MY LIFE AS A DOG

ワイングラスの向こうに人生が見える

奥崎謙三氏死去

2005年07月07日 16時47分15秒 | 雑感
さっき知ったニュース。
「ゆきゆきて神軍」の奥崎謙三氏死去

とうとう死んでしまいましたか。。。
ということで、仕事の手を休め、この場を借りて奥崎氏について少しだけコメントしたいと思います。

奥崎謙三氏は、知る人ぞ知る、ドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」の主人公であります。
監督は自称“全身映画監督”の原一男。

奥崎氏は、1920年兵庫県生まれ。
大戦中、彼は独立工兵第36連隊に配属されニューギニアへ出兵しますが、飢えのため部隊は全滅し、奇跡的に2名が生還します。その一人が奥崎氏です。

「ゆきゆきて神軍」の中で奥崎氏は、当時ニューギニアでおきた日本兵殺害事件の真相を追って、関係者を次々と訪れます。
ところが、映画が進行するにつれ、奥崎氏が“普通の感覚の持ち主”ではないことが徐々に明らかになっていきます。
観客は、まず奥崎氏の異常な精神状態に戦慄し、その後、この狂人によって暴かれる驚愕の真実を目前にして、さらに言葉を失うことになります。

奥崎氏の振るう暴力に耐え切れずある元日本兵がこう吐露します。
「自分は、水のありかを捜すのが上手かったから食われなくて済んだんだよ」と。
ニューギニアで、日本兵が飢えに苦しむあまり共食いに走った事実がこの元日本兵の口から淡々と語られます。

当時、戦線を拡大しすぎた日本軍が物資の補給路をことごとく米軍に絶たれ、各地で多くの餓死者を出す羽目に陥ったことはよく知られています。
そして、この地獄から生還した奥崎氏は、その後、痛烈な反天皇主義者として様々な非合法活動(と言っていいのかな)に手を染めることになるのです。

ちなみに、お断りしておきますが、私は奥崎氏に対するシンパシーなどこれっぽっちも持ち合わせているわけではありません。
ただなんと言いましょうか、映画で見せる奥崎氏自身の狂気と、ニューギニアの日本兵達にとり憑いたであろう狂気とが知らぬ間にダブってきてしまい、彼の思想を単なる“狂人の妄想”であると切って捨てることができない自分がいるのも事実なのです。

奥崎謙三。享年85歳。
彼をそこまで駆り立てたものは一体なんだったのか、私には推し量ることすら出来ません。。。。

彼の略歴は以下のとおり。

1956年、悪徳不動産業者に対する傷害致死罪で懲役10年。
1969年、皇居長和殿の新年参賀式で、天皇陛下にパチンコ玉を発射したため逮捕され、懲役1年6ヶ月。
1972年、「ヤマザキ、天皇を撃て!」発刊。
1976年、銀座、新宿、渋谷のデパートの屋上から天皇のポルノビラを撒き逮捕。
    同年「宇宙人の聖書」発刊。
1981年、「田中角栄を殺すために記す」発刊。
1982年、映画「ゆきゆきて神軍」クランクイン。
1983年、元上官宅を訪れ、その長男に発砲し、殺人未遂で逮捕。懲役12年。
1987年、「ゆきゆきて神軍」上映はじまる。
    同年「ゆきゆきて「神軍」の思想」発刊。
1988年、上告棄却。
    同年「非国民奥崎謙三は訴える!!!」発刊。
1995年、「奥崎謙三服役囚考」発刊。
今上天皇ご即位に伴う恩赦を拒否し刑期を満了。1997年に出所。
2005年、死去(享年85歳)

略歴は、奥崎謙三「ゆきゆきて「神軍」の思想」を参考にしました。
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15 コメント

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鳥取城攻略もひどかったんです (餓鬼)
2006-08-23 21:37:34
城を攻めるにはいくつかの方法があるが、中でも「兵糧攻め」と言う方法は直接武器を交える戦法ではないが、考えると最も残酷で恐ろしい方法である。

 この兵糧攻めにかかり落城したものの中に鳥取城があるが、歴史上、見るも凄惨なこの世の生き地獄を現出した。

 天正8年(1581)6月、秀吉は鳥取城攻略のために約2万の大軍を率いて姫路をたった。大釈山(たいしゃくざん)に本陣を構えた秀吉はたちまち鳥取城を大軍で包囲した。それに先立ち、秀吉は相場の数倍という値で米を買いあさっておくことを忘れなかった。

