(明日からお勉強のため3日間アトランタに行きます。
以下の文章は、アトランタ行きを明日に控えつつ、自宅でワインを飲みながらザーッと走り書きしたものですが、まったく構成などを考えていなかったため、話が二転三転します。読みづらいかもしれませんが、面倒なのでそのまま載せることにします。お許しを。)
さて、上はケアンズの“ドキドキ動物探検ツアー”で遭遇したロック・ワラビーという動物である。
(遭遇といっても、実は彼らは完全に餌付けされていて、人間が近づくと餌欲しさに草むらからぞろぞろと出てくるのである。この写真も、右手に餌をちらつかせてワラビーの注意をひきつけながら左手で素早くシャッターを押して撮った)
「餌を与え過ぎると野生に戻れなくなってしまうので、ほどほどにしておいてくださいねー」というガイドの声が妙に空々しかった。
しかし今思い返してみてもケアンズは本当に日本人が多かったな。。。
帰りの空港。チェックイン・カウンターの前に並んだおびただしい数の日本人の大集団を前に、同じ日本人である自分ですらちょっと腰が引けたもんな。。。
ところで、自分のことを棚に上げて言うのもなんだが、日本人(というかアジア人全般)というのはどうしてこんなに集団行動が好きなのだろうか。
例えば今の職場で、僕は毎日昼食時にカフェテリアに行くのであるが、そうすると必ずといっていいほどテーブルを2つも3つも占領してアジアからの留学生たちが楽しそうに食事をしているのに出会う。あとからカフェテリアにやってきた仲間が次々とその集団に加わっていくので、最終的には10人以上の大集団になって(聞こえは悪いが)カフェテリアの一画を連日占拠するのだ。(尚、このような光景は以前いたワシントンの施設でも同様だったので、おそらくこの施設に限ったことではないと思われる。)
まるでアフリカの大地でシマウマが群れをなすかように、アジアの人々はこうやって肩を寄せ合いつつ生きてゆくように運命付けられているのではなかろうかと、その光景を見るたびにそこはかとなく思う今日この頃である。
留学中はいろんな人々に出会う。しかし(欧米では特にそうではないかと想像するのだが)相手がアジア人である場合には国籍によらず結構な親近感が沸くものである。
先週までわれわれの施設にオブザーバーとして参加していたハン君。彼は4歳のときに韓国から不法にアメリカに移住してきたのだそうだが、いまや立派なアメリカ市民である。幼くして両親を亡くし、身寄りのないアメリカで弟と二人で必死に勉強し、その甲斐あって今では立派な医学生である。(現時点で国からの借金が1千万円以上あるそうな)
「僕の死んだ両親はとても上手に日本語が話せたんだよ。僕も日本語を勉強しようかな」と屈託なく笑うハン君に僕も引きつりながら笑い返した。
一方、英語クラスで知り合った中国人留学生の劉さん。
「ちょっとした認識の違いから今のように政府同士がいがみ合うのはとても悲しいことだ。」と下手くそな英語で一生懸命語ってくれた。
前のラボで一緒だった同じく中国人留学生のゼンさん一家とは一緒にNYへ遊びにいくほどの付き合いだった。ご主人が猛烈な亭主関白だったのには少々驚いたが、そんなご主人も僕と話をするときは終始ニコニコと穏やかであった。旅行の最終日に、おいしいと評判の高級中華料理店へ僕を招待してくれた。「なんでも好きなものを食べてください。これが大切な友達をもてなすときのわれわれのやり方です」と彼は言った。
「隣国同士は仲が悪くて当然だ」という人がいる。ある意味正しい見解だと思う。
同じ職場のギリシャ人フェローも、同室の女性トルコ人フェローに向かって「きっと、君たちトルコ人は今でも僕たちギリシャ人を八つ裂きにしてやりたいと思っているんだろう?」と冗談めかして言うことがある。そして、そう言われたトルコ人フェローはいつも僕のところへやってきては「ギリシャ人って、なんてこうもデリカシーがないのかしら?」と愚痴をこぼすのだ。
長い歴史のなかで、隣国から受けた侵略と占領の記憶というものは、さまざまに形を変えて受けつがれてゆくものであるに違いない。
その女性トルコ人フェローが、来月からボストン大学にassistant professorのポストを得て移動することになった。我々同室のフェロー4人は彼女のために昨夜ささやかなお別れ会を企画した。折しもマイアミ空港では心を病んだ男性が、持ってもいない爆弾を“持っている”とのたまったがために妻の目前で空港警察に撃ち殺されるというショッキングな事件が起きた直後だった。
“Pasha”という名の小さなトルコ料理店でビーフ・ケバブに舌鼓を打ちながら彼女は「ボストンっ子はリベラルな人間が多いので私は好きだわ。テキサスとは大違い。ボストンに行ったらチョムスキーにだって会えるかもしれないわ」と言って笑った。(ちなみに痛烈なアメリカ批判者として知られる言語学者ノーム・チョムスキー博士はボストンにあるマサチューセッツ工科大学(MIT)の教授)
マイアミの事件の直後であったこともあって、気がつくとみんな酒も飲まないのにずいぶん熱い議論になっていた。(ちなみに僕は“みんな、ワイン飲もうよー”と言い出せずにとても歯がゆい思いをしていたのだが)
最後の乾杯のときの彼女の発言がまた印象的だった。
「アメリカに来て、世界中の人々と出会ってこうやって話をすることが自分の考え方に非常に大きな影響を与えている。自分はこれからも世界で何が起こっているのかを目を大きく見開いてしっかりと見ておこうと思う。もし我々が愚か者でないなら、何が本当のjusticeであるのかを理解するのは決して難しくはないはずだ。私たちは正しいことをやらなければならないのだ」と。
そして我々はほとんど空になりかけたダイエット・コークのコップを掲げて乾杯した。
“Do the right thing!!”
