2011年度サントリー学芸賞を受賞した、「昭和天皇 理性の君主の孤独」古川隆久著を読む。
古川氏がまえがきで述べているように、「そもそも1980年代までの昭和天皇論は、昭和天皇の発言の断片や逸話のいくつかを自分の政治信条(イデオロギー)に基づいて解釈したようなものが大半だった」。
一方、本書は「歴史学の王道にのっとり、多くの先行研究の助けを借りながら、個々の史料の性質を考慮しつつ、さまざまな史料を突き合わせて歴史像を構築していくという実証史学の手法をと」っており、「信頼度の高い昭和天皇の全体像を得る」ことができたとしている。
本書を読んで、自分の今まで漠然と持っていた昭和天皇観は大きく変わらざるを得なかった。
もともと「昭和天皇は儒教的な徳知主義と、生物学の進化論や、吉野作造、美濃部達吉らの主張に代表される大正デモクラシーの思潮といった西欧的な普遍主義的傾向の諸思想を基盤として、第一次世界大戦後の西欧の諸国、すなわち政党政治と協調外交を国是とする民主的な立憲君主国を理想とし」ていた。
昭和天皇は理想的な立憲君主として振る舞おうとする。しかし、軍部と、軍部礼賛のマスコミによって、意に反して現人神に祀り挙げられてゆく。
これに対し昭和天皇は側近たちに何度も不満を漏らし、時には「朕の命令なく、一歩も軍を動かしてはならん」と軍部を叱責することもたびたびあった。
中国との戦争についてはもちろん、中国に対する挑発的行為についても、昭和天皇は絶対反対の立場で、常に軍部の暴走に翻弄され続けた。
昭和天皇は、平和主義、協調外交という天皇の意志を理解し、軍部の暴走にブレーキをかけられる人間をあえて徴用し、総理に指名したりするが、2・26事件などで、それら頼りにしていた側近たちを次々に失い、徐々に思想的に孤立し厭世的になってゆく。
一方、軍部は軍部で、平和主義、協調外交ばかりを言う昭和天皇に対する不満が蓄積し、最終的に未遂に終わるものの、昭和天皇を退位させ、高松宮を新天皇として担ぎ出そうとするクーデターが計画されるなど、不穏な動きを強めてゆく。
このような流れの中で、日本は天皇の名の下に無謀な戦争に突き進んで行ったのである。
終戦後、昭和63年8月29日に行われた会見で昭和天皇はこう発言する。
「60年生きてきて、何ひとつ立派なことができなかったことを悔いている。これから国民のために、できるかぎりのことをやっていきたい」
昭和64年の冬、苗場に向かうスキーバスの中で天皇崩御のニュースを聞いた日のことが、まるで昨日のことのように思い出された。
blue note行ってきました
詳しくはないのですが、Earl Klughってギターリストがmainの様でした。
立見もたくさんいたので、有名な方でしょうか?
砂かぶりの様な席でチャージが¥3000以下!クセになるかも・・・
投稿してから、内容を読みました
場違いでした
すみません
お元気そうでなによりです。
アール・クルーは超有名ベテランギタリストっす。
3000円以下っていいですね。
NY生活たのしんでください。
遊びに行けるのはいつになることやら。。。