

今日は『頤和園』に行きました。

この『頤和園』は10月4日に「圓明園」に行った後に行く予定だったんですが、雨が降り出して来てしまい、行くのを止めたんです。

今日も、かなり曇ってて…ちょっと心配だったんだけどね。

今日は9:00に学校を出ました。
学校から『頤和園』は「375路バス」で乗り換え無しで行かれるんです。

すぐ「バス」は来たんだけど、「頤和園北宮門」に着いたのは10:00でした。



『頤和園』は1750年に「乾隆帝」が「圓明園」と同時に建設を開始した「清猗園」が基礎となった総面積290万㎡の広さを誇る皇室庭園で、かつては「皇帝」一族が夏を過ごすための離宮でした。
1860年に「英仏連合軍」によって破壊されましたが、その後「西太后」が自身の「還暦」を祝うために「海軍」の経費を流用」して再建し、『頤和園』という名になりました。
1998年に「世界文化遺産」に登録されています。

入場料は「徳和園」「文昌院」「蘇州街」「佛香閣」の入場がセットの「聯票」で60元でした。
なぜか、この「聯票」だと「学割」が利かないんですよ…


入場して、ちょっと歩くと「蘇州街」があり、入りましたが「お土産屋街」だな、こりゃ。


正面の建物は地図には「松堂」って記されてます。

この建物はよく分かりませんが、仏像が壁に彫られてました。
顔が無い仏像も多いようで、顔だけ新しい仏像もありました。



これは「佛香閣」と、中の「千手観音」です。

これは「徳輝殿」だったと思う…



これは「排雲殿」です。
「佛香閣」や「徳輝殿」「排雲殿」も全て1860年に「英仏連合軍」によって破壊されており、これらは再建です。


「排雲殿」前の「龍」と「鳳凰」です。

これは「排雲門」です。
俺は「佛香閣」側から入ったんで、「排雲門」から出ることになっちゃった。


この辺りの「長廊」にはいろいろな絵が描かれています。
注意して見ていると「三国演義」の絵を探すことが出来ますよ。

ここで日本からの修学旅行生に出くわしました。

「生・女子高生」を久しぶりに見ました。

「男子学生」に「何県から来たの?」と聞いたら「秋田県から来ました」と。
でも…「日本語上手ですね」と言われてしまった…「いや、俺、日本人だよ」と言ったら「スミマセン



これは『関羽』が「華佗」の治療を受けた「関公刮骨療毒」の絵ですね。

これは『関羽』が誰を討ち取った絵かな?「華雄」?「顔良」?


これは「三英戦呂布」ですね。

この絵は多分『劉備』『諸葛亮』『関羽』『張飛』『趙雲』が描かれてるんだと思います。


これは「三顧茅廬」ですね。

これは「桃園三結義」ですね。

これは「呂布と貂蝉」ですね。

「灞陵橋」の『関羽』と『曹操』ですね。

「西遊記」の絵がありました。

これは「楽寿堂」です。

これは「青芝岫」といい、「中国最大」の「庭園石」らしいです。


そして「徳和園」に入りました。
「人力車」は日本製らしいですよ。

これは「仁寿殿」です。

「仁寿殿」前の「麒麟」です。


「世界遺産碑」と「文昌閣」です。


そして「文昌院」に入りました。

この「昆明湖」は『頤和園』の人工の湖です。

「昆明湖」の畔にある「銅牛」です。

これは「廓如亭」といい、「亭式建築」では「中国最大」らしいです。

これは「十七孔橋」です。
この「欄干」には500余りの「獅子」が彫り込まれています。


左は「清晏舫(石舫)」です。
右「宿雲檐城関」で、元は城上に「楼」があり、銀の『関羽』像があったらしいんだけど、1860年に「英仏連合軍」に略奪され、今は『関羽』の位牌が祀られてるんだって。

そして、14:45『頤和園』を出ました。
やっぱ広いからね…5時間近く居ちゃったよ…

「バス停」近くに「マック」があったんで、買ってから15:00「375路バス」に乗りました。

そして、16:00ごろ学校に帰りました。
帰ってから「マック」と「カップラーメン」を食べ、もう夕飯は食べませんでした。

明日は13時に「I先生」と「北京語言大学」で待ち合わせをして、一緒に昼食を食べます。

そして…ついに、やっと、いまさら…「携帯電話」を買います。

では、また明日…

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