Drマサ非公認ブログ

ナショナリズムについて少しばかり4

 ナショナリズムが民族の違いを乗り越え、皆が同じ国の同じ国民であるとさせる考え、運動であると述べた。それは近代が作ったとも。

 ところが、世界中で民族意識が高まっています。僕が小学生の頃、世界は130カ国程度だったと記憶しています。ところが、今は200カ国程度になっています。アフリカ大陸が植民地から脱したこと、ソ連邦の崩壊により、新しい国家ができてきました。

 そういえば5年も経たないと思いますが、イギリスからスコットランドが独立するとのブレグジットの投票もありました。これをイングランドとスコットランドの民族の違いから生み出された問題でした。

 総じて世界中、民族独立が盛んになっています。ちょっと脱線しますが、アフガンから米国撤退で混乱と言いますが、そもそもアフガンの地域の民族と宗教を無視して、アメリカがちょっかい出したのが問題の端緒でしょう。

 さて実は民族がナショナリズムを生むように見えますが、それは全く逆です。ナショナリズムが民族を生み出したと考えられます。それが文化人類学者ホブズホームのいう「伝統の創造」です。

 ナショナリズム構築のために、ナショナリズムが利用できる文化的断片というか物語が集められます。その文化を国民が共有していると思えるように、近代国家は教育や慣習を構築したのです。そして、人々は日常の生活に生きなければなりませんから、それらを受け入れて行くうちに共有されたのです。

 これはヨーロッパだけの歴史的流れに止まりません。なんせ日本は上からの近代化をしたので、同様のことが起きています。天皇制だって、靖国神社だって、明治の初めに作られたイデオロギーではないですか。実は力を失っていた文化を近代化するために蘇らせたのです。学校では国語や日本史が教えられます。それまでの歴史的断片がモザイク状に集まり、日本の歴史が“正式”にできあがり、それを学びます。

 こうやって、民族が、日本人が出来上がり、民族が作られます。日本人単一民族説などができますが、詳細に歴史学が進むと、間違いばかりです。こうして、想像上の感情や起源を表現すると、ナショナリズムなってしまうのです。伝統は発見されるとでも、国粋主義者にいえば、怒られると思います。僕は怒られたことがあります(笑)

 しかしながら、このように基盤が簡単に揺れる程度の考えだとしたらどうでしょう。それに固執して崇めるようになります。それが日本の似非保守の姿でしょう。ただ明治維新を近代化の革命であるとすると、そのような経験は日本人の記憶に住みついてしまします。N H Kでそんなドラマを作っていますよね。これは西欧の近代化というモデルの模倣ですから、なんだか世界史の上でも、意義あるように見えてしまいます。

 しかし、これ自体が近代化を理想とする考えから成り立っているのです。ですから、日本は欧米を近代化の先生として崇めているのでしょう。

 理想に邁進しては何か危険があると考える。以前の話の繰り返しですが、人間は決して効率的・合理的存在ではないのですから。ついでにコロナを念頭におきますが、自然は非合理なものを抱えています。その事実に立脚したいと思うのです。それが本来の保守です。ちなみに僕の見立てでは、自民党にはいません。

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