はじまりにわたしの状態がおかしくなったのは下記の記事で説明したことが『要因』となりました。
去年から現在にかけて〜病状要因について
去年から現在にかけて〜病状要因について②
去年から現在にかけて〜病状要因について③
ホワイトとブラックのはざまで〜会社でのいじめ〜
わたしは上記の記したように、
身寄りがなく『介護困窮』でSOSに行ったにも関わらず
『冤罪』をかけられ、母と引き裂かれてしまった一件
から、
『天涯孤独』
になり、
孤立化されました。
母も同じように…
孤立化〈本人は隔離と言っています〉されていました。
これは『成年後見』という名のビジネスで、囲い込みと同じ。
各部署の売上や利益の為にだけに強制的に執行されもの
であって、
わたしたち母子には、人権侵害になるような酷い行政の強制執行
でした。
冤罪によって内心に強い憤りと、冤罪からの苦しみがずっとありました。
さらに、
この一件で悪化させられた状態の中で、会社のほうでのいじめも酷い状況でした。
これによって、
わたしは10分日1回は襲ってくるパニック発作(過換気症候群)で、胸痛とともに、
生きている事自体がつらい症状
に見舞われていました。
周りの人々は、上司含め、誰ひとり、いったんこの状態になったわたしの相談に乗ってくださる方もいませんのでした。
むしろ、
いじめを黙認して辞めさせるためのようにに虐められました。
わたしは職務中も、仕事の通勤時にでも発作に苦しむようになり、『退職』に追い込まれ、
生きていてはいけないと思わされ、複数回にかけて自殺未遂をしました。
飼い猫が亡くなったことも一つにありました。
もう息もない愛猫を抱いて高速道路をフラフラ歩いてたそうです。
わたしのあたまのなかでは、 地域包括担当らや、仕事場のいじめで言われた言葉が交互に繰り返しに頭にフラッシュバックし、
「わたしなんて死んでしまえばいい」と思わされていました。
このときは見知らぬ人に家まで送ってもらえました。
しかし、何度も繰り返しのフラッシュバックで、首を吊ったりしました。
「おまえなんか食べるな、飲むな、買うな、何もできないやつ、迷惑、生きてるのも恥ずかしく思え」
と、誰かに言われたり、思われていたものが繰り返しこだましていきました。
しかし、
もっともひどかった発作の『四肢硬直』の後遺症で、
手が動かしにくく、脱力感がある後遺症的な状態があったので、
首を吊る紐すらかたく紐を結べず、何度も落ちて失敗してしまいました。
薬を大量に飲んでも吐いてしまいました。手首にも食べたい傷ばかりで、死にきれないのは一番つらいのだとわかりました。
わたしの四肢に残る力が入らない後遺症についてですが、
『もっとも酷かった発作』
が明らかに始まりだったと思います。
この最も酷い症状の時も、救急搬送され、
3時間位は四肢硬直が治らず、6時間位は過呼吸気味
が続いていました。
それでも過換気症候群の対処は日本では「何もしない」ことが多いようです。
その日、わたしは、母の一件で、弁護士のところに相談に行き、その帰りにその大きな発作は起こっていました。
きっと、いきなり、
今のわたしには『大きすぎた事』(行政の人権侵害)に向き合った
でなのか、
この最も大きな発作が引き起こされました。
まだ、一人でいるときでなく公共の場で救急車を呼んでいただいたけよかったとおもいます。
この時の状況は、はじめに漠然とした不安感と呼吸困難と胸痛、いきなり立っていられなくなり、
動機が激しくなり、過換気症候群もひどくなってきて、だんだん立てなくなっていきました。
そして、はじめて、
手足がまったく自分で動かせなくなりました。
これを四肢硬直と呼ぶようで、テタニーという症状と非常に酷似しているものでした。
テタニーは日本であまり知られていません
海外ではビタミンD投与を行うと医学講座でも習うようですが、
日本ではその様な措置もなく、ただ落ち着くための点滴だと、点滴だけされました。
過換気症候群、パニック障害は30分くらいで治るといわれますが、私の場合は10分に一回、1時間以上いつも続きました。
当時にそのいじめのあった会社では、入社したてでわたしにはまだ手元に保険証がなかったため、
とある病院では10万くらい一括請求されました。ですので、本当につらい時期でした。
続く
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます