先日スーザン・ソンタグに関するページを検索していて、彼女が昨年末にNYの病院で亡くなっていたことをはじめて知った。白血病だったそうだ。
およそ10ヶ月遅れのこの訃報は、まがりなりにもソンタグファンを自認していた自分を(様々な意味において)落胆させるものであった。
そこで今日は、今更ではあるがソンタグファンの一人として一言コメントを書いておくことにする。(ちなみにソンタグのHPはこちら)
もちろん、自分のような凡人がこともあろうにソンタグのような超一流のインテレクチュアルについて語るということ自体、ある種おこがましい行為であることは重々承知の上である。
第一、僕は彼女の名を世界的に知らしめることとなった代表的著作のいくつかをいまだに読んでいないし、よしんば読んでいたとしても彼女の主張を徹頭徹尾理解出来ているかと考えるとそれも皆目自信がないのである。
しかし、それでも尚、何かを書き連ねようとするこの傍若無人さを何卒お許しいただきたいと思う。
ソンタグは、俗っぽい言いかたで恐縮であるが、僕にとってはまさに“アイドル”的存在であった。彼女の高い知性に裏打ちされた発言は僕にとっては珠玉の響きを持ち、また様々な方面から聞き伝わる彼女の立ち居振舞いのエピソードは、僕の中の偶像としてのソンタグを日々補強し、彼女に対するある種恋愛感情にも似た不思議な感覚をも構築していった。
僕が彼女を知ったのは、おそらく多くの日本人と同様に9・11テロのあとに彼女が行った種々の発言を通じてである。この発言のいくつかは2002年に刊行された「この時代に想うテロへの眼差し」にも収録されているが、特に、大江健三郎氏との往復書簡における歯に衣着せぬ発言(これぞディベートの真髄を思わせる)には、彼女の発言者としての一途な気概を見てとることができる。(この往復書簡ついては以前にも紹介したことがあるのでお暇な方はそちらを参照ください)
ソンタグの言葉はいわば挑発する“知”である(もちろん、“知”が何時いかなる時にでも挑発的であることは論を俟たないのであるが)。そしてこうした彼女の言葉は読者にとっては時として挑発を通り越した攻撃的な鋭い刃にすらなり得、(9・11直後の彼女のアメリカ政府に対して行われた発言の数々は文字通り極めて攻撃的なものであった)、また、これらは読者に対し、しばしばマゾヒスティックな快感を与えることすらあるのだ。
ソンタグは1999年NATO軍によるコソボ空爆を支持し、この態度は世界の反戦活動家から驚きを持って受け入れられた。しかし、自ら封鎖されたサラエヴォに住み、其処から精力的に発せられた彼女の数々の発言には、圧倒的な説得力と、ナイーブな理想主義に対する戒めとがあった。
ソンタグは“自分は平和主義者ではない”という。しかしその一方で“レアルポリティーク”という言葉に対しても強い居心地の悪さを表明する。
ソンタグによれば、作家の第一の責務は、意見をもつことではなく、真実を語ることにあるという。2001年のエルサレム賞受賞スピーチの中で、彼女はこう述べている「文学は、単純化された声に対抗する、ニュアンスと矛盾の住み処である」と。そしてこうも言う「もし、真実と正義のどちらかを選ぶとしたら、真実を選ぶ」と。
この発言はソンタグの作家としての思慮と苦悩とを端的に表わしているように思う。
イギリスの詩人オスカーワイルドが言うように「芸術における真実は、これまた真実である矛盾を抱え込んだ真実である」のならば、この矛盾の存在を明らかにし、人々を単純で扇動的な言葉の魔術から救い出すことこそが“言葉”を生業にする作家達の使命であると彼女は言うのである。
ソンタグの発する一つ一つの言葉に我々はあるときは共感し、あるときは打ちひしがれ、そしてある時には頭を垂れてひれ伏しもする。
あの武満徹をして「あんなに頭のいい人とは会ったことがない」と言わしめたその知性の奥行きに対する賛美と畏怖を、僕は果たしてどのような言葉で表現すればよいのだろうか。
スーザン・ソンタグ。2004年12月28日、急性骨髄性白血病のためNYのがん専門病院で死去。享年71歳。
尚、松岡正剛氏によるソンタグの「反解釈」のレビューがソンタグの人となりにも言及されていて非常に面白いので、お暇な方は是非ご一読ください。
松岡正剛の千夜千冊
およそ10ヶ月遅れのこの訃報は、まがりなりにもソンタグファンを自認していた自分を(様々な意味において)落胆させるものであった。
そこで今日は、今更ではあるがソンタグファンの一人として一言コメントを書いておくことにする。(ちなみにソンタグのHPはこちら)
