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生を明らめ死を明らむる

2013-03-23 16:52:18 | うちの若ダンナの話。
(ケータイからなのに長文になりました。
お時間あるときに読んで下さい。)

今日は、ダンナさまのお祖母さん(息子の曾お祖母さん)の三回忌でした。


普段、私と2人きりで、たまに児童館とか、ショッピングモールの広場に行っても、1人遊びする息子…

まして今日は、親戚の中で一番下は4ヶ月のハトコ(来る訳ない!)なので、
遊び相手がいるとは思えず、
「とりあえず、みんなに会ったら、ニッコリ笑って手を振れば
『ワッくん、挨拶出来るのね(^O^)』
って誉めて貰えるよ~」
と教えて、いざお寺に…


今まで、何故か唯一人見知りしていたお義姉さん(ダンナ姉)にも、今日は近付いて行ったし、
次々来る親戚の人たちにも、サッと右手を出して握手(挨拶)してるし、
予想以上の物怖じしなさに、ママ大栗(びつくり)


でも、一番ビックリというか、感心したのは、読経中
「途中で飽きて、騒いじゃうだろう…」
と誰もが思っていたのに、始めはババの膝に、
お焼香するときに、私に気付いて、その後はママの膝に座って、
途中眠いのか
「抱っこ~」
になったものの、すぐまた前に向き直って、最後まで騒がずに聞いてくれたんです。
(終わった後、思わず
「偉いね~(≧∇≦)」
って頭なでなでした)


そういえば、去年の一周忌の時も

「解っているのか、いないのか、お焼香の時、抱っこしていたら、
 ひざの上で大人しくしていてくれました。
(最後の最後で「もう降りたい~」って暴れてたケド…)」

って書いてたなぁ~。


私の家(イトウ家)は、法事とかなかったので、読経とかに触れたのは高校に入ってからだったけど、
実は仏教行事が好きだったので、息子もその血を継いだのかな?
(「宗教行事」ではなく、毎朝読経する学校だったんだけどね)


次の法事は、いつになるか判らないけど、
今度集まるときも、いい子で居てくれますように…


それにしても…普段ズボンしか履かないから、礼服(スカートな上に、中は半袖のワンピース)は寒かったなぁ~(-o-;)


…って言うか、今年初めてスカート履いたよ(°□°;)


今、↑ここまで書いて投稿しようとして、タイトルの説明してないことに気付きました!

この「生を明らめ死を明らむる」というのは、今日読んで戴いた『修証義』というもので、
「生をあきらめ」は「あきらめる」ことではなく「明らかに」すること
「いのち」というのは、自分の一代だけではなく、
自分は、両親が居なくては存在しておらず、
例えば10代遡れば、10の2乗=1,024人の人が居て、その人達の1人でも欠けていれば、自分は居ないということで、
自分の生が終わっても、「いのち」は子供の代に続いていく

というような意味なんだそうです。


お祖母さんが居て、ジジが居て、ダンナが居て、息子が在る!


そういう繋がりを感じました。


(ここまで長文読んで戴き、有難うございました。)

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