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「労働節」旅行~④河南省許昌市『董貴妃墓』『射鹿台』『カク墓』、開封市『曹植墓』編

2008年05月01日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
5月1日(木)
今日は午前中は「許昌市」の史跡ハント午後は「開封市通許」の史跡ハント最後は「開封市」内に宿泊という計画です。

今日も7:00起床し、8:00「ホテル」をチェックアウトしました。
まず「エリア1」の『董妃墓』から行くために、8:15「火車站」近くの「バス停」から「11路バス」に乗り、8:25「市委市政府」で降りました。

少し歩いて、8:35『董貴妃墓』に着きました。
「史跡アタッカーさん(仮)」のレポートは2005年のモノで写真では墓陵があるだけでしたが…

今では整備されて立派な公園になっていました。
『董貴妃』は車騎将軍『董承』の娘で『献帝』の妻でした。
『献帝』は『曹操』が政治を専断していることを憎み、『董承』に『曹操』誅伐の密詔を下しました。
『董承』は左将軍『劉備』と計画を立てましたが、『劉備』は『袁術』討伐に出ることになり、そのまま「下邳」で兵を挙げました。
建安5年(200年)計画が『曹操』に漏れ、『董承』をはじめ一族は処刑されました。
8:40ごろ『董貴妃墓』を後にし、次は「エリア2」の『射鹿台』に行くため「客運東站」まで歩いて行きました。

その途中にある「許昌学院」です。
漫画「一騎当千」の「許昌学院」ではありません。(当たり前だけど)

どうも「客運東站」は地図の場所から移転したらしく、迷った挙句「タクシー」を使い、9:25到着しました。
ここから「202路バス」に乗り、10:40ごろ『射鹿台』前で降りました。
途中で「バス」がガス欠になり、15分くらい止まってしまいました。
「ガス欠なんてアホか」って、マジでムカつきましたね。

ここで狩りの最中、『曹操』が『献帝』の弓をひったくって「鹿」を射止め、『献帝』に代わって「俺がやった!」と威張ります。
それを見た『関羽』は激怒して、『曹操』に斬り掛かろうと剣を抜こうとしたので、『劉備』が慌てていさめました。
ここは「演義遺跡」ですがね。
写真(右)は何かに使われていた址なんだろうか…?

一応、高さ5mくらい?の台のような土地になっていますが、地元の中坊が屯していたんで全体は撮れませんでした。
「日本のタバコ吸うか?」と勧めたんだけど、全員に拒否されました…

写真を撮り終えると、すぐ「乗ってきたバス」が折り返して来たので再び乗り込みました。
「運転手」や「車掌(オバちゃん)」には「もう終わったのか?」と言われました。
「ただあの丘を見るだけに来るなんて、物好きな奴らだ…」と思われたことでしょう。
少し行った「バス停」で停車となり…

11:00ごろ「バス」は発車しました。
11:55また「客運東站」に戻り、「許昌」最後の史跡ハントである『賈詡墓』に向かうことにしました。
「客運東站」から「輪タク」を拾い、「尚集鎮」に行きます。

またも麦畑の中を進み…

12:45「この辺りだろう…」と「運ちゃん」が連れて行ってくれた所には何もありません…
付近の人民に「聞き込み」をしてもらうと、確かに以前はこの辺りに『賈詡墓?』があったと言います。
しかも「以前にも日本人が訪ねて来た…」とも言ってました。

でも墓陵の土はレンガなどを作るのに使われて、もう何も残っていないそうです…
何年前まであったのか知りませんが…「ちゃんと保護しろよ
「許昌」で最後の史跡ハントは惨めな結果に終わりました…
12:50「尚集鎮」の『賈詡墓?』址を後にしました。


これが「河南省」の地図です。
次に向かうのは「開封」です。
結局「エリア5」の「禹州市」は行けませんでした。
まぁ、でも仕方が無いかな…あると分かっている史跡は『義勇武安王大殿』という廃廟だけだからね…
他に中国のサイトから『郭嘉故里』『水鏡洞』『徐庶・徐母祠』『東嶺関』『司馬懿屯兵処』がある…という文を見つけただけですからね。
さらに「鄢陵県」にも『曹操議事台』『曹彰墓』…「襄城県」には『曹操練兵台』『曹操割発代首処』がサイトや地図から見つけられました。
でも…もう、これだけ「許昌市」を回れたんで十分です。


13:15ごろ、次の目的地である「開封市通許県」に行く「バス」が通るという「許昌汽車北站」に着きました。
でも「通許」行きが来るのは、14:30ごろだって…
じゃあ昼飯でも食べて待つか…と思っても「北站」内や付近には飲食店が無い…
ただ「バス」を待つことしか出来ませんでした。
そして14:35「平頂山→通許」行きの「バス」が来ました。
すると、わんさか人民が駆け寄って来て、何とか乗れたものの席はありませんでした…
でも、待った挙句乗れないよりはマシですからね。

途中で席も空き、座ることが出来て、16:20「通許」に着きました。
この後『曹植墓』に行き、また「通許汽車站」に戻り、「開封市」行きの「バス」に乗らなきゃなりません。
「開封市」行きの「バス」の最終は18時と聞いたので、16:30急いで「輪タク」を拾い『曹植墓』を目指しました。

またも悪道を通るんでケツが痛い…って。
しかも結構遠いみたい…

『曹植墓』に着いたのは、何と17:20でした。
写真の「オバアちゃん」が鍵を管理しています。
(これは見学後、鍵を閉めたところ)

「オバアちゃん」は『曹植墓』の向かいのこの民家に住んでいます。
入場料はありませんが、「史跡アタッカーさん(仮)」のレポート通り、この「オバアちゃん」に本を売りつけられます。
5元なんで入場料代わりに1冊買いましたけど。

急いで見学しないと、18:00の「バス」に「間に合わない」ぞ。

2007年10月13日に「山東省東阿県」の『曹植墓』をハントしていますので、『曹植』については、そのときのブログを参照してください。

『曹植』が詠んだ「七歩詩」は「M先生」も学校で習ったことがある有名な詩なんだって。
17:30『曹植墓』を後にしました。
来るときに50分掛かってるからね…もう絶対18時には「汽車站」に戻れないな…
明日は「開封市」から7:20発の「バス」で「河北省邯鄲市」に向かわなきゃいけなかったのに…
18:25「通許汽車站」に戻りました。
…とりあえず「汽車站」内に入ってみると…まだ「開封」行きの「バス」がありました 
19:00「バス」は発車し、20:00「開封」に着きました。
「開封汽車站」で明日の「邯鄲」行き(7:30発でした)の乗車券も買えました。
これで予定通り進めるぞ
20:15「開封汽車站」近くの「ホテル」にチェックインし、20:35夕飯を食べに出ました。

夕飯は近くの店で普通の中華料理を食べました。
この「餃子」…「冷凍餃子」だったなぁ。
手作りの店が多いんだけど…

俺の好きな「ジンジャンロースー」です。
そして21:40ごろ「ホテル」に帰りました。

今日は「開封市」まで出れて良かった~。
明日は7:30の「バス」だから、6:00に起床しなきゃ。
では…



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