先日、クリニックに行ったところ、2時間待ちであった。まあこんなものだろうと思っていたが、向かいのカップルが「いつまで待たせる」「具合が悪く来ているのに」と小声で不満を漏らしていた。まあ気持ちはわかるが、みんな体調は悪いし、重篤というわけでもなければ、順番で対応するしかないかなと思っていた。
病院の待ち時間が長いということがよく指摘される。
日本では医者など医療従事者や事務などの人数が少ないとも聞く。国際比較では、人口比でみると、日本の医者は少ないらしい。医者や医療従事者が多ければ、待ち時間は確かに短くはなるとは思う。ちなみに日本は医者の数は少ないのに、医療機関数は世界一だったと思う。
また患者もちょっと体調が悪いだけで、大病院に行きたがる。まあ風邪でも来る。とりあえずクリニックに行って、そこの医者に診断してもらってから、必要であれば、紹介状をもらって病院に行けばいいのに、大病院志向がそうはさせない。当たり前だけど、患者の数が増えれば、それだけ待ち時間は長くなる。交通渋滞と同じだと思う。
海外での待ち時間はどうだろうか?僕の娘はカナダ在中だけど、いきなり病院に行けば半日以上待つのは当たり前だという。これも極端かもしれないが。
欧米ではクリニックや家庭医に行って、紹介状をもらわないと病院では受診できない。電話で予約を取ることが多いらしいが、2週間待ちは当たり前、2ヶ月待ちということもあるらしい。日本では病院であっても、当日受診可能である。当該科が動いていれば、断るというのが難しい。
これで日本は待ち時間が長いのだろうかとも思う。
知り合いの医者が言っていたのだが、日本人ほど検査好きはいないと思うとのこと。確かに街中のクリニックにCTが設置してあり、それを売りにしているのは日本ぐらいだろう。
また、病院としては医療点数稼ぎに検査を推奨する。昔働いていた病院でたまたま耳に入って来た言葉が忘れられない。
医事課課長が医者に向かって「先生、今月は検査数が多くて助かりました。これからもどんどん検査してください」。
医者「頑張りますよ。病院に貢献しているでしょ」
僕は「適切な検査をしてほしい」
と心の中でつぶやいたものだ。「念のため」と言っては検査をするわけだ。患者は丁寧な診察であると思っているが、不要な検査をしているだけということは間違いなく多い。
僕自身も気管支炎とわかっていて、「念のため」と言って胸のCTを撮ろうと勧められたことがある。本当に必要とは思われなかったので、医者に説明を求めたが、曖昧なことを言うだけだった。その時は断った。もちろん、現在まで肺に問題はない。
さて、病院の待ち時間で思い出すことがある。
以前のブログにも触れたように、僕は昔大学病院で働いていたことがある。その時の話である。
当直事務の仕事なので、18時過ぎ以降は一般外来の患者対応はない。そもそも契約外といっていい。まあ多少は手伝っていたのだが。
木曜日であったと記憶しているのだが、心臓外科の外来患者が診察を終わるのが随分と遅くなっていた。一番遅い時間は24時を超えるのである。救急ではなく、外来の患者だというのにだ。
患者からはいつもお礼の言葉をいただいてもいた。話をしてみると、ある患者は予約が13時だというのだ。何と10時間待ちである。彼は心臓外科で高名な医者の診察を受けるために、この病院にやって来たのだ。そして手術の日程が決まったと喜んでいる。
何と日本全国でこの手術をできるのはこの医者ぐらいしかおらず、ワラをも掴む思いで、病院にやって来たというのだ。ちなみに「神の手」と言われる医者だったらしい。それゆえ日本全国から患者がやって来るわけだ。放っておけば、数年以内に亡くなる病気とのことで、治るということもあって心底喜んでいた。
だから、その「神の手」の医者、医療従事者、病院、ついでに僕たちのような医事スタッフにも感謝していた。へそ曲がりの僕もさすがに意味のある仕事をしているという実感が湧いたものだ。
僕は「随分待ち時間があったんですね」などと声をかけたりしたが、総じて患者側の反応は、「命かかってるし、いくらでも待つよ」というものだった。10時間以上待っても、不満が生じるわけもなかった。そこには感謝しかなかった。
本当に必要な医療を待つ人々に待ち時間の不満は生じない、そんなことを感じていた。最初に触れたカップルだけど、病気で多少辛いかもしれないが、命がかかっているわけではない。ちょっとした辛さを和らげるのも現在医療の役割とされているが、自身のことであるから、自身で引き受けるというのも当たり前である。
ただ2時間も待合室で待ってるだけなら、家で寝ている方がいいのかも・・・