ご存知の通り、またアベノマスクが配布される。8000万部だ。
中国人の妻に伝えたら、「そんなものいらない!何考えているの?」と。加えて「中国政府も信じられないけれど、日本はもっと酷い」と。ちなみに妻は普通に生活する日本人は好きだとよく言う。
僕がいちいち指摘するまでもなく、不要論が生じている。国民の“需要”はない。国民ほとんどがそう持っているだろう。では、誰にとって必要なのか?
前回アベノマスクの時の報道を参照しよう。
「政府が公表した情報などによれば、アベノマスクの発注先は興和(契約額54.8億円)、伊藤忠商事(同28.5億円)、マツオカコーポレーション(同7.6億円)、ユースビオ(同4.7億円)、横井定(契約金額不明)の5社。ユースビオはベトナムで生産した布製マスクを1枚135円で350万枚、政府に納入したことがわかっている。だが、それ以外の4社は、生産地は海外であるとされているものの、1枚あたりの単価や生産枚数は公表していない」(AERAdot.から https://dot.asahi.com/wa/2020042800016.html?page=1)
必要なのは上記企業である。僕たち国民ではない。今回同じ企業になるのかどうかは知らない。日本政府の経済政策として行われるのであって、コロナ対策、つまり日本人の公衆衛生のためではない。
こういう思考形式しか取れないのである。負けるとわかっていても、突き進むしかない、とでもいうように。そう思っていないように感じるのだが。
以前にも使った図式を利用しようと思う。
政府はモノ・サービスを提供する。税金を国民に返すわけだ。その方向は2つある。家計か?企業か?どちらかである。冷戦終了前はバランスをとって政策を決めていた。ゆえに社会保障、労働者の保護にも力を入れた。冷戦終了後はその必要がなくなった。結果、企業の方のみを見るようになった。
企業もそれを当然とし、それを期待する。そうすると、企業自体のマネジメント能力さえ下がる。なぜなら政府に依存する割合が高くなるからだ。これは官僚支配を加速する。役人が市場に介入すると、ろくなことはないと言ったのは小室直樹先生であった。
こういう思考形式がアベノマスク配布の背後に控えている。日本では国民とは企業のことであり、ことさら大企業のことになっている。先の図式の家計、まさに一人一人生活する国民はどこに行った?企業を共同体にした時代は冷戦以降失われたのだが、意識としては残っている。
どうしよう?