以下の文章は、アトランタ行きを明日に控えつつ、自宅でワインを飲みながらザーッと走り書きしたものですが、まったく構成などを考えていなかったため、話が二転三転します。読みづらいかもしれませんが、面倒なのでそのまま載せることにします。お許しを。)
さて、上はケアンズの“ドキドキ動物探検ツアー”で遭遇したロック・ワラビーという動物である。
(遭遇といっても、実は彼らは完全に餌付けされていて、人間が近づくと餌欲しさに草むらからぞろぞろと出てくるのである。この写真も、右手に餌をちらつかせてワラビーの注意をひきつけながら左手で素早くシャッターを押して撮った)
「餌を与え過ぎると野生に戻れなくなってしまうので、ほどほどにしておいてくださいねー」というガイドの声が妙に空々しかった。
しかし今思い返してみてもケアンズは本当に日本人が多かったな。。。
帰りの空港。チェックイン・カウンターの前に並んだおびただしい数の日本人の大集団を前に、同じ日本人である自分ですらちょっと腰が引けたもんな。。。
ところで、自分のことを棚に上げて言うのもなんだが、日本人(というかアジア人全般)というのはどうしてこんなに集団行動が好きなのだろうか。
例えば今の職場で、僕は毎日昼食時にカフェテリアに行くのであるが、そうすると必ずといっていいほどテーブルを2つも3つも占領してアジアからの留学生たちが楽しそうに食事をしているのに出会う。あとからカフェテリアにやってきた仲間が次々とその集団に加わっていくので、最終的には10人以上の大集団になって(聞こえは悪いが)カフェテリアの一画を連日占拠するのだ。(尚、このような光景は以前いたワシントンの施設でも同様だったので、おそらくこの施設に限ったことではないと思われる。)
まるでアフリカの大地でシマウマが群れをなすかように、アジアの人々はこうやって肩を寄せ合いつつ生きてゆくように運命付けられているのではなかろうかと、その光景を見るたびにそこはかとなく思う今日この頃である。
留学中はいろんな人々に出会う。しかし(欧米では特にそうではないかと想像するのだが)相手がアジア人である場合には国籍によらず結構な親近感が沸くものである。
先週までわれわれの施設にオブザーバーとして参加していたハン君。彼は4歳のときに韓国から不法にアメリカに移住してきたのだそうだが、いまや立派なアメリカ市民である。幼くして両親を亡くし、身寄りのないアメリカで弟と二人で必死に勉強し、その甲斐あって今では立派な医学生である。(現時点で国からの借金が1千万円以上あるそうな)
「僕の死んだ両親はとても上手に日本語が話せたんだよ。僕も日本語を勉強しようかな」と屈託なく笑うハン君に僕も引きつりながら笑い返した。
一方、英語クラスで知り合った中国人留学生の劉さん。
「ちょっとした認識の違いから今のように政府同士がいがみ合うのはとても悲しいことだ。」と下手くそな英語で一生懸命語ってくれた。
前のラボで一緒だった同じく中国人留学生のゼンさん一家とは一緒にNYへ遊びにいくほどの付き合いだった。ご主人が猛烈な亭主関白だったのには少々驚いたが、そんなご主人も僕と話をするときは終始ニコニコと穏やかであった。旅行の最終日に、おいしいと評判の高級中華料理店へ僕を招待してくれた。「なんでも好きなものを食べてください。これが大切な友達をもてなすときのわれわれのやり方です」と彼は言った。
「隣国同士は仲が悪くて当然だ」という人がいる。ある意味正しい見解だと思う。
同じ職場のギリシャ人フェローも、同室の女性トルコ人フェローに向かって「きっと、君たちトルコ人は今でも僕たちギリシャ人を八つ裂きにしてやりたいと思っているんだろう?」と冗談めかして言うことがある。そして、そう言われたトルコ人フェローはいつも僕のところへやってきては「ギリシャ人って、なんてこうもデリカシーがないのかしら?」と愚痴をこぼすのだ。
長い歴史のなかで、隣国から受けた侵略と占領の記憶というものは、さまざまに形を変えて受けつがれてゆくものであるに違いない。
その女性トルコ人フェローが、来月からボストン大学にassistant professorのポストを得て移動することになった。我々同室のフェロー4人は彼女のために昨夜ささやかなお別れ会を企画した。折しもマイアミ空港では心を病んだ男性が、持ってもいない爆弾を“持っている”とのたまったがために妻の目前で空港警察に撃ち殺されるというショッキングな事件が起きた直後だった。
