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呼びかけと騒ぐことは違います

2014年09月14日 | 事件

小さく捉えて大きくまとめる。

大きく捉えて小さくまとめる。

 

どちらを選択するべきでしょうか?

 

人の生命に関することは後の「大きく捉えて小さくまとめる」がベストな選択だと信じています。

 

何十年に一度の「雨」、告知が遅れて大問題になったのはいつでしたか。

その後、各地で何十年に一度が多発し、北海道では広域に発令されましたが被害は極めて小さかったといえます。

 

これを騒ぎすぎという方がいます。

 

その人は未来を予知できたのでしょうか?

 

遅れればなにをしている。はやければ騒ぎすぎ。全く無責任な発言だと思ってしまいます。

 

被害が少なかったのは北海道という地域だったからです。これと同じ降り方が東京都だったら大惨事です。

 

過去に地下でドアが開かず、逃げ送れて溺死した人がいるという事実を知らない世代には危険が身近でないようですが、降水量から割り出した危険を考えれば、それは正しいといえます。

 

尋常ではない降水量なのです。

 

予測の範囲を超えていることが一週間で何回も発生したという事実を捉えず、「橋の決壊、死亡者、けが人の数」を目安に危険を図っていると、そのうち死にますよ。

 

“危険の目安”は傷病者の数ではありません。

 

その被害に及ぶ危険性の大きさです。

 

あなた、その橋が水の水圧によって決壊することを知っていますか?

倒木の衝突によって近くにいる人にまで被害が及ぶことを知っていますか?

その倒木が橋の支柱に圧力を加えて更に危険が及ぶことを知っていますか?

 

そして、それを見たことによって人々に避難を呼びかけるのですか?

 

逆に決壊した事実をもって逃げ場を失ってから、避難を呼びかけますか?

 

橋の損壊を第一に被害として考えること、人の命を最優先にしてどうすべきかを考えること。

 

答えはそこにあります。

 

自然をコントロールするなんて無理で、その先を予測するなんて誰も出来ないのです。  

 

だから注意の「呼びかけ」をすることは人間として当然であり、無駄に犬の遠吠えのように「騒ぐ」ことを目的としているのではありません。

 



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