あっとゆー間に、もう30週なんて自分でもビックリ
あと10週切ったのかと思うと、出産の不安も徐々に強くなってくる
実は、こんなに不安になる理由が一つあるんです。
それは、ウチの母親がお産で命を落としたからです。
そーあれは、アタシがまだ8歳のクリスマス・イブ
姉妹&友達とで、クリスマスパーティをしていたら、
お昼を過ぎた頃、産科からあって、お父さんとお婆ちゃんが慌しく病院へ。
異変に気づいたアタシは、友達のコトも放ったらかして、一緒に乗り込んで
病院について行きました。
病院について行ったものの・・まだ8歳だし、何をするワケもなく、
ただ分娩室の前の廊下でボーッと座り込んで過ごしてるだけ。
お父さんは分娩室に入るコトができたから、時々先生に呼ばれて入ってたけど、
「何かあったんだろうなぁ・・」とは思いながらも、お父さんにもお婆ちゃんにも
話しかけれる雰囲気じゃなかった。
しばらくすると、お父さんに連れられて、別の場所に移動した。
そこには、お父さんの友達やお母さんの友達、いろんな人が廊下に並んでた。
お父さんは、その人たちに声をかけながら、頭を下げてました。
その光景の意味が分からず、アタシは、近くに居た顔見知りのおばさんに
『おばチャン達、何してんの??』って尋ねたら、
『みやチャンのお母さんの血が足りないから、おばチャン達のをあげるんだよ』って、
まだ小学生だったアタシは、大袈裟なコトだとも思わず、ふぅ~ん・・とゆー程度にしか
思ってませんでした。
それからまた数時間経って、夜8時頃になり、叔母さんがアタシを迎えにきました。
まだまだお母さんが出てくるのに時間がかかるとゆーコトで、
お父さんとお婆ちゃんがそのまま病院に残るコトになったから。
でもアタシは、その時ナゼかどーしても帰っちゃいけないような気がして、
帰りたくないと駄々をこねてました。
その時分娩室の扉が開き、ストレッチャーに乗せられたお母さんが
点滴をされた状態で、ドコかに運ばれて行きました。
アタシは、その姿を見て、なおさら帰りたくなくなりましたが、
無理やり連れて帰らされました。
に帰るの中で、ストレッチャーで運ばれて行く、お母さんの姿か頭に浮かび、
もしかしたら、もう二度とお母さんに会えないような気がして、
涙がボロボロこぼれ落ちました。
次の日、目が覚めたアタシに、お姉ちゃんが突然
『みやチャン、お母さん死んだよ』って、
それを聞いたアタシは、初めは冗談だと思い笑っていましたが・・
お姉ちゃんの顔が強張っていて、真剣に
『そんなに信じられないなら、座敷に行ってみり』と言われ、
慌てて行って見ました。
すると・・そこには変わり果てた姿のお母さんが、棺桶の中で目を閉じていました。
結局、それから15年ほど経って知ったコトですが、
母親は、医療ミスだったそーです。
陣痛促進剤とゆー薬が、世の中に出始めた頃くらいで、
胎児が産まれていぃ大きさになっているのに出てこなかったから、
陣痛促進剤を使ったそーです。
それによる服作用なのか?詳しいコトは聞けませんでしたが、それが原因だった
みたいです。
とっても暗い、悲しい話になってしまいましたが
このようなコトがあり、お産に対して、とっても不安に感じていたので、
初めて、ブログとゆーカタチで思いを打ち込んでみました。
きっと今の医療は、あれから何十年と経っているので、大丈夫だとは思いますが、
(大丈夫であって欲しい)
でもウチの父親は、もしアタシが陣痛促進剤を使用する状況になったとしたら、
絶対に反対みたいです。
父親もとても心配みたいで、産前産後で20日間、九州から手伝いに来てくれるコトに
なりました
アタシは心強いけど、ダンナはきっと微妙だろうなぁ・・