“Pasha”という名の小さなトルコ料理店でビーフ・ケバブに舌鼓を打ちながら彼女は「ボストンっ子はリベラルな人間が多いので私は好きだわ。テキサスとは大違い。ボストンに行ったらチョムスキーにだって会えるかもしれないわ」と言って笑った。(ちなみに痛烈なアメリカ批判者として知られる言語学者ノーム・チョムスキー博士はボストンにあるマサチューセッツ工科大学(MIT)の教授)
マイアミの事件の直後であったこともあって、気がつくとみんな酒も飲まないのにずいぶん熱い議論になっていた。(ちなみに僕は“みんな、ワイン飲もうよー”と言い出せずにとても歯がゆい思いをしていたのだが)
最後の乾杯のときの彼女の発言がまた印象的だった。
「アメリカに来て、世界中の人々と出会ってこうやって話をすることが自分の考え方に非常に大きな影響を与えている。自分はこれからも世界で何が起こっているのかを目を大きく見開いてしっかりと見ておこうと思う。もし我々が愚か者でないなら、何が本当のjusticeであるのかを理解するのは決して難しくはないはずだ。私たちは正しいことをやらなければならないのだ」と。
そして我々はほとんど空になりかけたダイエット・コークのコップを掲げて乾杯した。
“Do the right thing!!”
なぜなら、それが文化だからだ。
集団中心の文化だから、しょうがない。個人より集団が大切で、幼少時より集団に属することを強要されて生きているのだから、大人になってから突然、1人でいろ!と言われても無理な相談。
ま、羊も群れになって自分たちを守るし、周囲からの防衛手段としては、群れることもあり、なのでは?
ただし、群れていると、マッチの箱みたいに、火をつけられたら一気に全部燃えてしまう。鯨のオキアミ漁にも似たものが・・・・(≧∇≦)ぶぁっははは!集団で一気に食われる。
でも、やっぱり知らない国に行ったら、文化を同じくする人といたいもんだね。
上に中国のフェローの話が書いてあったけど・・・
私は、今の仕事をするまで中国は嫌いな国じゃなかったけど、最近、中国の教育テレビと仕事をするようになって、大嫌いになったね・・・・。
まず、考え方が汚い。思いやりがない。仕事は自分勝手・・・・ディレクターは自分が作りたい啓蒙番組のような変な番組を作る。民衆は、まるでつまらない番組を見るのが義務のようだ。
過去に素晴らしい思想が育った国がどうしてああなったのかは、毛沢東のせいだと思わざると得ない。文化大革命がすべてを変えたのかも。
立派な中国人に会ってみたいもんだ。私は主観が客観を支配している人であるから、中国の首相ですら、馬鹿に見えてしょうがない。
香港も中国だが、欧米化しているためか、話が合う人はたくさんいるな。
良い中国人の友人を大切にしたまえ。それは希少だからだ。
アイルランドでも似たような話を聴いてことがあります。たとえば、アイルランド人はイギリス人の悪口を散々言うくせにダブリンのバスは2階建てだそうです。日本と韓国の関係に似たものがあるなあと思いました。
アメリカで余り仲の良くない国の人同士が意外と仲良くできるは、情報を共有化できていることもあるかもしれません。
お姉さまのコメントですが、中国と仕事をすると中国が嫌いになる人は結構多いようですね。関わり方にもよりますが、外国と仕事をするとその国が嫌いに傾向はあると思います。
>考え方が汚い。思いやりがない。仕事は自分勝手
私の故郷の岡山も他府県から評判がよくないのですが、この表現はステレオタイプの岡山県人にもよく当てはまります。岡山も「中国地方」ですし。「えげつなさ」のスケールが違うのかもしれませんが。
今後の参考にさせていただきます。
ところで、デジカメ写真を効率的に送るというHPをもう一度教えて下さい。
どうも最近やたらこのブログもファミリー化してきておりまして。。。お恥ずかしい限りでございます。
これに懲りず今後ともよろしくお願いします。
みなさん高い知識と教養をお持ちですので内容が興味深く、僭越ながら思わずコメントしてしまいました。
私は一人っ子ですのでこうやって成人してもネットを通じて会話できるご家族がいらっしゃるのはうらやましい限りです。