日本学術会議 任命拒否の大学教授らが会見(日本テレビ系
— 橋下徹 (@hashimoto_lo) October 24, 2020
➡︎政治批判をするときにヒトラーを持ち出すのはダメな学者の典型。今は選挙で首相を替えることができる。むしろ学術会議に最終決定権を与えれば民主的統制が全く及ばず関東軍になってしまうことが分からないのかね https://t.co/hkF4vCPHTP
どうしてヒトラーを持ち出してはいけないのか?多くの人からすれば、ヒトラーと日本は遠いという感じなんでしょうね。
学術会議が政治的な決定権を持つというのでしょうか?持ってないでしょう?
任命拒否の理由をズラしているだけでしょう?いつも彼は自民党側につきますよね。
「ダメな学者」と学者をただ貶めるようなイメージを作り出すけど、具体性がないと「ダメ」と言っているのでしょうか。なんで学者嫌いなんでしょうね。
そもそも戦争の反省から考えられたのが、学術会議でしょう。
さて、ここでヒトラーのファシズムが学問に与えた影響に触れておこう。
第二次大戦以降、西欧の人文社会科学の学問はヒトラーという現象、ファシズム(全体主義)という現象の反省を主軸にしてきたと言っていい。
少しだけ例を挙げよう。
・アーレント『全体主義の起源』
・ アドルノ『権威主義的パーソナリティ』『ミニマモラリア』の「アウシュビッツの後ではドイツ詩はもはや書くことが不可能だ」
・ ミルグラム『服従の心理』
・ アルノ・グリューンの一連の精神分析からの著作
・ ライヒ『ファシズムの大衆心理』
・ フロム『自由からの逃走』
ドイツ系の人が多いのは当然であるが、これらはファシズムが普通の人々にこそ起こることをその成果として示してきた。ゆえに、これからもファシズムに陥ってはいけないのだと主張し、人類の知的遺産にしてきたのだ。
そして人文社会科学を研究する者たちは、この精神を引き継いできたのである。学者とは平和を志す者でなければならない。学問は政治ではない。真理を希求する。それは戦争を研究する者であってもである。
この継承を怠ってはいけない。ファシズム、ヒトラーの経験は現在の学問の基底にある。これは教養である。
(つづく)