 この時、鳥取城では毛利氏の援軍をあてにして20日分ばかりの兵糧しか用意していなかったのである。

 

 包囲されてたちまち2か月が過ぎた。それまでに何度か毛利からの援軍はあったが、陸路も海路もことごとく秀吉の大軍に阻まれて失敗した。すでに城内では兵糧はとっくに尽き餓えが始まっていた。食べられると思われる木の葉は食べ尽くされ、はては乗馬は殺されて、その肉は城兵に少しづつ分け与えられたが長続きしなかった。餓えた者の中には家宝などを持ち出してはなけなしの馬肉と交換してくれと哀願する者もあったが、こうなってくるとどんな高価なものを見せられても誰も見向きもしなかった。

「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず。」・・・信長公記にはこう記されている。



 秀吉の大軍が包囲して4か月がたち10月になった。城内の兵、百姓、婦女子約4千には餓死する者が出始めていた。やがて、三の丸の者たちが死人の肉を食べているという噂が流れはじめた。

 戦どころではなく寒さと餓えに疲労困ぱいした城兵は、雑草をも食べ尽くしたあげく、埋められた死者を掘り起こし死人の肉を食べはじめたのである。城の回りには柵が設けられており、城外に逃れることは出来なかったが、あえて城内で餓死を待つよりはと柵をよじのぼり、逃れようとするが、それを待っていたかのように鉄砲が撃ちかけられる。



撃たれた者が柵より転げ落ちるとまだ息のある負傷者に近くにいた者がナタや小刀を振りかざして、われ先に群がり、関節を砕き、まるで牛や馬をさばくかのように、たちまちバラバラにして食べるのであった。

 特に頭の部分が栄養があって一番うまく、生首を両手に抱えて逃げていく者など、生に執着するばかりのおぞましい餓鬼道ぶりであった。また死人の首の奪い合いで命を落とす者が出ると、今度はその死者の頭や肉を食らわんがために蟻のように群がっていくという、身の毛のよだつこの世の地獄絵図を現出したのである。

 「糧尽きて馬牛などを殺し食いしかども、それも程なく尽きぬれば餓死し、人の宍を食合へり・・・・子は親を食し、弟は兄を食し杯しける」・・・豊鏡(とよかがみ)では地獄の惨状をこうしるしている。

 この城内の凄惨さに見るに見かねた吉川経家は、もはやこれまでと自決の条件で開城することにして、城兵の命を助けることにした。



秀吉はこれを許し餓えた城兵のために道のほとりに大がまを並べて粥を煮た。

 やがて開城されて餓えのためにふらふらになって出てきた城兵たちは、目の前の粥を見て押さえきれるはずもなく、ガツガツとむさぼり食った。



 そのために、急に食べすぎたためにせっかく生き長らえた者たちも、ほとんど死んでしまった。



 のち、鳥取城の廃虚には食人鬼の怨念と亡霊が長く現われたために、人々は恐れて夜は決して近づくことはなかったという。

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Unknown (kazu-n)
2006-08-23 13:33:37
pfaelzerweinさん



>>間違った事は目上の人にでも正しなさい



なるほど。興味深いです。



>>偽者には迫力も真実味も無いですな。



確かに、その点、奥崎氏は迫力ありますね。

当時、南方戦線における死者の実に7割が餓死者だったという話を聞くと、彼にとり憑いた狂気も“まとも”に思えてきます。



ニューギニアの怨霊さま

拙ブログにコメントありがとうございます。



>>小泉が靖国神社などとほざいているが「ふざけるな!」と言いたい。

平和ボケ人間ですが、私もそう思います。



>>平和ボケの日本には北朝鮮のテポドンでも落ちろ!



