
まず今日は「エリア1」の『覇陵橋公園』から行くことにしました。

ここは前回(2008年2月1日)もハントしに行ったんですが、閉園後に着いたため、公園内には入れてもらえたものの『関帝廟』には入れなかったんです。
今日は7:00起床し、8:00「ホテル」を出ました。
8:05すぎ「5路バス」に乗り、8:20『覇陵橋公園』に着きました。


前回は公園のみ入れてもらったので「3元」でしたが、今回は『関帝廟』込みなので「30元」でした。

公園内については、前回の「レポート(2008年2月1日)」を参照してください。


「曹丞相拝送関公雕塑」です。

『曹操(左)』と『関羽(右)』です。

これは「青梅亭」です。

これは「三国演義」と関係ありません。
中国に伝わるお伽話の1シーンらしいです。

「覇陵橋」の全景です。

これは「餞行亭」です。


「覇陵橋」の『関羽』像です。



何でこの像が滑稽に見えるかと言うと…馬が小さいからだな…

『関帝廟』前の橋には「三国演義」のシーンが彫られていました。
いくつか紹介しましょう。


これは「桃園三結義」です。

これは「轅門射戟」です。

これは「三顧芽廬」です。

これは「長坂橋」です。

これは「華容道」です。

さて、これがメインのレポートになる『関帝廟』でーす。




左は『劉備』の愛馬「的盧」、右は『関羽』の愛馬「赤兎馬」ですね。


門を入ると左に『廖化』、右に『馬良』の塑像がありました。
『馬良』は「臨湽」の墓陵探しでお馴染みになりましたね。


さらに門を入って…

この「廟」内には…

「武財神」の『関羽』像がありました。

この辺りの左右には『関羽』の一生を描いた壁画がありました。
少し紹介します。


これは「桃園三結義」です。

『董卓』軍との戦いで『劉備』『曹操』『袁紹』らが見守る中…

敵将「華雄」を討ち取って来た『関羽』です。

『献帝』を蔑ろにする『曹操』に『関羽』が刀を抜きますが、『劉備』が止めます。

これは「煮酒論英雄」です。

「下邳」で『張遼』の説得に応じる『関羽』です。

そして『劉備』の妻「甘夫人」と「糜夫人」と共に「許都」の『曹操』の下へ。

『曹操』の下で『袁紹』軍の「顔良」と「文醜」を討ち取る『関羽』です。


「覇陵橋」で『曹操』と別れ、『劉備』の下へ去る『関羽』です。

『関羽』Vs『黄忠』です。

「単刀赴会」です。

『華佗』の治療を受ける『関羽』です。

死後「神」となった『関羽』です。

『関羽』の死後、『曹操』が病死し…

『関羽』を討った『呂蒙』も病死しました…。
これを『関羽』の祟りと言う者もいました。

さて続きは、“『覇陵橋公園』編 Part2”で更新しますね。

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