MY LIFE AS A DOG

ワイングラスの向こうに人生が見える

打ちのめされるようなすごい本

2009年10月16日 22時57分12秒 | 読書
米原万里の「打ちのめされるようなすごい本」を読む。

米原万里は元ロシア語会議の同時通訳者であり、かつ作家。
2006年5月25日、卵巣がんのため逝去。享年56歳。

ロシア(ソ連)との重要会議のときは、あのゴルバチョフやエリツィンから「通訳は万里で頼む」と直接指名されるほど優秀な通訳者であったらしい。
文才にも長け、著書「不実な美女か貞淑な醜女か」で読売文学賞、「魔女の1ダース」で講談社エッセイ賞、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」で大宅壮一ノンフィクション賞、「オリガ・モリソヴナの反語法」でBunkamuraドゥ マゴ文学賞をそれぞれ受賞している。

そんな米原万里が週刊文春などさまざまなメディアに発表してきた書評を集めたものが本書「打ちのめされるようなすごい本」である。

この人の魅力をなんと表現すればよいだろうか。
文体はひたすらドライでクール。思考の過程はきわめて論理的である。一方、爆笑を誘うほどの並外れたユーモアのセンスを持ち、時にお下劣な下ネタをかましたかと思えば、人情話にほろりともさせられる。
このような、一見相矛盾するさまざまな要素をこの人の文章は兼ね備えているのだ。

それにしてもこの書評集、推理小説から哲学書にいたるまで、この人の守備範囲のあまりの広さにまず驚かされる。
もともとロシア語の同時通訳者であるから、必然的にロシア関係の書物が多くなることはやむをえないとしても、それにしてもよくもこれだけ硬軟取り混ぜた読書ができるものだと感心する。

そして、一つ一つの書評がまたいい。
米原のあとについて彼女の読書遍歴をそのまま全てなぞってしまいたいという欲求に駆られる。そのくらい、彼女の文章は魅力的なのだ。

高校生のころ、初めて「風とともに去りぬ」を観た僕は、その後しばらくヴィヴィアン・リーにハマっていた時期があった。あけてもくれてもヴィヴィアン・リーのことばかりを考えていた。もちろん、そのころヴィヴィアンリーはもうこの世の人ではなかったのだが。

僕が米原万里の本をはじめて手に取ったのは、ほんの1-2年前のことだ。
今さら彼女の本にハマった僕だが、ヴィヴィアン・リー同様、すでに米原万里はこの世の人ではない。

何故もっと早く彼女の本を手に取らなかっただろうか。
彼女を失ったのは現代日本にとって重大な損失だったと大げさでなく思う。
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