自然は、人間にはどうしようもできないという側面があります。近代は自然を統制しようとしてきたわけですが、当然人間の手に負えないことがあります。ちょうど今現在のコロナのパンデミックのように。
このような自然を外在化して語っていますが、それ自体がおかしいことになかなか気づかないものです。何かというと、当の人間が、特にその身体が自然であることです。ですから、人間の身体に備わっている仕組みが正しく働くことが、人間にとっての自然となるでしょう。加えておきますが、人間が普通悪いことと思う身体の不調も、あるいは死でさえも自然の仕組みに他なりません。
少し脱線しました、この自然が人間の心身の健康を保つのです。何かアレルギーでも出たり、熱が出たりするのは、この心身の健康のバランスが崩れることです。これは言うまでもありませんでした。
都会生活はこの仕組みに反して行動していると言えます。バランスが崩れてきて、なんだか不調を感じることもあります。例えば、朝通勤ラッシュで会社に通います。通勤ラッシュというのは、いつの時代からあるのでしょう。蒸気機関ができてからということはわかりますが、ちなみに日本ではおおよそ100年だそうです。
通勤ラッシュが健康を害する、ストレスになることは周知の事実です。仕事のため、生活のため、お金のためなどと頑張るわけですが、どう考えてもあまりに不自然なことをやっています。自然から遠ざかるというのは、ヒポクラテスに言わせれば、本来の人間から遠ざかるとの意味です。日本的な表現では、自然体ではいられないということでしょう。
こういう環境の中での行動で、人間は自然と自律神経のバランスを崩すでしょうし、ホルモンバランスも崩れます。どうにか立て直しても、毎日のように繰り返し、ストレス解消と深酒をし、睡眠のリズムも壊れます。そうすれば、精神のバランスも崩します。当たり前です。
このような乱れもまた、自然でさえあるでしょう。心身に無理をさせれば、自分の意思ではどうにもできない自然の仕組みが発動してしまうのです。これもまた太陽が東から登って西に、あるいは季節によって花が咲いたり、緑が紅葉になったりする自然の一部なのです。
自然の仕組みに逆らわない生き方を否定してきたのが、近代社会です。現在環境問題への注視、SDGsなどもまた近代社会のカウンターとして出現したのか、自然の仕組みに内属していることの意識というよりは、自然発生的な現象なのかもしれません。
そもそも自然には善悪の区別はありません。人間にとって不都合な自然現象もまた自然の秩序です。悪い台風も地震もないのです。善悪が生まれるのは人間社会の中だけ。ゆえに人間の活動が生み出す善悪は、複雑に入り組んでいます。
人間の側からみると、自然のつながりを欠くなら、自然欠乏であり、どこか不調を来すということです。このような自然欠乏は、人間が行う科学技術や都市化が着々と準備し生産し、翻って(自己言及的に)人間に返ってきたということでしょう。ただ科学技術や都市化を善悪の善とする意識は、その事実を気づかせないのだと思います。