前回、「少年革命家 ゆたぽん」君について扱った。
不登校の子ども達を救済するとのメッセージに少しばかり違和感を抱いた部分があったからだ。そこに自らを上位のものとする意識が垣間見得たように思われたのだが、ここ最近、そういう考え方を肯定する傾向が強くなっている。例えば、自我心理学である。
ここで自我心理学を解説する気はないけれど、他者が自己より劣っていると考えることにより、自我の満足をはかり、成長や成功という価値観を信奉する人の心の動きを利用した心理学である。
勝ち組になるという価値観を受け入れた者には都合のいい心理学であろう。ちょうど「ゆたぽん」君のお父さんが心理カウンセラーを名乗っているということなので、そういう価値観を受け入れている可能背もあると思う。
心理カウンセラーという肩書きは何か信用できる人物であると思わせるが、ちゃんと学問を身につけていなくても名乗れる程度のものである。時に“エセ”であるとか、“スピリチュアル”なものを信奉して、そう名乗る者もいる。
そもそも人の心理なんて、人間には不可知なものである。どうにか科学的手法を利用して合理的に理解しようとして、ちゃんとした心理学者は努力するが、その果てに非合理なものを発見するということがあるようだ。
不登校の子ども達を救済するという彼のメッセージで僕が思い出したのは、先にも書いたように3・11の時のことである。こんなことを言っていた者がいた。
「僕たちの頑張る姿を被災者に見ていただき、元気を届けたい」
正直に言うと、僕はこの言葉を当たり前のように発する人がいることを信じられなかった。被災という過酷な状況を僕たちは理解しがたい。その理解しがたい姿に思いを馳せれば、「頑張れ」などと簡単に言葉にはできないし、「元気を届けたい」などと被災者ではなく、非被災者である一般の人が自らを中心に置いて言葉を発するというのは、他者の存在を軽視した自己中心の世界に閉じこもりながら、良いことをしているという自己満足にあるからだ。
当時このような言説がまかり通っていたように思われるが、そのような言葉を受けた被災者が冷静は反応をしていたのを思い出す。
思い出すのはアントニオ猪木が被災地に物資を届けたときのことである。猪木といえば、「元気ですか〜」と国会でも叫ぶくらいの元気配達人である。猪木が実際に被災地に訪れた時は被災者に大いに歓迎されていたし、おばあちゃんが猪木を神様扱いして拝んだりしていたのだから、元気配達人としての面目躍如といったところだろうか。
ところが、猪木が当時言っていたのは、「被災地に行って迷惑にならないか?」「何かできることがあるのだろうか」という思いがあったというのだ。
確かに僕たちはあの被災で過酷な状況にある人たちに何ができるというのだろうか。あの「元気ですか〜」とパフォーマンスをしている猪木が、そのような思いを抱いていたのだから、被災者と少しばかりの共苦を生きていたのだろう。大スターとしての上から目線や、自己中心の世界はここにはない。
本当に困っている人とはコンパッション(共苦)が媒介となるに違いない。