いくつかのニュースを貼らせていただきます。
最初の記事は警官が窃盗。それも業務の中で留置人の弁当をつまみ食いして。それがバレて。
次はジャーナリストがセクハラ。しかもウクライナから避難してきている女性に対して。なんだか認めていないらしいが、その認めない態度こそ、人間が現れてもいる。ウクライナから避難してきた女性に心境を聞くことは職業に「ふさわしい」が、それをいいことにセクハラだ。優先事項が個人の欲望になってしまい、暴走を止められない。
3つ目は自民党衆議院銀のまたもやセクハラ。離党届だとさ。なんとどのようなセクハラかといえば、18歳の女性を飲酒させホテルに連れ込み、見ながら自慰行為に励んだらしい。辞意表明しないで自慰表明でもするだろうか。僕まで下品になってしまった。
そして、この自民党議員はいまだに国会議員である。自民党自らクビにするだけの矜持もない。
僕はこのような行為が犯罪行為であるか否かより、それぞれの職業倫理から見てどのような評価になるのかに関心が向かう。職業倫理とは、その職業にあり得べき姿がどのようなものかという社会性である。とすれば、それが身についていないということは、非社会的存在であるということだ。
その職業の社会性を身につけていない者が数多くいるということは、その職業が果たすべき役割を果たすことができない。よって非社会性。
そういえば、サントリーから酒をもらっていた人はなんだか問題だらけであったが、日本社会に非社会性がはびこる象徴的な人物だ。
そして、このような問題が大した問題でもないかのように受け止めたり、無関心であったりする人たちが多ければ多いほど、日本は劣化していく。
そういう非社会的存在がそれら職業についているのだから、その職業に対する矜持もないし、その職業がなんであるのかを知らない輩がいることになる。
そういえばサントリーから酒を貰っていた人物がいるが、なんだか問題だらけの人物であるが、なんだか権力者のつもりか、うるさいようだ。ここで取り上げた日本の非社会性の象徴的人物である。
さらに、このような人物が抱える問題に対して、「大したもんだではない」とか、無関心でいる人間が多ければ多いほど、日本はさらに劣化していく。「ふさわしい」とは何か?そのような見方が失われつつある日本社会である。