もちろん、自分のような凡人がこともあろうにソンタグのような超一流のインテレクチュアルについて語るということ自体、ある種おこがましい行為であることは重々承知の上である。
第一、僕は彼女の名を世界的に知らしめることとなった代表的著作のいくつかをいまだに読んでいないし、よしんば読んでいたとしても彼女の主張を徹頭徹尾理解出来ているかと考えるとそれも皆目自信がないのである。
しかし、それでも尚、何かを書き連ねようとするこの傍若無人さを何卒お許しいただきたいと思う。
ソンタグは、俗っぽい言いかたで恐縮であるが、僕にとってはまさに“アイドル”的存在であった。彼女の高い知性に裏打ちされた発言は僕にとっては珠玉の響きを持ち、また様々な方面から聞き伝わる彼女の立ち居振舞いのエピソードは、僕の中の偶像としてのソンタグを日々補強し、彼女に対するある種恋愛感情にも似た不思議な感覚をも構築していった。
僕が彼女を知ったのは、おそらく多くの日本人と同様に9・11テロのあとに彼女が行った種々の発言を通じてである。この発言のいくつかは2002年に刊行された「この時代に想うテロへの眼差し」にも収録されているが、特に、大江健三郎氏との往復書簡における歯に衣着せぬ発言(これぞディベートの真髄を思わせる)には、彼女の発言者としての一途な気概を見てとることができる。(この往復書簡ついては以前にも紹介したことがあるのでお暇な方はそちらを参照ください)
ソンタグの言葉はいわば挑発する“知”である(もちろん、“知”が何時いかなる時にでも挑発的であることは論を俟たないのであるが)。そしてこうした彼女の言葉は読者にとっては時として挑発を通り越した攻撃的な鋭い刃にすらなり得、(9・11直後の彼女のアメリカ政府に対して行われた発言の数々は文字通り極めて攻撃的なものであった)、また、これらは読者に対し、しばしばマゾヒスティックな快感を与えることすらあるのだ。
ソンタグは1999年NATO軍によるコソボ空爆を支持し、この態度は世界の反戦活動家から驚きを持って受け入れられた。しかし、自ら封鎖されたサラエヴォに住み、其処から精力的に発せられた彼女の数々の発言には、圧倒的な説得力と、ナイーブな理想主義に対する戒めとがあった。
ソンタグは“自分は平和主義者ではない”という。しかしその一方で“レアルポリティーク”という言葉に対しても強い居心地の悪さを表明する。
ソンタグによれば、作家の第一の責務は、意見をもつことではなく、真実を語ることにあるという。2001年のエルサレム賞受賞スピーチの中で、彼女はこう述べている「文学は、単純化された声に対抗する、ニュアンスと矛盾の住み処である」と。そしてこうも言う「もし、真実と正義のどちらかを選ぶとしたら、真実を選ぶ」と。
この発言はソンタグの作家としての思慮と苦悩とを端的に表わしているように思う。
イギリスの詩人オスカーワイルドが言うように「芸術における真実は、これまた真実である矛盾を抱え込んだ真実である」のならば、この矛盾の存在を明らかにし、人々を単純で扇動的な言葉の魔術から救い出すことこそが“言葉”を生業にする作家達の使命であると彼女は言うのである。
ソンタグの発する一つ一つの言葉に我々はあるときは共感し、あるときは打ちひしがれ、そしてある時には頭を垂れてひれ伏しもする。
あの武満徹をして「あんなに頭のいい人とは会ったことがない」と言わしめたその知性の奥行きに対する賛美と畏怖を、僕は果たしてどのような言葉で表現すればよいのだろうか。
スーザン・ソンタグ。2004年12月28日、急性骨髄性白血病のためNYのがん専門病院で死去。享年71歳。
尚、松岡正剛氏によるソンタグの「反解釈」のレビューがソンタグの人となりにも言及されていて非常に面白いので、お暇な方は是非ご一読ください。
松岡正剛の千夜千冊
でも、大江健三郎のやりとりの本はおもしろそうなので、買って読んでみます。
あと全然関係ないですが、
オーストラリアの泊まるところと、その地域のHPを見つけました。
http://angsana.com/jp/gbr/index.htm
http://www.portdouglasguide.com/index.htm
ちなみに、この大江とソンタグとの往復書簡は以前に紹介した大江健三郎往復書簡「暴力に逆らって書く」に収録されていますが、同時に、ソンタグの「この時代に想うテロへの眼差し」にも全く同じものが収録されています。個人的には前者のほうがおすすめです。
ちなみに、プライベートな通信は出来ればメールにしていただけるとありがたいです
削除しておいてください。。