テレビ朝日の「モーニングショー」をなんとなく見ていた。
感染対策をしている飲食店で感染が広がったという話である。感染したお客さんも感染対策に気を使う人物という。
そこで分析をしたり、意見を言ったりしている、そういう番組である。
当たり前のことを確認しよう。
感染対策をしたら、絶対にコロナに感染しないのでしょうか。当然感染するリスクは残る。あくまで感染対策をしたら、感染の確率を下げることができるだけで、人と人が接触していたら、感染の確率は0にはならない。
以前も書いたのだが、「コロナ対策したら」、行動することが“許可”されたかのような受け留めがなされているように思う。そもそも“許可”のような認識を作るところが、パターナリズム(父権主義、温情主義)である。偉い人や権威(父権主義的な権威者)の“許可”を元に行動を規範化するからである。
さてコロナになってから1年以上経つが、コロナ対策でコロナにならない最大の方法は、人と接触しないことである。逆側からいえば、コロナ感染した人物を人に接触させないことである。だから隔離する必要がある。これだけは確実だ。
ここから近代社会、産業社会で生活することを前提とするので、人と接触しなければならい場合を考え、その方法を考えるわけだ。とすると、人と接触しないことを破るのだから、確実ではない、感染の確率をあげる行動をしたことになる。それがどんなに小さい確率であろうと、0ではないが、それでもできるだけ小さくしようということだ。
コロナ禍にあって、人と接触するということは原罪のようだ。人と接触すると、コロナ感染の確率を必ず上げるわけだから。問題は行動を選択する“私”にあるので、コロナを作るのは“私”である。原罪というより仏教で言う業かな。
僕もまた明後日から北海道に行くことになるので、原罪なのか業なのか、そこからは逃れられない。
感染対策をしたら、お出かけしましょうではないのだ。そういえば、Go to キャンペーンって、そういうことだったなあ。