Memento Morí メランコリアの朝〜ChiA(療養と病状の日記)

突然の”melancholia(メランコリア、うつ基本型)”と”disabilities (不自由)”と共に生きる。

去年から現在にかけて〜病状要因について③

2024-10-31 20:47:54 | 病状要因と経過
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去年の日記を再編集して更新したい
とは思いますので
一旦過去ログ非表示です。


仕切り直しで、


わたしの闘病記ついて、
過去、現在交えてつづろうと思います。


*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。


わたしは、

2019年に父を亡くし、2020年に母も脳梗塞となって死の淵をさまよう

という切迫した状況を

経験しました。

まだ、父との離別(死)からの苦しみから回復できていずで、

母までもう逝ってしまうのではないかという、強い不安とショックがつづきました。

母は何度も脳梗塞の発作を繰り返していました。

わたしは一人娘で、経済的にまだ、父の死の際の葬儀費用、入院費用の支払いなどから回復できていないうえに、

ここでも母の多額救急搬送代、入院、手術の出費もあり、つらさが残る中、働きどおしでいました。

母はここでは奇跡的に名医の手術で生き延びましたが、この連続した強い不安とショックで、わたしの心は常に不安な状態になっていました。

この状況でもさまざまな費用の工面のために働きどおしで、走り回ったので心身ぼろぼろでした。

まだ癒されていない

父との死別の痛み、経済的苦悩(ほかに身寄りもなく親族分担もないので)

とともに、

日々心配な母の病状、安心ができるような時間は1秒もありませんでした。

この状況で、

母の年金だけでまかなえていなかった費用もわたしは働き同士で支払ってきていました。

父の葬儀代も安くはないけど、母の分担する部分もわたしは支払ってきました。

入院手術も繰り返した救急搬送も、ローンも全て。

母が最も状態が悪く手術をしたときの入院時、

入院ばかり続いてもう足の関節の問題で階段がのぼれないので、

在宅サービス、もしくは一時利用の施設や、サポートの相談を地域包括にしました。

しかし、

これは大きな間違いでした。

ただ単なる「介護困窮」であるにも関わらず、わたしはSOSをした地域包括担当には大きく裏切られることになりました。

地域包括担当には「7マンで施設を紹介してあげる」と言われました。

7マンであれば仕事を増やせばできるかもと思いました。

しかし、直前に「間違えました10マンはかかります」と言われました。

もう他も探す時間もない退院の直前でした。

これは地域包括に信頼を置いてSOSをしていた私たちを裏切るもので、

母は詐欺のようだ、いやだ

といいました。

おまけに、地域包括担当は福祉事務所の担当をつてれきて、

福祉事務所担当は「断って連れて帰ればあなたの虐待です」といってきて脅されました

支払いもできないからと、

年金でまかなえないからといっても、断らせてもらえず、連れて帰れば虐待など「大勢」から脅された状況

でした。

もともと母の年金だけでまかえないのを知っていながら、無理矢理に施設にいれられました。

母はいやがっていましたが、

福祉事務所などは「まったく違う報告」を市などの機関に報告

をしました。

これが私たち親子に起こっていたできごとです。

わたしがその「母の年金だけでまかなえない無理なプラスの10マン」と母のローン分など工面しなければいけない状況になったのは彼らすべては承知でしたが、

わたしへのサポートは何もなく「過労」をさせられました。

そして、また腰をまた再度悪化させられ、支払いが少し遅れたとき、

いざ、わたしが「彼らにとっての用なし」になったからと、

また、

「経済済的虐待だ」と脅され、無理矢理に引き裂かれました。

1年半ものあいだです

母はいかないといけない病院も検査すらも受けさせてもらえていませんでした。

すべては「成年後見制度」を

無理にでも契約させるための

「事実無根の冤罪

でした。

このときの必要以上の地域包括担当の言葉でわたしは自殺未遂を複数回しました。

自治体が状況確認もせず一方的引き離しを行ったことも要因です。

続く


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