近代の民主主義について取り上げる前に、古代のそれについても簡単に振り返ろう。
何と言ってもギリシャのアテネである。民主制が実践されていたのは、結局のところ、ギリシャ全体でもアテネなどのごく一部であった。特にアテネは知的にも経済的にも優れていたので、自らを先進国であると見ていた。
民主制の前は僭主制であって、のちの民主制と豊かさの享受をしていたのは、僭主制であった。だから独裁的なイメージであるとは思うが、イコール貧しい国であるという訳ではない。ところが僭主制を継承する政治家の失政から、民衆の心が離れていく。
ここで重要なのは戦争。当時の国防は、都市国家が軍隊を所有するのではなく、市民が自ら武装して戦うという者であった。ペルシャ戦争の中で、アテネの成人市民が総動員される。市民であれば、誰もが国のために戦う。その結果、国のため戦争に参加した市民は、国政に参加するのが当然と考えるようになる。
ちょうど、この頃に力を得てきたのがペリクレスである。ペリクレスの時代はアテネの民主制全盛の時代になる。ペリクレスによれば、アテネの政体は他国の政体と違う。そこが卓越しているのだと。
その思想は、少数者の独占を排し、多数者の公平を守ることを目的とする。すなわち、民主制と。
ペリクレスのアテネでは、いや民主制だから、あくまでアテネでは、個人間の紛争は法律に従い、人々に平等な発言を認める。だからといって、特別に才能がある者があれば、人々が認めることで、公の地位を与える。加えて、この地位は貧しさによって、後退してはいけない。
ここに能力主義を認める旨を述べている。ただし、人々が認めるという手続きが必要である。選挙で人を選ぶことのように思える。ただし財産の有無にとらわれない。都市国家に益を成すものは、そこに公の道を作らなければならない。こういう自由が述べられる。
加えて、寛容も説く。隣人が気に入らないことをしようとも、これを怒ったりし、実害がなければ、不快を表面に表すようなことはするな。ただ公にする場合、節度を持って、あるいは恥の気持ちを持って、法に従う。そこでは、法を犯した者に羞恥の心が湧くようにし、侵された者を救わなければならない。
ここに国家の徳、民主主義なるものの方向性がある、というのだ、
アテネはアレクサンドロス大王が勢力を伸ばし、優曇華の花として、ほんの少しだけ咲いたのだ。
民主主義はこれ以降生まれない。近代になるまで。