最近、内弁慶ならぬネット弁慶という言葉があるそうな。
ネット上でみんなを仕切り、活発に発言を行う一見非常にアクティブな人物に限って、オフ会などで出会ってみると実は人とほとんど口をきけないような内向的な人間だったりするそうだ。このような歪な性格の人間を指して“ネット弁慶”と呼ぶらしい。
実は、何を隠そうこの僕も知人に自分のブログを紹介した後に、その方から「普段話す感じと、ブログで発言している感じが随分違いますね」といわれてドキッとした記憶がある。
自分もひょっとしてネット弁慶の一員なのだろうか、、、
まあ、僕自身のことはひとまずおくとしても、このようにネット上での人格と、実際の人格とが著しくかけ離れているという事例が若い人(20代以下)に最近特に多いのだそうだ。
そういえば、数ヶ月前に長崎で起こった小学生女子児童殺人事件の犯人の女の子も自分のHPで人生相談めいたものをやっていたとのこと。HP上で彼女は極めて理性的な発言を繰り返し、大人相手に命や平和の大切さを説いていたのだという。
大層に命の大切さを説いていたこんな“良い子”が、よりによって同級生をメッタ刺しにして殺害するなんて、一体この不条理はどこからくるのだろう。
こういう話を聞くにつけ、世の中で今必死に叫ばれている「命の大切さ教育」などというものがいかに無意味なものであるかを実感せずにはいられない。たとえば“命の大切さ習熟度テスト”なるものがもしこの世に存在したならば、おそらく件の女子児童も満点を取ったに違いない。自分がどう答えれば大人たちが満足するかを彼らは本能的に知っている。彼らは易々と人道主義者の仮面を被り、だが状況によってこれもまた易々とその仮面を脱ぎ捨てることが出来るのだ。
あるTBSの討論番組に出演した高校生は「自分は人を殺してはいけないとは思っていない。人生が台無しになるのが嫌だから殺さないだけだ」と発言し居並ぶコメンテーターを唖然とさせた。
面白いのは、皆唖然とするばかりで誰もこの高校生に反論できなかったことだ。
彼の発言は核心を突いている。ひょっとしたら僕達も彼と同じ気持ちかもしれない。
最近の少年犯罪に対する厳罰化の流れは、まさにこの高校生の発言に対する社会の返答であるように感じる。命の大切さなど理解してなくても、罰をうんと厳しくしてやることで犯罪の抑止に貢献できるのではないかと厳罰化を支持する人々は考えている。
そして、さらに世の中が進歩し、ジル・ドゥルーズのいうような「自己管理テクノロジー」なる社会装置が発達すれば、規範から逸脱しようとした人間に自動的に電気ショックのような類の罰が与えられ、まるで条件付けされた犬のように人は殺人を犯さなくなるのかもしれない。
果たしてそのような社会に僕達は夢や希望を持って生きてゆくことが出来るだろうか。
哀しいかな、好むと好まざるとに関わらず、事実、社会はそのような方向へと現に舵を切りはじめているような気がする。
ネット弁慶の話が、おもわぬ少年犯罪の話になってしまった。
ネット上でみんなを仕切り、活発に発言を行う一見非常にアクティブな人物に限って、オフ会などで出会ってみると実は人とほとんど口をきけないような内向的な人間だったりするそうだ。このような歪な性格の人間を指して“ネット弁慶”と呼ぶらしい。
実は、何を隠そうこの僕も知人に自分のブログを紹介した後に、その方から「普段話す感じと、ブログで発言している感じが随分違いますね」といわれてドキッとした記憶がある。
自分もひょっとしてネット弁慶の一員なのだろうか、、、
まあ、僕自身のことはひとまずおくとしても、このようにネット上での人格と、実際の人格とが著しくかけ離れているという事例が若い人(20代以下)に最近特に多いのだそうだ。
そういえば、数ヶ月前に長崎で起こった小学生女子児童殺人事件の犯人の女の子も自分のHPで人生相談めいたものをやっていたとのこと。HP上で彼女は極めて理性的な発言を繰り返し、大人相手に命や平和の大切さを説いていたのだという。
大層に命の大切さを説いていたこんな“良い子”が、よりによって同級生をメッタ刺しにして殺害するなんて、一体この不条理はどこからくるのだろう。
