MY LIFE AS A DOG

ワイングラスの向こうに人生が見える

Winnyと警察とスローライフ

2004年07月08日 23時02分39秒 | 雑感
ちょっと古い話で恐縮だが、先日インターネットテレビを見ていたらWinnyというソフトウエアを開発した東大の助手が警察に逮捕されたという話題を特集していた。
僕はコンピュータには弱いので詳しいことはよく分からないが、何でもそのソフトを持っている人はお互いに音楽や映画などの著作権物を自由にやり取りできるのだという。

なぜこのニュースが世間を騒がせたのかというと、この手のソフトの開発者が著作権侵害にからんで警察に逮捕されるということ自体が世界的に例のないことだからなのだそうだ。

通常、著作権侵害に対しては著作物を販売する会社などが民事訴訟で賠償を請求するという形式が一般的であるにもかかわらず、今回どういうわけか警察が刑事事件としてソフトウエアの開発者を逮捕してしまったというのである。

この例をみても分かるように最近、警察が従来の民事不介入の原則を踏み越える例が多く散見されるようになってきた。

もちろん今回の逮捕は、小泉内閣が打ち出していた知的所有権保護の方針に呼応する形で行われたのだとする見方もあるが、それ以前に国民レベルで、警察に対する民事介入への期待が高まっていたことを背景にしているとする見方もある。

国民が現在のように警察権力による民事への厳しい対応を強く望むようになったきっかけとなったのは、あの“桶川ストーカー事件”であったといわれている。
あの事件を契機として“警察の対応は生ぬるい!”という世論が急速に形成されていった。

しかるに、このような世論形成の背景には、単なるストーカー事件の増加とか手口の悪質化などという理由以外に、戦後の日本を形づくってきた伝統的地域共同体の崩壊という重大なファクターがあったように僕には思えてならない。

幼かった頃、僕の町には“向こう三軒両隣”的な地域の強い結びつきがまだ残っていた。近所の人々はみんな顔見知りだったし、町内の出来事やお知らせは回覧版で頻繁に伝達されていた。主婦連中の日常の買い物はいつも近くの商店街だった。言うなれば、我々の生活範囲のほとんどは共同体内に限局していたのである。
それはある意味、外部に対して閉じた世界という側面を持ち、排他的共同体主義を育む土壌にもなる一方で、アメリカにおけるミリシアのような自警組織的役割も同時に果たしていたのではないかと思う。

つまりこのような共同体内で何らかの自衛装置が働いている限り、変質者たちが我がもの顔で街を跋扈するという事態はほぼ抑止されていたに違いないのである。

ところが、このような地域共同体の崩壊によって、人々は地域の安全を担保する昔ながらの“村”的結びつきを失い、その結果として警察による強力な介入を必要とせざるを得なくなってきたのではないだろうか。

今回のWinny事件は、やや趣が違うように一見思えるけれども、その根底に警察の介入に対する強力な社会的要求があったことは想像に難くない。
そしてこうした要求を口実として、警察は今回のような無理な逮捕に踏み切ったのではないか。

現在の社会的不安の高まりを鑑みればこのような世論の流れは止むを得ないのだとする意見もあるが、僕個人は、“事実性の優位”に根ざしたこのような、なし崩し的な警察権力の増大は由々しき事態であると感じている。

日本経済がかつての不沈空母から、かちかち山のどろ舟のごときに成り下がり、持続的成長が夢物語となった今、僕達は従来の地域共同体を中心とする相互扶助的社会(これこそ、スローライフそのものなのであるが、、、)を再び志向すべき時代に来ているのかもしれない。
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2 コメント

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はじめまして (mr-real-estate)
2004-10-18 10:58:56
インターネット繋がりでTBしたのですが

ダブってしまいました。

削除お願いします。



すいません。
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はじめまして (kazu-n)
2004-10-19 12:47:18
わざわざお越しくださいましてありがとうございます。

僕も東京に帰るときにはmr-real-estateさんにお世話になるかもしれませんね。

今後、ちょくちょく覗きに行かせてもらいます。ので今後ともよろしくお願いします。

返信する

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