こんな記事が出ています。
20代男性の4割です。この日本社会に生まれて、自由恋愛の時代にあって、男性が女性とデートするためにアクションを起こす能力がないというのです。
その昔、お見合い結婚前提の社会なら、男女がデートすることが当たり前ではないことはあったのかもしれません。その場合、周りが、共同体が男女を結びつけたのでしょう。そして、日本には結婚が、家族が作られ、そして人々のつながりが作られていた。そんなことでしょう。
ところが、今は男女のつながりを作る力が作られていないのですから、結婚が、家族が作られる力が衰退していうわけで、総じて、人々のつながりを作る力が衰退しているわけです。
絆、という言葉をよく耳にしますが、なぜ叫ばれるのかといえば、絆を作る力が衰退しているからです。そのため絆らしいものを感じる場面をみると、感動するのは、失われつつあるものの影を見たからでしょう。
いやいや、デートしようがしまいが個人の自由でしょうなどと、エセ自習主義者が言うかもしれませんが、そのようなエセ自由主義が人々のつながりを衰退させているとも気づかないのでしょうか。そもそも自由は目指すものでしょうから、性愛を目指して行動を促すものです。
結婚できない社会、子育てができない社会、子供が大切にされていない社会等々、日本社会の問題がこういう記事からも現れている、そう断言しておきます。全てつながりが衰退してしまった社会の証拠です。いや社会がなくなっているのです。社会とは仲間という意味を持つのですから。
この記事を読んで、日本社会の衰退が政治レベルや経済レベルに限定できない、日本人という存在の衰退を感じてしまうのです。