えー。。まあ、そういう考え方もありかもしれません。



ということで、当方弱小ブログですが、また覗きにきてやってください。



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靖国神社? (ニューギニアの怨霊)
2006-08-23 01:24:13
ニューギニアは地獄だ。餓死で全滅だった。

奥崎は奇跡的に生還したものすごく運のいい奴だ。

奥崎をキチガイ扱いするのはやめろ。

お前達平和ボケした今の日本人にはわからない。

小泉が靖国神社などとほざいているが「ふざけるな!」と言いたい。

我々は靖国神社になどいないわ。

今でもニューギニアのジャングルで白骨のまま散らばっている。

平和ボケの日本には北朝鮮のテポドンでも落ちろ!
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大正デモクラシー (pfaelzerwein)
2006-08-22 16:15:28
「神様の愛い奴」は観る必要なさそうですね。kazu-nさん、有難うございました。



右翼とのトラブルですが、どうなんでしょう。しかし計算すると、奥崎氏は1920年生まれで、大正デモクラシーの影響を受けてますね。三島由紀夫より五年上。つまり「間違った事は目上の人にでも正しなさい」と言う教育です。面白いと思いませんか。



それでも生き神・昭和天皇も経験している訳です。グラス少年やラッツィンガー少年のような軍国少年でも無い。そして、正真正銘の皇軍なんですよね。



現在のように実体験の無い似非右翼がなんだかんだ言うのはおこがましい。偽者には迫力も真実味も無いですな。



1970年代の半ばと思われます。
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pfaelzerweinさま (kazu-n)
2006-08-22 13:12:15
拙ブログにコメントいただきありがとうございます。



>>その中でも一際、本気さと狂気に溢れていたのが奥崎氏でした。



なるほど。奥崎氏が娑婆にいた頃をリアルタイムでご存知なのですね。ちなみに昭和何年ごろのことでしょうか。私はまだ幼かったのか(?)その辺の記憶がほとんどありません。ちなみに東郷健という人物。雑誌の天皇コラージュ写真に激怒した民族派の皆さんがよってたかってボコボコにしたという話を本で読んだことがあります。奥崎氏もあの調子だからきっと右翼とのトラブルは多かったと予想しますが、いかがだったのでしょうか。



>>あまり驚かなかった。どちらかと言えば正常に見えた。

なるほど。当時はああいう不思議な人たちがたくさんいたのでしょうね。ある意味多様性があって“面白い”時代だったと言えるのかも・・。

ところで、私はあの奥崎氏の遠藤誠弁護士の披露宴におけるスピーチが今でも頭を離れません。



>>「神様の愛い奴」って何を描いているのですか?

奥崎氏が刑期を終えて刑務所を出所するところからはじまります。そのころの奥崎氏はすでに「ゆきゆきて」の頃の精悍さを失い、言ってみれば廃人の一歩手前という有様で、そういう奥崎氏を監督をはじめスタッフ一同が徹底的におちょくって遊ぶというひどい映画でした。



ということで、当ブログはpfaelzerweinさんのところのブログのような格調の高さは微塵もありませんが、お暇でしたらまた遊びに来てくださいませ。
返信する
本気さと狂気 (pfaelzerwein)
2006-08-21 23:29:15
先日はコメント有難うございました。面白そうな話題があるのですが、先ずここに一言。



奥崎氏は、なによりもパチンコ事件を吹聴する衆議院・参議院候補として政見放送でお馴染みの顔でした(だから映画でも公安は先生と呼ぶ)。言えばチュウピ連や東郷健?やらの当時のオールスターキャストの一人ですね。当時の参議院で言えば青島、チンペイ、ノック、だんし、八代とか可朝とか輝とかが割拠していた時代です。その中でも一際、本気さと狂気に溢れていたのが奥崎氏でした。



そのような出会いから、後日映画化されて上映会に行った時には、ようやく注目されるようになったなと感慨深いものでした。ですから、映画の内容も犯罪も想定内のもので、あまり驚かなかった。どちらかと言えば正常に見えた。



昭和天皇や、当時を闇の中に葬り去り平気な顔で日常生活生きる上官を糾弾する人物を貫いた確信犯ですからね。その意味では、226の青年将校達ともあまり変わらない。



「神様の愛い奴」って何を描いているのですか?
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ケンジさん (kazu-n)
2006-08-11 08:00:56
はじめまして。

コメント有難うございます。



>>彼に非難された人達の事は、断罪されてしかるべきと言うか、ありのまま話す義務はあると思います。



同感です。自分達が何をやったのかを後生にしっかり語り継ぐことは非常に大切なことだし、我々も、そのような事実から目をそらさないで向き合ってゆく必要があると思います。



>>自らの行為を否定してしまってると思う



そのとおりだと思います。でも、それをやってしまうところが奥崎氏の奥崎氏たるところであって、むしろそういう人物を主人公に据えたことが、この映画の鬼気迫る迫力を生んでいるのではないか、という気がします。

