Drマサ非公認ブログ

医者との飲み会の話

  さて前々回飲み会での話題を取り上げた。特に医者が参加していたので、救急医療の件を。

 今回もその医者と話をしたことを、今ふと思い出したので、それを記述しよう。

 その医者は整形外科の医者だったが、こんな話をしていた。頭をぶつけた幼児が救急に来るという。脳外科の医者からの話ということなんだそうだが、そのほとんどが何もしないで帰ることになるという。

 頭をぶつけたと言っても、大抵はちょっとその部分が赤くなっている程度。そこでCTするわけにもいかない。医者は親から状況を聞いて、当の幼児の様子を観察する。大抵幼児は元気な場合が多いそうだ。

 で、結局診察だけ。何も処置することもない。タンコブが出来ていることもあるが、そういう場合どうするのか、ほか気をつけることなど、ネットでも調べれば出て来るようなこと(医者談である)を伝えるだけだそうだ。

 医者の経験から、気をつける必要がある場合もあるにはあるが、医者は大抵そういう事例かどうか判断できるそうだ。で、結局親の心配の解消のために存在するかのよう、そんな感じでまとめていた。

 そこで僕。親は子供とずーっと一緒にいてラポールが作られるし、ほかの経験則から、子供が頭をぶつけて、それが医者に行くべきかどうか判断できるもんじゃあないのかなあ、と。あるいはリスクが認識の前面に出る社会であるから、神経症的に万が一が認識を覆うのではないか、とも。

 後者については、日本の医療及び医療文化がどのようなことでもリスク回避に向かうコミュニケーションになることを、かの医者も認めざるを得ないのかなあと呟いた。だから患者やその親もリスクで心配性になってしまっているのが、病院のこのような事例からも言えるかもしれないとも。

 そして興味深いことを言っていた。この幼児が頭をぶつけたという事例だけではなく、ちょっとしたことを気にかけて病院に来る患者さんが多いことも。特に年寄りとか一人暮らしとも。実際の病気もないので、そういう時は不安神経症と病名をつけておくそうだ。

 こんなことで睡眠薬や精神安定剤が出ることも多いという。

 前者の方、ラポールについては、医者曰く、実証されていることではないのなんとも言えないと。僕が親が子供とそういう親密な関係になるより、概念や社会に流通している観念を通して、関係性を作る社会なのではないかと疑問を呈すると、こんなことを言っていた。

 小児科の先生と話をしていると、本当に子供が好きな先生がいて、普通だと見逃すようなことに気づくことがあるけれど、それって「・・さん(僕のこと)の言っているのは、こういうことと近いのかなあ?」と。

 で、この後は酔っ払っているので高尚な話にならず、陰謀論めいた話をしたり、それに突っ込んだりして、そんな感じであった。

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