特にアタシが入院している期間は・・
あと10週切ったのかと思うと、出産の不安も徐々に強くなってくる
実は、こんなに不安になる理由が一つあるんです。
それは、ウチの母親がお産で命を落としたからです。
そーあれは、アタシがまだ8歳のクリスマス・イブ
姉妹&友達とで、クリスマスパーティをしていたら、
お昼を過ぎた頃、産科からあって、お父さんとお婆ちゃんが慌しく病院へ。
異変に気づいたアタシは、友達のコトも放ったらかして、一緒に乗り込んで
病院について行きました。
病院について行ったものの・・まだ8歳だし、何をするワケもなく、
ただ分娩室の前の廊下でボーッと座り込んで過ごしてるだけ。
お父さんは分娩室に入るコトができたから、時々先生に呼ばれて入ってたけど、
「何かあったんだろうなぁ・・」とは思いながらも、お父さんにもお婆ちゃんにも
話しかけれる雰囲気じゃなかった。
しばらくすると、お父さんに連れられて、別の場所に移動した。
そこには、お父さんの友達やお母さんの友達、いろんな人が廊下に並んでた。
お父さんは、その人たちに声をかけながら、頭を下げてました。
その光景の意味が分からず、アタシは、近くに居た顔見知りのおばさんに
『おばチャン達、何してんの??』って尋ねたら、
『みやチャンのお母さんの血が足りないから、おばチャン達のをあげるんだよ』って、
まだ小学生だったアタシは、大袈裟なコトだとも思わず、ふぅ~ん・・とゆー程度にしか
思ってませんでした。
それからまた数時間経って、夜8時頃になり、叔母さんがアタシを迎えにきました。
まだまだお母さんが出てくるのに時間がかかるとゆーコトで、
お父さんとお婆ちゃんがそのまま病院に残るコトになったから。
でもアタシは、その時ナゼかどーしても帰っちゃいけないような気がして、
帰りたくないと駄々をこねてました。
その時分娩室の扉が開き、ストレッチャーに乗せられたお母さんが
点滴をされた状態で、ドコかに運ばれて行きました。
アタシは、その姿を見て、なおさら帰りたくなくなりましたが、
無理やり連れて帰らされました。
に帰るの中で、ストレッチャーで運ばれて行く、お母さんの姿か頭に浮かび、
もしかしたら、もう二度とお母さんに会えないような気がして、
涙がボロボロこぼれ落ちました。
次の日、目が覚めたアタシに、お姉ちゃんが突然
『みやチャン、お母さん死んだよ』って、
それを聞いたアタシは、初めは冗談だと思い笑っていましたが・・
お姉ちゃんの顔が強張っていて、真剣に
『そんなに信じられないなら、座敷に行ってみり』と言われ、
慌てて行って見ました。
すると・・そこには変わり果てた姿のお母さんが、棺桶の中で目を閉じていました。
結局、それから15年ほど経って知ったコトですが、
母親は、医療ミスだったそーです。
陣痛促進剤とゆー薬が、世の中に出始めた頃くらいで、
胎児が産まれていぃ大きさになっているのに出てこなかったから、
陣痛促進剤を使ったそーです。
それによる服作用なのか?詳しいコトは聞けませんでしたが、それが原因だった
みたいです。
とっても暗い、悲しい話になってしまいましたが
このようなコトがあり、お産に対して、とっても不安に感じていたので、
初めて、ブログとゆーカタチで思いを打ち込んでみました。
きっと今の医療は、あれから何十年と経っているので、大丈夫だとは思いますが、
(大丈夫であって欲しい)
でもウチの父親は、もしアタシが陣痛促進剤を使用する状況になったとしたら、
絶対に反対みたいです。
父親もとても心配みたいで、産前産後で20日間、九州から手伝いに来てくれるコトに
なりました
アタシは心強いけど、ダンナはきっと微妙だろうなぁ・・
特にアタシが入院している期間は・・