中国の階級。都市中産階級と労働者。労働者が作る財やサービスを中産階級が享受する。そして、労働者は中産階級とは異なる次元で生活を行う。中産階級は安定した所得で労働者は低賃金。これが中国全体の豊かさを支える構造。
とはいえ、労働者は卑屈ではない。それなりの生活や未来を想像するのである。だから労働に誇りも持てる。
この体制と日本を想像しながら比較してしまった。
まず、日本にも低賃金労働者が増加している。彼らは非正規になったり、小狡い方法だが、正規雇用と名ばかりの低賃金労働者。この層が増加していることは、誰もが認識することであるし、統計から見ても事実である。
彼らは自らの生活を支えられなかったり、結婚できる状況ではない。この貧しさに拍車をかけるように、ダブルワークだ、副業だと、さらなる労働に掻き立てられる。
そして、一流企業に勤める人間は安定した所得を基礎にしている。だから就職の際、正規か非正規かという違いは、そのまま安定した生活に直結するので、死活問題のような様相を呈する。よって、就活は人生の大問題である。
ここに明確に格差が存在するように観念化される。中国が階級に二分されているように、日本も格差で二分されている。同じのようにさえ見えてしまう。
1980年代、日本は一億総中流と言われた。実際は貧困の問題がなかったわけではなかったが、誰もがそこそこ豊かに暮らしている。そうイメージできた。
この30年の間に日本は一億総中流から格差社会に変貌してしまった。
このまま格差が固定化されていけば、中国と同様階級社会になっていく。少なくとも機能としては階級の成立つ。それとも総中流の方がいいだろうか。その選択肢の前に立っているのだが、そのような意識はないように見える。
しかも中国の労働者が誇りを持って仕事をしているのに、日本の非正規は仕事に劣等感を持っている。
結局勝ち組になろうと、自分さえ良ければという意識こそ、このような階級を固定化していく。自分は勝ち組だと高収入や資産を誇れば、社会全体として、階級化していく。
なんか違和感がないだろうか。ただ若い人は、格差をデフォルトにして世界を見ていくので、違和感を持つこと自体難しいだろう。