中居の件、もう少し続きを。
僕は中居の「白い影」というドラマを評価するというか、僕の仕事で使っていました。というのは、死を前にした医者の役柄が、その冷たい人格としての表現になっていたように、僕の方が勝手に評価していたからです。
とはいえ、おそらく中居正広がこの役を演じるに当たって、何か役柄を深く理解してということではなかったとも思っていました。そう、人格の欠如こそが、冷酷な奥に人間があるように見せてしまうという不可解な事態になっていたのだと解釈しています。
ある意味パラノイアである存在であるからこそ、芸術性というか表現に優れてしまう、そんな風に理解しています。
そして、そのような人格を作ったの多くの要因は、ジャニー喜多川なのだと。syokunin-2008 さんのコメントにもあったのですが、ジャニー喜多川の影響下にある、そう断言しておきます?
中居もまたジャニー喜多川とあのマンションの一室で一緒だったのでしょう。何が行われたか。想像するまでもないでしょう。だから中居もまた被害者です。この被害を覆い尽くすように、彼の成功体験が重ねられる。
そこには、ある残余であるが、彼を作り上げる本質が生成される。それが女性に対する異常な執着。少年愛には向かうのではなく、性の対象は女性に向かうセクシャリティを持つも、そのありようはパラノイア、異常性に満ちている。
彼がジャニー喜多川との関係性で手にしたのは、交換したのは成功やお金でしょう。それが彼にとっての絶対的規範。だからお金を払えば、交換できるとでも思っている、そういうことなんだろうと思う。
僕は精神分析を仕事とする者ではない。精神分析をするにして、ちょっとした現象を聞きかじってしてはいけない。だから、僕の推測でしかない。だから推測でしかないことは強調しておく。
とはいえ、ジャニー喜多川の問題が続いている、そういうことだと思う。