こういう話を聞くにつけ、世の中で今必死に叫ばれている「命の大切さ教育」などというものがいかに無意味なものであるかを実感せずにはいられない。たとえば“命の大切さ習熟度テスト”なるものがもしこの世に存在したならば、おそらく件の女子児童も満点を取ったに違いない。自分がどう答えれば大人たちが満足するかを彼らは本能的に知っている。彼らは易々と人道主義者の仮面を被り、だが状況によってこれもまた易々とその仮面を脱ぎ捨てることが出来るのだ。
あるTBSの討論番組に出演した高校生は「自分は人を殺してはいけないとは思っていない。人生が台無しになるのが嫌だから殺さないだけだ」と発言し居並ぶコメンテーターを唖然とさせた。
面白いのは、皆唖然とするばかりで誰もこの高校生に反論できなかったことだ。
彼の発言は核心を突いている。ひょっとしたら僕達も彼と同じ気持ちかもしれない。
最近の少年犯罪に対する厳罰化の流れは、まさにこの高校生の発言に対する社会の返答であるように感じる。命の大切さなど理解してなくても、罰をうんと厳しくしてやることで犯罪の抑止に貢献できるのではないかと厳罰化を支持する人々は考えている。
そして、さらに世の中が進歩し、ジル・ドゥルーズのいうような「自己管理テクノロジー」なる社会装置が発達すれば、規範から逸脱しようとした人間に自動的に電気ショックのような類の罰が与えられ、まるで条件付けされた犬のように人は殺人を犯さなくなるのかもしれない。
果たしてそのような社会に僕達は夢や希望を持って生きてゆくことが出来るだろうか。
哀しいかな、好むと好まざるとに関わらず、事実、社会はそのような方向へと現に舵を切りはじめているような気がする。
ネット弁慶の話が、おもわぬ少年犯罪の話になってしまった。
もっともな数字かも知れません。
『自転車泥棒』の子役の世代でもあり、親がいるだけでも幸せな時代のようですね。
疎開していて、空襲で親、兄弟に家までも失ってしまった子どもも多かったみたい。そりゃ荒れますわ。
kazu-n)さんの「警察統計は信じるな」それ真理。
「警察側にとっては、このような国民の不安感を背景にした予算拡大の意図も働くため、警察統計は...」
ですが、刑事裁判を傍聴に行くと、犯罪が増える仕組みが、実感できます。
検察側は、容疑者い対して、聞くに堪えない言葉を平気で、浴びせかけます。
容疑者が、そんなひどい事までやってないと、食ってかかる場面も多々。人権を守るはずの法務省職員が、反対のことをやってるのは、彼らを挑発して、犯罪を繰りさせ、省庁リストラの圏外を保ってると利き聞きます。弁護士収入もがっぽり増加、ドラマみたいな
弁護なんて、まれ!
kazu-nさん、そちらのネットに絡んだ、児童、少年犯罪ってどんなでしょうか?
先日のビデオニュースでの宮台と藤井誠二との対談の中でも、実際の少年犯罪の発生率を検証していますが、usuhsさんのおっしゃる通り昭和30年台の青少年の犯罪発生件数における割合は現在とは比較にならないほど高かったとか(正確な数字は忘れましたが)。
ちなみに犯罪別でみると、集団リンチ事件のような類のものついては緩やかに増えていると言えなくもないらしいですが、いわゆる単独犯による凶悪犯罪に関しては決して増加してはいないそうです。
つまりマスコミ報道等によって、少年の単独犯による異常な事件が増加していると我々が思わされている部分も大きいのではないでしょうか。
以前のブログにも書きましたが「体感不安」なる言葉を警察は好んで用いています。
これは、実際犯罪は増加していないのに、住民の間であたかも犯罪が増えているのではないかという不安が広がっていることを指す言葉だそうです。
警察側にとっては、このような国民の不安感を背景にした予算拡大の意図も働くため、警察統計はある程度そのような意思を反映したものにならざるを得ないのだとか。なるほどと思いましたね。
例の子のウエブ人生相談ですが、本人は子どもの「ごっこ遊び」のつもりで始めたものだったのでは?
