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中国「華中」の旅⑨~合肥『逍遥津公園・教弩台』編

2007年08月12日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月12日(日)
さて「南京」編の続きからですね。

11:50「バス」は出発したものの、出発してから「30分」後くらいの地点で「1時間」以上「客待ち」され、15:45「安徽省」の省都である「合肥」に着きました。
という事は本来なら「3時間」で着くんだったんだな。
このように地図上の距離で、所要時間を覚えておくと、他の町を移動するときの「目安」になるんでね。
さて…まず「ホテル」探しからだな。
この「合肥」は「三国時代」の古戦場として有名で『三国故地』と呼ばれています。
この旅も、この「合肥」からは、ほぼ全て「三国史跡」を巡る旅です。
でも「三国史跡」の関連サイトからの情報をプリントしてくるのを忘れてしまったため、「バス」を降りてから市内の地図を購入しました。
とりあえず「汽車站」から遠くない「ホテル」に16:00チェックインします。

まだ陽はあるので、16:35「ホテル」を出ました。
16:55「ホテル」から歩いて行ける『逍遥津公園』に着きました。

まず最初の「三国史跡」である『張遼衣冠塚』ですが、公園内の「逍遥湖」に浮かぶ小島にあるため「貸しボート」にでも乗らないと近くで見られません…。
更に公園内を探索…と思ったら、行き止まりです。
確か、この公園は「有料」と聞いていたので、別に入口があるはずだ…。

17:05正式な入口を発見。
「5元」の券を買って入園…って、チケット切りの「オネーちゃん」に「チケット」を真っ二つにされました 
「コラーっこのアホ、ブス、どうしてくれんねん
破られたんで「半券」をくれず、普通にやり過ごそうとするんで、「チケットよこせ」と怒鳴りつけます。
だって「半券」も「ハンター」としての「戦利品」ですからね。
それに内部に「チケット」見せないと入れない施設でもあったら、どうすんの?
「後で渡すから」とか言うけど、帰りに「こいつ」が居なかったら別の人に説明出来ないから、「すぐ代わりを持って来い」と捲くし立てます。
この公園、無料だと勘違いして入って行きそうになる「人民」が多いんで、この「オネーちゃん」もそこを離れられず、他の係員に頼んでました。
すると、ある「人民」が入園しましたが、そいつに「半券」を渡さず、それが俺に回って来ました。
地元の「人民」にとっちゃ、「半券」なんてどうでもいい物なんだろうね。
ま、とりあえず「半券」を貰えたんで入園しました。

入って、すぐの『張遼』像です。
215年に「孫権」は10万の軍勢で「合肥」を攻撃しました。
わずか7000の軍勢で「合肥」を守っていた「張遼」は「曹操」が残しておいた計略に従い、奇襲をかけて「大勝」します。
さらに撤退する「呉」軍に追い討ちをかけ、「孫権」も危なく戦死するところでした。
その激戦地となった「逍遥津」が、この公園になっているんです。

園内にある「三国歴史文化館」(20元)に入ってみました。

このような博物館系では「絵」や「塑像」「銅像」などが見れれば、それで十分です。
これは「長坂坡」で「劉備」の息子「阿斗(劉禅)」を抱きながらも、孤軍奮闘する「張雲」です。

これは「羽扇」を持ってるんで「諸葛亮」ですね。

左は「劉備」で、右は「張飛」ですね。

有り得ない「曹操」と「孫権」のツーショット。

左から「魏・曹操」「呉・孫権」「蜀・劉備」です。

この柱の絵は「虎牢関の戦い」ですね。
「無錫・三国城」で見た「アトラクション」と同じですよ。
左から「関羽」「呂布」「張飛」です。
「関羽」と「張飛」が両サイドから「呂布」を攻撃しています

「赤壁の戦い」の絵です。
中の紹介はこれくらいにして「三国歴史文化館」から出ます。

「三国歴史文化館」から少し歩くと『張遼墓碑』があります。

裏手には『墓陵』がありました。

また公園入口まで戻ります。
途中にあった、これは「張遼亭」かなぁ?

これは『飛騎橋』です。

「孫権」が馬で飛び越えて逃れたといわれている「橋」です。
18:05『逍遥津公園』を出ました。

『逍遥津公園』前の「寿春路」を1本裏に入ると「淮河路」という繁華街があります。

18:15「回転寿司」を発見しました

「寿司」と「アサヒビール」で1日の疲れを癒します。

また朝から何も食べていないので「天丼」を食べました。

19:00店を出て、「淮河路」を通って「ホテル」に帰ろうとすると…

『明教寺』がありました。
ここも今日時間があったら行こうと思っていた「三国史跡」です。
この『明教寺』の壁は高さが5mもあり、その壁を『曹操教弩台』といいます。
文献によれば、「曹操が台を築いて強弩を教え、500人に孫権の水軍を防がせた」とあります。

19:25「ホテル」に戻りました。
この「合肥」に着いたとき、「汽車站」で確認したんだけど、やっぱ「亳州」行きは無かったけど、何と「周口」行きがあるじゃないか(朝6時発だけど)
一度は断念した「周口」行きだけど、「亳州」へのルートが分からない今、「周口」経由で「亳州」に行く案が再浮上です。
(と言っても「周口」→「亳州」の「バス」もあるか分からないけど)

さて明日も「三国史跡ハント」は続きますよ~。



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