今日広島の原爆の式典がありました。あの時、原爆で死んだ方々、被害にあった方々に対して、心を持つと、その悲しさや苦しさを知ってしまうのです。それが共感や共苦です。
「教養とは人の心がわかること」は養老孟司の言葉だが、さてこの国の親玉は、そういう心があるのだろうか。
今日菅総理は、式典で原稿を読み飛ばしました。もし「教養」があれば、広島に思いを寄せるので、自分が読む原稿の内容に目を通すでしょう。そして、理解に務めるでしょう。
ただの決まっている仕事だからと、ただこなしたんでしょう。
そういえば昨日パルスオキシメーターについて書きましたが、都がその基準を変えるという話が出ています。医療崩壊を避けるためだろう。ここに共感共苦があるかね・・
そういえば、パンケーキ好き、元号令和を知らせた人、田舎出身の苦労人というイメージ戦略がありましたね。どうせどっかの広告会社あたりが、一枚噛んだ宣伝でしたよね。
菅、安倍、麻生といった自民党の権力の中心は、共感共苦を持たないようなので、向かうのは権力権威名誉でしょうね。まあ金もか。そういう人たちが日本のトップですが、それを許容するのは国民さんですよ。
小沢一郎のTweet
「では、日本政府はなぜ市民を助ける気がないのか。それは日本政府が市民を恐れていないからだ。彼らが恐れているのは利権関係でズブズブな大企業、業界団体であり、だからその癒着のもとでGoTo やオリンピックなど、コロナそっちのけて自分たちの利益追求に走ることになる」 https://t.co/z9pTvzJb4q
— 小沢一郎(事務所) (@ozawa_jimusho) August 5, 2021
中国を揶揄する人がいますが、中国だって中国人民が怒ると当然反応しますよ。だって、昔から皇帝による統治では、人民が不幸せであれば、皇帝は交替しなければなりません。いわゆる易姓革命です。
だって世界の人々は政府に対して怒るでしょう。それだけでは済まないことはわかりやすいことです。日本国民は何ができますかね。実はコロナを利用して、統治を徹底したのでしょうから。自律性を奪われている国民が怒らなければなりません。
アウシュビッツにさえ慣れてしまうのが人間です。自戒を込めて。