我々の、常識を完全に逸脱している男。それが奥崎謙三であるわけです。



ということで、ケンジさん。当方弱小ブログではありますが、また遊びに来てください。
返信する
Unknown (ケンジ)
2006-08-11 06:23:44
たった今「ゆきゆきて神軍」見た所です。

彼に少し興味を持ち こちらに辿り着きました。

戦時中とは言え、彼に非難された人達の事は、断罪されてしかるべきと言うか、ありのまま話す義務はあると思います。戦争中だから仕方ない、などでは彼が言う様に、死んでいった方が浮かばれません。

しかし、彼がピストルで撃った方は、彼が狙う人間の息子さんであり、それは間違いで、今までして来た彼の行為全てが否定される結果になりかねないと言うか、自らの行為を否定してしまってると思うのです。
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追伸 (kazu-n)
2006-08-03 19:53:03
ゆきさん。追伸です。



>>ドキュメンタリーに興味を持った



ゆきさんも、ドキュメンタリー好きなのですね。

僕も好きです。原一男のほかの作品も結構好きです(全部は見てませんが・・)。

その他、小川紳介、佐藤真、ロバート・フラハティ、フレデリック・ワイズマンなどお勧めです。機会があれば観てみて下さい。
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ゆきさん (kazu-n)
2006-08-03 19:45:20
はじめまして。

コメントありがとうございました。



>>続いて「神様の愛い奴」も、観ましたが・・



そうですか、ついに観ちゃいましたか・・

そうなんですよね、「ゆきゆきて神軍」を観ちゃうと、普通の人ならどうしたって「神様の愛い奴」に手が伸びちゃうんですよね。分かります。それで見終わったあとにすごく後悔するんですよね。はい。僕もそうでした(苦笑)



ちなみに、「ゆきゆきて神軍」を観ておられるということは、ゆきさんもかなりの映画好きとお見受けしますがいかがでしょうか。このブログでも映画の話をたびたび取り上げていますので、よろしければまた遊びにきてください。
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はじめまして☆ (ゆき)
2006-08-03 18:25:28
こんにちは。

書き込みをさせていただきます、東京在住の大学生です。

つい最近、ドキュメンタリーに興味を持ったので、「ゆきゆきて神軍」を観ました。確かに段々と、奥崎氏の狂気を感じ、恐くなりました。

続いて「神様の愛い奴」も、観ましたが、見ていて耐えられる映像でなくて、すごく気分が悪くなりました。年寄りに皆でたかって、だましたりいじめてるようにしか見られませんでした。

彼のその後書きになったのですが、こちらのサイトで亡くなられた事を知りました。

原監督のほかの作品も見てみようかな。

突然の書き込みで、お邪魔しました!

アメリカで、お体に気をつけてください。

返信する
こんにちは (kazu-n)
2005-07-25 23:35:15
neocyさん

お久しぶりです。

こんにちは。

それって、奥崎氏のもう一つの映画「神様の愛い奴」のなかで彼がやってたやつじゃないでしょうか。手をあわせて小刻みにゆするという方法ではなかったですかね(笑)

あれを見て、「この人は完全にイっちゃってるなー」と思いました。

ちなみに「神様の愛い奴」はひどい映画です。見ないほうが身のためです。
返信する
遅い書き込み&茶々入れですが。 (neocy)
2005-07-25 18:54:48
松尾スズキさんの(かなりクダラナーイ)本によると

奥崎氏は独自にあみ出した健康法により120才まで生きてみせると言っていたそうです。凄まじい人生で、生きることには相当な執着があったでしょうね・・・
返信する
こんにちは (kazu-n)
2005-07-10 17:02:09
こちらこそ、コメントありがとうございます。

まさか、この記事に反応されるとは思っていませんでした(笑)。

この作品が高く評価されるのは、やはり原一男の力量によるところが大きいと思います。原のほかの作品も結構いいです。(ひょっとしたらいくつかもうご覧になっているかもしれませんが)



ということで、また遊びに来てください。
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コメントありがとうございます (920の娘)
2005-07-10 13:06:46
奥崎謙三の文字を目にし、ここにコメントを書くことにいたしました。友人に勧められて観た「ゆきゆきて神軍」。私は新聞の夕刊で記事を見つけしばし感慨にふけりました。昭和は遠くなりにけりですね。現在はHoustonにいらっしゃるとか。またこちらに遊びに来ます!
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