのです。そのへんの事情をご理解いただければ、モンスター●●も少しはおとなしくしててくれるのではないかと思うのですが・・。無理な相談でしょうか・・
独立記念日行事も無事終了。
連休明けの慌ただしい月曜日でした。
>学校で何習ったんだといいたいです。
ごもっとも!!
そして、家庭の躾はどーなってるの!!
親の顔が見てみたい!なんて思っていて、
ご父兄にお会いすると、「この親にしてこの子あり」が、最近の現状です。
年とりました。古い世代に生きています。
本日は七夕でしたね。
2008-07-07: 月齢4 (天の川が見える可能性: ◎)
織姫と牽牛は、無事に会えたのかしらん。
ちょっと空を仰いできます。
一休み一休み。
お久しぶりです。
お元気ですか?
マナーの悪い人、たくさんいますよね。
neuronさんもおっしゃっているように公共性という概念を履き違えた人たちが多いのかも知れません。
その一方で「若者のマナーは酷い!」と嘆く老人はいつの時代にも存在するわけで、若者の傍若無人さを大人たちが嘆かわしく思っているのは、今も昔も変わらないことなのかもしれません。
今回のことは、それが極端に行き過ぎた例であるような気がします。日本人は、よくも悪くもある方向に一斉に靡きやすい国民ですから、ワイドショーあたりがバッシングを始めると歯止めが利かなくなります。猫も杓子も朝から晩まで同じ話題を延々とやる。
これじゃ、リテラシーのない人たちはあっという間に洗脳されちゃう。
ということで、もっとクールにいきたいな、というのが今年の僕の目標でもあります。
昔、アニメ「ムーミン」にでていたジャコウネズミさんのように、冷めた目で世の中を眺めていられたらなーと思います。
最近の親…子供が子供を産んでいる世の中。
しつけされてない親が子供をしつけできる訳もないですね。嘆かわしい。
学校教育現場、医療現場でもモンスターはたくさんいますね。給食費もそのひとつだし、この世の中どうなるのでしょうか?とても不安です。
自分もそうならないよう親になったら頑張らねば。
サミット終わったみたいですね。日本はリーダーとしてアピールできたのかな?
モンスター●●。
われわれの社会は怒鳴った者勝ちというところがありますからね~。モンスター化する人々にも「騒げば何とかなるハズ」という心理が働いているものと思われます。そういう意味では、残念ながらモンスター達の振る舞いにも、それなりの合理性があるといえなくもないのかもしれません。不合理な物言いに対しては毅然とした態度で望むという姿勢が必要なのではないでしょうか。
サミット。福田さん。全くコミュニケーションできてませんでしたね。人の顔をみてしゃべれないというか、完全に目が泳いでいました。あれじゃ、各国首脳から不気味がられちゃいますね。ホスト国なんだからちゃんとしなきゃいけません。って、でもそれができないのが日本人なんですが・・。
落書きはいかん!と私は思いますね。普通、しないよね、大人だったら・・・・。大の大人が「落書きしちゃいけません!」と言われないと、判断つかないのか?と嘆かわしく思います。
仕事柄、世界の教育番組を見ますが、2日前に某中国テレビ局が制作したドキュメンタリーを2本見ました。共産主義の性格?でしょうかね?押し付けがましいドキュメンタリーでした。まさに、視聴者を「叱責に恐れる『幼児』集団」として捉えていたわ。番組の質が低いのは、共産主義の弊害だと思ったな。
ちなみに、イスラム教徒はどうかね?私、もっとも叱責を恐れるのが、イスラム教徒だと思うのですが。彼らの神はユダヤの神と同じくらいわがままそうだ・・・・
ちょっと前にエーリッヒ・フロムの「ユダヤ教の人間観」というのを読みました。面白かったよ。フロムの本にしちゃ、珍しく難しかった。
ちなみに、自らの良心に従って善を志向する場合、社会性が欠如していたら、大変なことになるかもね。