テレビでやってる番組「ヒューマンドグルメンタリー オモウマい店」にはまっている。
出演する飲食店の人々がサイコーだ。なんていうんだろう。”人間”ってこうだよね!って思っちゃう。
なんだか観ていると、涙が出てきちゃう。人間が面白いから、笑って涙。人懐っこくて涙。親切だから涙。てらいがなくて涙。安くて涙。大盛りで涙。スタッフも店で使われて涙。個性的で涙。
なんだ日本人には個性がないとか、若い人が個性を求めて右往左往するけれど、ここに個性的な人がいっぱいいるじゃないか。
自分が損しても、腹一杯食べてもらいたい。お客さんの笑顔を見たい。みんな赤字じゃないかと心配するが、どうにかやってると笑顔。挙げ句の果てに、店の赤字を埋めるためにウーバーイーツでバイト。今日の放送ではウーバーイーツやらなくて、よくなったって。見てる方が嬉しいよ。そこでも涙。
効率だ経済合理性だといって、社会はそういう方に進んできた。でも「オモウマい店」に経済合理性などはない。だって金勘定より、腹一杯食べて欲しいとか、笑顔を見たいからとか、子供はかわいいからお菓子をあげるとか、そういう思いが先立ってるんだから。そういうことで、この社会で痛められた心が癒されているんだろうか。
「オモウマい店」には非合理性がある。そう、経済は合理的にのみ動くわけではないという当たり前のことが現れている。そうすると、店に行く方も損得勘定とは違う思いを抱きながら、おばちゃんの顔が見たいから、仲間だからと動く。
人間が効率的合理的存在になりすぎてはいけないと思う。そういえば当ブログで宮沢賢治を持ち出したりしたが、自分が関係する人を幸せにしょうとする人をテレビで観れたのだから、「オモウマい店」の人たちは、現実に根ざした宮沢賢治のようなものだろうか。