昨日、内田樹氏のブログに面白い記事を見つけた。
“池谷裕二さんの講演を聴く”と題されたその記事によれば、脳のパフォーマンスを上げるためには、学習(勉強)するだけではだめなのだという。
学習した内容をテストなどを通じて表出することなしに、脳のパフォーマンスは向上しないという。
なるほどと妙に納得させられた。
内田氏はこう書いている。
「学習」は脳への入力である。「テスト」は脳からの出力である。
つまり、脳の機能は「出力」を基準にして、そのパフォーマンスが変化するのである。
平たく言えば、「いくら詰め込んでも無意味」であり、「使ったもの勝ち」ということである。
書斎にこもって万巻の書を読んでいるが一言も発しない人と、ろくに本を読まないけれど、なけなしの知識を使い回してうるさくしゃべり回っている人では、後者の方が脳のパフォーマンスは高いということである。パフォーマンスというのは、端的に「知っている知識を使える」ということである。出力しない人間は、「知っている知識を使えない」。「使えない」なら、実践的には「ない」のと同じである。
確かにその通りだと思う。
ということで、これから僕ももっと出力に力を入れて、思ったことをガシガシ書きまくってていこうと思った次第である。
“池谷裕二さんの講演を聴く”と題されたその記事によれば、脳のパフォーマンスを上げるためには、学習(勉強)するだけではだめなのだという。
学習した内容をテストなどを通じて表出することなしに、脳のパフォーマンスは向上しないという。
なるほどと妙に納得させられた。
内田氏はこう書いている。
「学習」は脳への入力である。「テスト」は脳からの出力である。
つまり、脳の機能は「出力」を基準にして、そのパフォーマンスが変化するのである。
平たく言えば、「いくら詰め込んでも無意味」であり、「使ったもの勝ち」ということである。
書斎にこもって万巻の書を読んでいるが一言も発しない人と、ろくに本を読まないけれど、なけなしの知識を使い回してうるさくしゃべり回っている人では、後者の方が脳のパフォーマンスは高いということである。パフォーマンスというのは、端的に「知っている知識を使える」ということである。出力しない人間は、「知っている知識を使えない」。「使えない」なら、実践的には「ない」のと同じである。
確かにその通りだと思う。
ということで、これから僕ももっと出力に力を入れて、思ったことをガシガシ書きまくってていこうと思った次第である。
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