こどもは何々ごっこというのが大好きです!
ただ、小学生が相談相手と知らずにキーをたたいてた大人がいたなんて,爆笑ものですが、これもネット社会の複雑さでしょうか.ここまではユーモラスですネ。(^^)
さて、usuhsさんの「特別?」ですが、同感です。
中学生以上の非行児では、少なくはないと思うのです。幸い連中は洞察力が、幾分ありますので、死に至らしめることは、少ないみたいです。私らの頃は、「カミソリの何とか」というスケ番が、あちこちにいて物騒でした。モテル子や育ちのよい子に嫉妬しての犯行が多かったみたい。
Pow on !さんの「ファンクラブ」これは異常!!!!!
ダイアンさんのおっしゃるとうりそのもです。
(薬とかベンゼン、トルエンのタグイでせうか..。^;)
何分、子どもの成長速度と、社会の変化についていけない文部省の化石体質が、浮かび上がる事件でした。
ある意味、別の「社会」が出来ているわけですよね?
その中で繰り広げられることは・・・
どっちも現実の中で繰り広げられていることなんだってことすらわからなくなりそうな話で・・・
でも、顔が見えない世界って現実離れしやすいですよね・・・・。
長崎の事件の話は途中でカナダに来ちゃったし、
マスコミのニュースでしかわからないから
なんとも言えないけど、
とってもゆがんだ世界の中に子供は住んでいるんだってことは確かですよね・・・。
問題があったのでは、という意見。
手がかからない子供にみえたために、
親があまり手を掛けなかったのがいけない、と。
もう一つはusuhsさんのおっしゃるように、
別段ふつうの子供が異常な事件を起こしたのでは、
という意見。
ネットが人の暗黒面を増大した?などという言われ方。
どちらが正しいのかはわかりません。
司法の判断は前者のようで、両親や他人との関係を
再構築するための施設に送致するようです。
仮の両親とともに生活する中で人間関係を学ぶとか。
そのような施設があることを初めて知りました。
加害者の女児にもこれからの人生があるわけで、
少しでも幸多いものにならんことを祈るばかりです。
一方、加害女児の写真はおろか、本名・住所などが
ネットで容易に入手できるようです。
それどころか、ファンクラブ(!)まで存在するそうです。
これは一体・・・
そんな人々の方が異様だと思いますが・・・
usuhsさんのいう
“この子は特別なのか”という疑問は、この事件を考えるうえでとても重要なにではないかと感じます。
ただ、こういった未成年者による犯罪の場合には、事件の真相を考えるために必要な捜査資料等が一切公表されないため、たとえばこの女の子の発言から我々が何か教訓を得たりすることはきわめて難しいというのが現状なんですよね。
コメントありがとうございます。
犯人の女の子にもいろんな事情があったのでしょうね。。。
ネット上でのやり取りが時としてもたらす激烈な人間関係については、このブログでも何度か言及したことがあります。下記のサイト紹介したかもしれません(個人的に結構参考になりました)。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/net/arasoi.html
特に、今の子供達にネットリテラシー教育が大切だというのはもちろんなのですが、じゃあどうやってそれを教えていくかという方法論的な話になると突然誰にもわからなくなっちゃうんですよね。
そういう状況になると「子供はネット使用を禁止しろ!」という極端な意見すらもある程度の正当性をもって聞こえかねません。
でも、ある程度のコンテンツの制限はやはり必要なのかもしれませんね。
長崎の例の子、ひとつ素人に弁護させてやってください。
太ってる人は、太ったねと言われるのが一番、トサカに来るらしいです。
そんな乙女心を知らず、言うほうは、親しみ込めてるだけなんですがネ。
ちょっと喧嘩して、豚だのデブなどと言われた暁には
煮えくり変えるモンがあるそうです。
これ男女共通で先進国共通の心理とか。ネット上でやられると公の場で言われたみたいで
そんな感情が増幅する傾向にあるみたいですね。
子どもですから、改心と立ち直りを祈りましょう。
DCネタ,頼んます。